2015年9月19日、安全保障関連法が成立した。
一日中、ぼっとしていたら、胸にわだかまっているものの正体が、少しずつ見えはじめてきた。
安倍首相の答弁に対する”違和感”の正体は、例えばこんなことではないだろうか。
仮に、ここに「A」という人物と、「私」がいるとする。
Aはローソクの火を、私の手に近づける。
私:「熱い!」
A:「いえ、これは温かいという感覚なんです」
更にAは、私の手をあぶり続ける。
私:「皮膚が焼けて、痛い!」
A:「いえ、これは気持ちがよいという感覚なんです」
更にAは、私の手を焼きつづける。
私の手は焼けただれて、皮膚がめくれ上がる。
私:「熱くて、痛くて、死にそうだ!それに手が醜くただれてしまった」
A:「いえ、これが温かくて、気持ちがよいという感覚なんです。
それに手は、火に焼かれることで、より美しい状態が保たれるのです」
Aは「火は美しい」という観念しか持ち合わせていない。あるいは持とうとしない。
火に焼かれると熱いし、痛いし、苦しいし、時には命を奪ってしまうという
「火の凶暴性」が想像できない。あるいは想像しようともしない。
今までも、そしてこれからも、自らが火に焼かれるということを想像できないAは、
熱さも、痛みも、苦しみも、死への恐怖も、理解できないのだ。
そしてAは言う。
「火は美しいものです。私たちの生活にとって、無くてはならないものです。
お互いの絆を強めるためにも、大いに火を利用しましょう。
火は、人類が作り出した最も素晴らしいものなのですから」
火は人類にとって大切なものであると同時に、使い方によっては、
全てを焼き尽くす凶器にもなり得る。
火に焼かれると熱くて痛いという感覚は、自らの経験から習得する。
たとえ経験していなくとも、人間は想像することができる。
本を読んだり、映画やニュースを観たり、他者の経験を見たり聞いたりすることにより、
想像力を育むことができる。
それゆえ他者に対しても、思いを遣(や)ることができるのだ。
思いやりとは、自分の身に比べて人の身について思うこと。
相手の立場や気持ちを理解しようとする心・・・のことである。
自分の経験が多ければ多いほど、そして他者の経験を見たり聞いたりすることが多いほど、
想像力が育まれ、他者の痛みが解るようになり、シンパシー(共感)が生まれる。
安倍首相の答弁を聞いていると、極めて観念的で、人間に対する想像力や思いやりや
シンパシーといったものが、全く感じられない。
まるで録音された音声のような答弁が、繰り返し、くり返し、繰り返される。
物事には全て二面性があるということが理解できず、一面的に、
もしくは表面的に解釈しようとする。
だから痛みを感じることなく、躊躇することなく、後ろめたさを感じることなく、
己の信じる道を邁進できるのだ。
火に焼かれれば、自分の手はもちろん、他者の手でも熱くて痛いのです。
こう感じることが、想像力であり、思いやりであり、シンパシーなのです。
為政者にはこうしたことが、特に求められていると思います。
一日中、ぼっとしていたら、胸にわだかまっているものの正体が、少しずつ見えはじめてきた。
安倍首相の答弁に対する”違和感”の正体は、例えばこんなことではないだろうか。
仮に、ここに「A」という人物と、「私」がいるとする。
Aはローソクの火を、私の手に近づける。
私:「熱い!」
A:「いえ、これは温かいという感覚なんです」
更にAは、私の手をあぶり続ける。
私:「皮膚が焼けて、痛い!」
A:「いえ、これは気持ちがよいという感覚なんです」
更にAは、私の手を焼きつづける。
私の手は焼けただれて、皮膚がめくれ上がる。
私:「熱くて、痛くて、死にそうだ!それに手が醜くただれてしまった」
A:「いえ、これが温かくて、気持ちがよいという感覚なんです。
それに手は、火に焼かれることで、より美しい状態が保たれるのです」
Aは「火は美しい」という観念しか持ち合わせていない。あるいは持とうとしない。
火に焼かれると熱いし、痛いし、苦しいし、時には命を奪ってしまうという
「火の凶暴性」が想像できない。あるいは想像しようともしない。
今までも、そしてこれからも、自らが火に焼かれるということを想像できないAは、
熱さも、痛みも、苦しみも、死への恐怖も、理解できないのだ。
そしてAは言う。
「火は美しいものです。私たちの生活にとって、無くてはならないものです。
お互いの絆を強めるためにも、大いに火を利用しましょう。
火は、人類が作り出した最も素晴らしいものなのですから」
火は人類にとって大切なものであると同時に、使い方によっては、
全てを焼き尽くす凶器にもなり得る。
火に焼かれると熱くて痛いという感覚は、自らの経験から習得する。
たとえ経験していなくとも、人間は想像することができる。
本を読んだり、映画やニュースを観たり、他者の経験を見たり聞いたりすることにより、
想像力を育むことができる。
それゆえ他者に対しても、思いを遣(や)ることができるのだ。
思いやりとは、自分の身に比べて人の身について思うこと。
相手の立場や気持ちを理解しようとする心・・・のことである。
自分の経験が多ければ多いほど、そして他者の経験を見たり聞いたりすることが多いほど、
想像力が育まれ、他者の痛みが解るようになり、シンパシー(共感)が生まれる。
安倍首相の答弁を聞いていると、極めて観念的で、人間に対する想像力や思いやりや
シンパシーといったものが、全く感じられない。
まるで録音された音声のような答弁が、繰り返し、くり返し、繰り返される。
物事には全て二面性があるということが理解できず、一面的に、
もしくは表面的に解釈しようとする。
だから痛みを感じることなく、躊躇することなく、後ろめたさを感じることなく、
己の信じる道を邁進できるのだ。
火に焼かれれば、自分の手はもちろん、他者の手でも熱くて痛いのです。
こう感じることが、想像力であり、思いやりであり、シンパシーなのです。
為政者にはこうしたことが、特に求められていると思います。