今日のうた

思いつくままに書いています

劣化ウラン弾 1

2015-04-25 17:19:47 | ②一市民運動
2005年5月15日放送のテレビ朝日【「ザ・スクープ、鳥越俊太郎」
<第2部>イラクでベトナムの悪夢再び!? ~検証!恐怖の劣化ウラン弾~】を
ブックマークに入れて置いたのですが、最近、削除されていました。
2005年放送のものを、2015年3月までは視聴できていました。
何故ここにきて削除されたのでしょうか。

ブックマークに入れたその他の動画や記事も、ここにきて立て続けに削除されています。
TBSの「報道特集」は放送済みのものを視聴できましたが、視聴できなくなったものが
あります。たとえば、2015年1月24日放送の報道特集「イスラム国 人質事件」
は視聴できなくなりました。
また、NHKスペシャル「ドキュメント"武器輸出" 防衛装備移転の現場から」も
削除されました。これは「特定秘密保護法」と関係があるのでしょうか。
何か大きな力が働いていると感じるのは、私の思い過ごしなのでしょうか。

すでに書いてある3分の1をアップします。
あとの3分の2は、初見のメモ書きだけ残っているので、後日、アップします。

番組の概要は・・・
天然ウランを核兵器や原子力発電用に濃縮すると、大量に発生する放射性廃棄物、
すなわち「劣化ウラン」を再利用したのが、劣化ウラン弾である。
鉄の2・5倍の比重を持ち、戦車の鋼鉄でも突き破り、全焼した時に放射能がチリとなって
大気中に飛び散り、環境や人体を汚染する「汚い爆弾」と呼ばれている。

エネルギー省 ジム・ワーナー次官
「アメリカにはあり余るほどの劣化ウランがある。
 その処理には莫大な費用がかかるが、現在、そのような経済的な余裕がない。
 およそ70万トンの劣化ウランが1947年以降、エネルギー庁から
 1トン・1ドルでいくらでも手に入る。やっかいな『核のゴミ』を処理すると同時に、
 一石二鳥の便利な兵器だった」

ベトナム戦争から16年、「枯れ葉剤の悲劇」はイラクを舞台に繰り返された。
新たな環境汚染の主役は、放射性廃棄物から作られた劣化ウラン弾である。
この「もうひとつの核兵器 劣化ウラン弾」は、1991年の【湾岸戦争】で
約95万発投下され、約320トンもの放射性廃棄物がイラク全土にばらまかれた。

1990年代の半ば頃からイラクの小児病院は、原因不明のガンや白血病の子ども、
奇形の子どもに埋め尽くされた。病状は放射能汚染によるもの。
たとえば原爆のようなものが原因以外には考えれれない。
イラクは、広島原爆の5000発以上投下されたと同じくらいに汚染された。

イラクのバクラでは、劣化ウラン弾が集中投下され、手足の6本ある子どもや、
クルーゾン症候群と呼ばれる、頭がい骨の奇形が見られる子どもが見られた。
(湾岸戦争前の子どもに異常はなかった)
小児ガンの発生件数は、99年以降に爆発的に増加した。

一方、戦争に参加したアメリカ兵43万人も被曝し、「湾岸症候群」に苦しむ帰還兵は
約15万人。終戦後に生まれた「湾岸ベイビー」の先天的障害率は67%に達すると
言われる。しかし、米国政府は劣化ウラン弾の影響を一貫して否定し、2003年の
【イラク戦争】でも国際的非難の中、躊躇なく使用に踏み切った。

現地調査した慶応大学・藤田祐幸助教授によれば「イラク全土が永久に放射能に汚染され、
もはや人が住める状態ではない」という。もちろん、【自衛隊が駐留するサマワでも
高濃度の汚染が確認されている。】そして、去年2月、 サマワで復興任務に就いていた
米兵たちの尿から劣化ウランが検出された。
被曝症に苦しむ帰還兵は言う。「政府は真実を隠している。サマワ全体に放射能の砂埃が
舞っていて、【自衛隊員がそれを吸わずに生活することは不可能だ。】」

劣化ウラン弾は、湾岸戦争でもイラク戦争でも使われ、恐るべき放射能汚染を
もたらしました。劣化ウラン弾も放射性廃棄物の再利用として考え出されたものです。
イラクの人々のみならず、アメリカ帰還兵やその家族にも、深刻な病気を引き起こして
います。(引用ここまで)

(当時、サマワに駐留していた自衛隊員たちは大丈夫だったのでしょうか。
 その後の報道は無いようですが・・・。
 集団的自衛権の行使を認めるということは、こうした地域にも多くの自衛隊員が
 派遣されるということを意味する。)
2につづく

追記1
2015年4月27日、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」が18年ぶりに
改定されます。国民も、憲法も、国会も、「集団的自衛権行使」などの
法整備(安全保障関連法案)も、すべて全て置きざりにされて、自衛隊が地球規模で、
米軍を支援することになります。自衛隊を辞める人が続出し、応募する人が減少したら、
その先にあるのは徴兵制だと思います。
現に自民党のどなたかが、「将来、徴兵制はあり得る」と言っていましたっけ。

政権に不利なものはどんどん削除されていき、メディアは規制されていく。
こんなちっぽけな私のブログも、削除される日がくるのでしょうか。
10年後、20年後に、2015年4月27日のことを、草葉の陰で歯がゆい思いを
していなければならないのでしょうか。

ちなみに、1952年4月28日はサンフラン平和条約の発効により、主権を回復した
日本において、沖縄を含む南西諸島(九州南端から台湾へ連なる列島の総称。
鹿児島県の大隅・吐喇〈とから〉・奄美、沖縄県の沖縄・先島〈さきしま〉の
各諸島からなり、太平洋と東シナ海を分ける)は日本から切り離され、
米軍の施政権下に置かれた日です。
沖縄県民にとって4月28日は、「屈辱の日」なのです。
(2015年4月28日 記)
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劣化ウラン弾 2

2015-04-25 17:19:09 | ②一市民運動
ここからは初見のメモで書いていきます。見直したくても動画がもう存在しませんので、
細かい間違いがありましたらお許しください。

ジャパン・イラク・メディカルネットワークの井上俊医師によると、
「吸い込んだ劣化ウラン弾のチリが肺に沈着し、それが血液中に流れ出します。
 胎児や子供は細胞分裂が活発で、劣化ウランの影響を受けやすく、
 ガン発生率も上昇します」

1996年には米兵70万人が参戦し、44万人が汚染地域に入りました。
元看護兵のキャロル・ピクーによると、
「最前線で劣化ウラン弾を被弾し、燃えている戦車があった。それに乗っていた
 イラク兵士たちの体が、一面に転がっていた。そうした兵士たちの一部を治療した。
 帰国後、下半身の筋肉マヒ・甲状腺の機能停止があった」

彼女だけではなく、帰還兵は、白血病・ガン・肝臓の慢性疾患など、様々な症状を怖れ
始めた。これらは「湾岸戦争症候群」と呼ばれている。

元海兵隊のデイブ・スミスは、
「帰国して半年後、下痢・不眠症が続いた。容態は悪化の一途をたどった。」

元調査部員のジム・ブラウンは、
「記憶力が低下し、仕事ができなくなった」

治療を求める帰還兵は25万人で、2002年までに1万人以上が死亡した。
湾岸戦争後、帰還兵に生まれた子供に、先天的障がいが続出した。
こうした赤ちゃんは「湾岸ベイビー」と呼ばれた。

元憲兵部隊のブラッド・ミンスは、
「帰還して2年後に生まれたケイシーは、左耳がない。食道が途中でなくなっている。
 口から飲み食いができずに、胃に直接人工栄養を注入している」

湾岸帰還兵の家族に、同じ病気で苦しむ子どもたちを次々と発見した。
この病気は「ゴールデンハー症候群」と呼ばれ、1996年には11件確認されている。
これは通常の7倍以上の発生率です。

元看護兵のスティーブン・ミラーは、
「子どものセドリックは、左耳と左目が欠損し、心臓が右についていた。
 病院で周りを見ると障害児の父親が皆、湾岸帰還兵のバッジを付けていた。」

湾岸帰還兵の67%の子どもが健康障害や奇形に苦しんでいるにも関わらず、
アメリカ政府はあくまで原因不明としている。
だが、彼らの尿から高濃度の劣化ウランが検出された。

元軍医のアサフ・トラコビッチ博士は、
「湾岸帰還兵にはかなり高い確率で、ウランによる染色体異常や損壊が見られた。
 こうした異変は子どもたちに伝えられていく可能性が高い。」

アメリカの軍事史には、太平洋戦争の最中の1943年、劣化ウラン弾が初めて出てくる。
原爆の製造過程で大量に発生する劣化ウラン。
マンハッタン計画の責任者であるレズリー・グローブズ将軍は、その軍事利用を
強く進言していた。

グローブズ将軍宛メモには、
「放射性物質の微粒子を戦車や空爆によってまき散らす。人間が吸い込んだ場合の
 致死量は極めて微量である」

明らかに劣化ウラン弾は、無差別兵器として枯れ葉剤同様に記載され、そのターゲットは
日本だったのだ。

(広島、長崎への原爆より前に、劣化ウラン弾を初めて日本に使用するという計画が
 あったのだ)

実際に使用されたのは1991年の湾岸戦争だが、シンセキ将軍が極秘メモを残している。
それによると、
「国防副長官が劣化ウランの危険性を指摘し、
 ①汚染予防のための訓練
 ②被曝者のメディカル・チェック
 ③汚染された兵器のクリーンアップ  の3点を命じた。(引用ここまで) 
3につづく
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劣化ウラン弾 3

2015-04-25 17:18:33 | ②一市民運動
放射性汚染のクリーンアップのためにイラクに派遣されたロッキ部隊は、汚染された戦車を
無防備な状態で運搬した。そのためにチーム全体が被曝した。
その反省から、「劣化ウラン取扱いマニュアル」のビデオやマニュアルが作られた。

元陸軍少佐のダグラス・ロッキ(1994年~1995年まで、劣化ウラン研究の
プロジェクト責任者)は、1995年に「劣化ウラン災害への注意」というマニュアルと
ビデオを作製した。それによると、
①重金属毒性
②放射能・・・劣化ウラン弾の汚染から離れろ。
        特に劣化ウランのチリに注意せよ。
        劣化ウラン弾のチリは長期にわたって土壌と水を汚染する。

だが、ビデオやマニュアルが日の目を見ることはなかった。国が封印してしまったのだ。
公開されれば、人々が劣化ウラン弾の危険性を知ってしまう。
そうしたらアメリカ政府は、世界に対する責任が生じてしまう。

1991年、ロスアラモス国立研究所の極秘の指令によると、
「劣化ウラン弾はその環境に与える影響により、政治的に容認されず、使用禁止になる
 恐れがある。さらに良い兵器が開発されるまで、その存在を守り抜かなければ
 ならない。」

(つまり劣化ウラン弾の毒性【環境・人に与える影響】を否定し続けろということなのだ)

陸軍軍医のエリク・ダクソン大佐は、
「劣化ウランは大変すぐれた兵器システムです。【健康】の上でも、【環境】に対しても、
 現在使われている他の兵器に比べ、被害が少ない兵器なのです。」

(国を自由に動かしたい人間は、目的のためなら何でもするし、何でも言うのだ!)

2003年3月、劣化ウラン弾はイラク戦争でも使用された。
その威力は、湾岸戦争の5倍以上だった。

米中央軍のブルック准将は、
「ごく少量であるが、武器に劣化ウラン弾を使用している。
 我々の作戦は【安全】で、これまで考えられてきたような【危険性はない】。」

イラク戦争の開戦から1ヶ月が経った2003年5月、慶応大学の藤田裕章助教授は、
「バグダッドの戦車からは、通常の10倍の放射線量を測定した。
 戦車の中は1.52~1.53マイクロシーベルト/時で、日本の16倍である。
 こうした戦車は、子どもたちの遊び場になっていた。
 付近の住民は、『汚染のことなんて誰も知らない。子どもたちも戦車で遊んでいる』
 と言っている。非常に至る所で使われている。
 おそらく湾岸戦争(95万発)よりもはるかに多い量が使われたのではないか。
 10年、20年が経った時のイラクの子どもたちの状況は、まだ生れてこない
 子どもたちというのは、想像するのも恐ろしい。」

バスラの戦車は、通常の22倍汚染されていた。
放置されたその戦車の上には、「冷たいコーラあります」の看板があった。

住民の5人のうち4人から、劣化ウランが検出された。
ウラニウム医療研究センターの研究員も2人被爆していた。
そして小児ガン患者は激増し、医療品は底をついた。

ジョナン・ハッサン医師は、
「患者の発生地域は拡がっている。劣化ウランのチリが風で飛び、汚染が拡大している。」

アリゾナのデビスモンサン空軍基地では、対戦車用攻撃機A10に劣化ウラン弾を
用いるという。(引用ここまで)

(イラク戦争の時に子供だった人たちは、今は青年に達している。
 どんな思いでイラク戦争を見続け、現在、どのような暮らしをしているのだろう。
 もしかすると「イスラム国」に入った人もいるかもしれない。
 
 大量破壊兵器が存在するといった誤った情報のもとに、アメリカはイラク戦争に
 突入した。そのアメリカに従って、日本は自衛隊を派遣した。
 その総括をすること無しに、集団的自衛権を行使しようとしている。
 また同じ過ちを繰り返さないためにも、今一度、立ち止まって考えて欲しいと思います。
 歯車が動き出したら、止めるのは困難なのだから。

 2005年にはこうした良質なドキュメンタリーが作られました。
 これからの日本で作ることができるのだろうか。)
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