不意に、以前新聞に掲載されていた記事のタイトルを思い出した。
「あと千回の晩飯」、調べると、1994年から1996年まで
朝日新聞に掲載された山田風太郎のエッセイで、本が出ているようだ。
当時の私は44歳、作者の「千回」と言い切ってしまうところに
ただならぬ決意というか凄みを感じた。
千回とは2・74年、このエッセイが始まったのが山田氏72歳なので
74、75歳頃を想定していたのだろう。
実際には2001年に79歳で亡くなっている。
当時の山田氏と同じ年代になった私も、あと何回、と思わずには
いられない。もう晩年は始まっている。
コロナ鬱か老人性鬱かは知らないが、どうもやる気が出ない。
最近読んだパク・ソメル著『もう死んでいる十二人の女たちと』に
次の言葉は出てくるが、まさにこの通りだ。
「生きるのに疲れすぎて面倒くさくて何もしたくないんです」
この本はいくつかの短編からなっているが、どの短編も確固たる
筋が分からない。展開が読み取れない。だが読み終えた後に
ある感覚が残っている。
この取り留めのなさは何なんだろう。
今日も宮本浩次(ひろじ)の「光の世界」「悲しみの果て」「さらば青春」
「遁世」「異邦人」「東京協奏曲」「十六夜の月」、
森田童子の「ぼくたちの失敗」「みんな夢でありました」、
「さよならぼくのともだち」
そして70年代のポップスを聴きながら、一日が終わる。
遁世
https://www.youtube.com/watch?v=nc9EsppQB3U
「あと千回の晩飯」、調べると、1994年から1996年まで
朝日新聞に掲載された山田風太郎のエッセイで、本が出ているようだ。
当時の私は44歳、作者の「千回」と言い切ってしまうところに
ただならぬ決意というか凄みを感じた。
千回とは2・74年、このエッセイが始まったのが山田氏72歳なので
74、75歳頃を想定していたのだろう。
実際には2001年に79歳で亡くなっている。
当時の山田氏と同じ年代になった私も、あと何回、と思わずには
いられない。もう晩年は始まっている。
コロナ鬱か老人性鬱かは知らないが、どうもやる気が出ない。
最近読んだパク・ソメル著『もう死んでいる十二人の女たちと』に
次の言葉は出てくるが、まさにこの通りだ。
「生きるのに疲れすぎて面倒くさくて何もしたくないんです」
この本はいくつかの短編からなっているが、どの短編も確固たる
筋が分からない。展開が読み取れない。だが読み終えた後に
ある感覚が残っている。
この取り留めのなさは何なんだろう。
今日も宮本浩次(ひろじ)の「光の世界」「悲しみの果て」「さらば青春」
「遁世」「異邦人」「東京協奏曲」「十六夜の月」、
森田童子の「ぼくたちの失敗」「みんな夢でありました」、
「さよならぼくのともだち」
そして70年代のポップスを聴きながら、一日が終わる。
遁世
https://www.youtube.com/watch?v=nc9EsppQB3U