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原発事故 国家はどう補償したのか~チェルノブイリ法23年の軌跡~2

2014-09-25 09:37:16 | ②一市民運動
「ウクライナ保健省の報告」
首都キエフの空間線量が、通常の50倍以上(毎時11~30マイクロシーベルト)に汚染されて
いるという機密情報が届いていた。
とてつもない悲劇が起こったと確信した。被災者を救済する法律作成のため、国の最高会議には
委員会を立ち上げ、将来を見通して詳しい調査をするよう命じた。
12人の代議員で、「ウクライナ チェルノブイリ委員会」が結成されて、
法案作成がスタートする。
1990年6月の法律の完成までに、8か月を要した。

2013年、初めて「チェルノブイリ委員会議事録」が公表された。そこには原発事故にとって
何が重要なのかを、真剣に議論した課程が記録されている。そして法律が完成するまでの
経緯が記されている。
委員会が最初に取り組んだのは、ソビエトが認めた被災地の範囲
(年間被曝量5ミリシーベルト)を見直し、1ミリシーベルトにすることだった。

1990年9月14日の議事録
ヤボリフスキー議長は
「このチェルノブイリ委員会では、あらゆることを総合的に検討し、避難区域を
 決定しなければならない」
ヤツェンコ議員は
「最大限に住民を守る放射線量を採択しなくてはいけない」
バリヤフテル議員(放射線の専門家)は
「世界ではまだ長期にわたる低線量被曝について、科学的に解明されていない。
 研究はこれからだ。この状況において、私たちは決定値を下さなければならない」

1991年2月5日の議事録(最終回)
ヤツェンコ議員は
「被災者は国家が守ってくれると期待している。彼らの期待を裏切ってはいけない。
 住民の健康を、生涯にわたって守る法律が必要だ」
ヤボリフスキー議長は
「人道的視点から、年間1ミリシーベルトに決定する」
バリヤフテル議員は
「最も厳しい基準を決定しよう。1ミリシーベルトがいいだろう。
 人々は、ウクライナ政府が自分たちの味方だと思うだろう」
ビクトル・バリアッテル博士は
「われわれの大多数が、5ミリシーベルトという値に反対しましたが、
 それは科学的な要因だけでなく、社会的な要因も考えたからです。ソビエト政府の
 5ミリに反対して、我々が1ミリという値を打ち出すことで、人々はウクライナ政府が
 自分たちの味方であると思い、安心するからです」
ドミトリー・バジク博士(ウクライナ放射線医学研究所)は
「5ミリではなく1ミリシーベルトを採用したのは、放射線の影響がないと確信できる値だった
 からです。これは住民を放射線の影響から最大限保護するための科学的なデータに基づいた
 政治的決定です」

事故当時、ソビエト政府はチェルノブイリ事故の対策費に、特別な予算を組もうとしていた。
ソビエトの試算では、3兆7000億円が必要とされていたが、汚染がひどかったロシア、
ベラルーシ、ウクライナに2兆5000億円を投じると決定する。
チェルノブイリ法制定から半年経った1991年8月24日、ウクライナは独立を宣言する。
ソビエト政府は、2兆5000億円の約束を、1兆7000億円にするとした。
1991年12月、ソビエト連邦が崩壊する。
その後できたロシア連邦は、ソビエトの方針を引き継がないことを表明する。
各国がそれぞれに、事故対策費を出すようにと通達した。
(チェルノブイリ原子力発電所は、ソビエト時代に作ったにも関わらずだ。
 チェルノブイリ法で、支払いが決められたにも関わらずだ)
ウクライナの人々は、ソビエトが民主化することはあっても、失くなるとは思っても
いなかったのだ。こうして、あてにしていたチェルノブイリ法実施の費用が入らなくなり、
ウクライナは自らの予算でチェルノブイリ法の遂行を担うことになった。
チェルノブイリ法の費用をあてにしていたウクライナの計画は崩れた。

初代大統領のレオニード・クラフチェクは、予算の配分が大変だった。
彼は教育や科学への予算よりも、チェルノブイリ法の予算を優先させた。
年間被曝量を5ミリから1ミリシーベルトにしたことで、被災者と認定する住民の数は
100万人以上膨れ上がり、将来にわたる補償の規模が大幅に変わる問題だった。

委員会発足から8か月後に「チェルノブイリ法」が採択された。
第1章第1条
 放射性物質の汚染地域とされるのは、住民に年間1ミリシーベルトを超える被曝をもたらし、
 住民の放射線防護措置を必要とする地域である。

そしてチェルノブイリ法に基づき、ウクライナの被災地は4つの地域に分類された。
(1)強制避難地域:事故直後から住民を強制的に避難させた汚染レベルの高い区域
(2)強制移住区域:年間被曝線量が法律制定時に5ミリシーベルトを超える区域
(3)移住選択区域:年間被曝線量が法律制定時に1~5ミリシーベルトの区域
(4)放射線管理区域:年間被曝線量が法律制定時に0・5~1ミリシーベルトの区域
  (なんと日本とは違うのでしょう)

(3)では住民に移住の権利が与えられ、(4)では妊婦と子供に移住の権利が与えられる。
 移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用を探し、住居も提供した。
 また引っ越しにかかる費用や、移住によって失う財産の補償も行った。

ウラジーミル・ヤッエンコ(チェルノブイリ委員会委員)は
「住民に選択権を与えたのは、汚染地域に閉じ込められたような心理状態にしないためです。
 今住んでいる場所で将来が思い描けないなら、出て行く権利があるということです」

そして移住しなかった住民への補償を、次のように定めている。
(1)毎月の補償金(給料の1割分を上乗せ)
(2)年金の早期受け取り
(3)電気代やガス代などの公共料金の割引
(4)家賃の割引
(5)公共交通機関の無料券
(6)医薬品の無料化
(7)毎年無料で検診が受けられる
(8)非汚染食料の配給
(9)有給休暇の追加
(10)症状に合わせて年1回、サナトリウムへの旅行券
(11)大学への優先入学
(12)学校給食の無料化
安全な食料を買う費用が支給され、歯医者も無料で診療が受けられる。そして赤ちゃんにも
毎月4000円が支給され、両親が被災者であれば、事故後に生まれた子供も、被災者として
認定される。このことにより、住民は国に見捨てられていないと感じ、嬉しかったという。

それでも移住した人は4000人にのぼった。移住を決めたビクトル・ボダキフスキーは
「低線量の放射能は、大人にとっては何ともなくても、子どもにとっては危険かもしれないと
 思ったからだ。新しい家と夫婦の新しい仕事も補償されるということだったので、
 移住を決めた。国家の補償がなかったら、新しい土地に移住して家を買うことなど
 できませんでした」また引っ越しの費用の補償や、移住により失う財産の補償も行われた。

1996年、ソビエト連邦から独立したウクライナは、新たな憲法を制定した。
そこには、チェルノブイリの被災者を救済することは国家の責務であると明記された。

ウクライナ憲法第16条
「ウクライナの環境を保全し、未曽有の災害であるチェルノブイリ事故の対策に取り組むこと。
 ウクライナ民族の子孫を守ること。これは国家の義務である」
3に続く
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