今日のうた

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花びら供養 (3)

2020-06-29 06:59:33 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(10)水俣病が発生した。聖なる供犠(くぎ)は閾値(いきち)を超えていた。
   チッソの調べでは、水俣市の人口二万七千六百七十一人。死者二千二百七十一人。
   水俣の特措法に基づく申請者三万五千三百九十九人、死者の実数はもっと
   たくさんいるだろう。初発から約半世紀、国も県も根本的な対策を立てようと
   しない。
   末世から地獄への道を示すような夏だった。

(11)不自由な体で、バスに乗って、バス代を払うのにお金を小銭入れから取り出す
   のも不自由で、車掌さんにそのお金をお渡しするのも不自由で、そういう思いを
   してお集りをなさって、月に一回集会をなさって、そんなふうな思いをして何年も、
   訴訟に踏み切って、まあ、ずいぶん隠しておられたそうですけれど、水俣出身で
   あることを。やっと今度判決が出るわけですけれど、人間の絆の崩壊と結び直し
   とがずーっと繰り返されてきて、それで、どういう判決がでるでしょうか。
   お体も不自由ですから、働き口もおありにならないですよね、満足な働き口は。
   この長い年月 ”お前さんたちは、この世にいなかったと思え”と言わんばかりの
   仕打ちでございましたよね、認定審査会の厳しい基準というのは。
   この世にいなかったと思えというふうに受け取られても言い過ぎではないような、
   歳月であったと思うんですよ。一日としてお金がなくては生きていけませんから、
   元気であっても。どんな思いでこの三十年を過ごされたのか、そのことをつくづく
   思います。

(12)私が思いますに、環境の世紀と言いましても、環境を汚すのは人間ですから、
   人間そのものが人類が体験したことのない毒素になっていると思わざるを
   えないんですね、私たち自身が汚染されているのではなくて、私たち人間が
   毒素になってきて、回りを、生物界を汚染していると思うんです。
   この事態をこのまま放置して水俣病はなかったことに、ほんの少し訴訟を
   思い切って打ち出した人以外の方々がいらしたことは、薄々みんな知っていて、
   知らなかったことにしてしまえば、私たちが毒素になっていますから、
   子どもたちが、殺し合うような国になっていくのは当然だと思うんですね、
   このまま放置しておけば。
   よほど、覚悟を決めて、いったい、この水俣病というのは何だったのか、
   何を私たちに示唆しているのか、全貌を全部調べ直すというのは無理かも
   しれませんけれど、いまならば、まだ間に合います。あの地域の、原田先生
   その他、水俣学に参加してくださっている方々の試算によると、それとなく隠して
   亡くなっていった人も含めて、二十万人ぐらいの被害というか、普通でない
   状態の人たちが死んでいったに違いない。それを追跡する最後の機会が、
   いま、来ているのではないかと思うんです。

(13)水俣のことを人さまにお願いするのに、なぜこうも心苦しいのか。ふつうに
   暮している人たちに訴えることで、その平穏をかき乱すにちがいないからである。
   しかしと、心をふるい起して考える。今まで水俣が体験してきた五十年間の
   ことは明日の皆さまの身の上でございますと。     (引用ここまで)



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