今日のうた

思いつくままに書いています

安倍首相の答弁への”違和感”

2015-09-19 16:09:34 | ②一市民運動
2015年9月19日、安全保障関連法が成立した。
一日中、ぼっとしていたら、胸にわだかまっているものの正体が、少しずつ見えはじめてきた。
安倍首相の答弁に対する”違和感”の正体は、例えばこんなことではないだろうか。

仮に、ここに「A」という人物と、「私」がいるとする。
Aはローソクの火を、私の手に近づける。

私:「熱い!」
A:「いえ、これは温かいという感覚なんです」

更にAは、私の手をあぶり続ける。

私:「皮膚が焼けて、痛い!」
A:「いえ、これは気持ちがよいという感覚なんです」

更にAは、私の手を焼きつづける。
私の手は焼けただれて、皮膚がめくれ上がる。

私:「熱くて、痛くて、死にそうだ!それに手が醜くただれてしまった」
A:「いえ、これが温かくて、気持ちがよいという感覚なんです。
   それに手は、火に焼かれることで、より美しい状態が保たれるのです」

Aは「火は美しい」という観念しか持ち合わせていない。あるいは持とうとしない。
火に焼かれると熱いし、痛いし、苦しいし、時には命を奪ってしまうという
「火の凶暴性」が想像できない。あるいは想像しようともしない。
今までも、そしてこれからも、自らが火に焼かれるということを想像できないAは、
熱さも、痛みも、苦しみも、死への恐怖も、理解できないのだ。

そしてAは言う。
「火は美しいものです。私たちの生活にとって、無くてはならないものです。
 お互いの絆を強めるためにも、大いに火を利用しましょう。
 火は、人類が作り出した最も素晴らしいものなのですから」

火は人類にとって大切なものであると同時に、使い方によっては、
全てを焼き尽くす凶器にもなり得る。
火に焼かれると熱くて痛いという感覚は、自らの経験から習得する。
たとえ経験していなくとも、人間は想像することができる。
本を読んだり、映画やニュースを観たり、他者の経験を見たり聞いたりすることにより、
想像力を育むことができる。
それゆえ他者に対しても、思いを遣(や)ることができるのだ。

思いやりとは、自分の身に比べて人の身について思うこと。
相手の立場や気持ちを理解しようとする心・・・のことである。
自分の経験が多ければ多いほど、そして他者の経験を見たり聞いたりすることが多いほど、
想像力が育まれ、他者の痛みが解るようになり、シンパシー(共感)が生まれる。

安倍首相の答弁を聞いていると、極めて観念的で、人間に対する想像力や思いやりや
シンパシーといったものが、全く感じられない。
まるで録音された音声のような答弁が、繰り返し、くり返し、繰り返される。
物事には全て二面性があるということが理解できず、一面的に、
もしくは表面的に解釈しようとする。
だから痛みを感じることなく、躊躇することなく、後ろめたさを感じることなく、
己の信じる道を邁進できるのだ。

火に焼かれれば、自分の手はもちろん、他者の手でも熱くて痛いのです。
こう感じることが、想像力であり、思いやりであり、シンパシーなのです。
為政者にはこうしたことが、特に求められていると思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする