重松清著『ひこばえ』を読む。
朝日新聞に連載されていたことは知っていたが、読んだことはなかった。
以前、彼の小説『とんび』をTBSがドラマ化し、内野聖陽と佐藤健が
親子を演じていた。
幼少期を演じていた子役があまりにも可愛く、母親を早くに亡くして
親子が健気に生きている姿に、なんど涙したか分からない。
『ひこばえ』は、小2の時に別れて音信不通になった父親と、主人公が
55歳の時に対面する。父親は引き取り手のいない遺骨になっていた。
そこから、殆ど記憶のない父との思い出探しが始まる。
細やかな記憶を手繰り寄せ、少しずつ父との思い出がよみがえってくる。
人情の機微を描くのが実にうまい。この小説でもなんど涙腺を
刺激されたことか。
だが下巻になると少しずつ息苦しさを感じるようになった。
お金にだらしのない父親が、どこでもトラブルを起こしていたことが分かる。
離婚理由も、お金に対するだらしのなさが原因だった。
その父親を周りの人たちは、無償の愛で受け容れていたことも分かる。
登場人物の多くが善人なのだ。
それにあんなにお金にだらしのなかった父親が、500万ものお金を通帳に
残していた。決して子どもたちに遺したのではなく・・・。
父親は優しい人たちに囲まれて最期は幸せだった。
私がへそ曲がりなのかもしれないが、父親の周りの人たちや主人公の周りの
人たちがみないい人過ぎて、不自然なものを感じ、ついていけなかった。
それと一つ気になったのは、「ひこばえ」という言葉の多用だ。
明鏡国語辞典によると、ひこばえ=木の切り株や根元から生え出る若葉。
「孫(ひこ)生え」の意、とある。
生命体としてのみならず、いろいろなものが子や孫に受け継がれて
いく意味に使っている。
主人公がその都度、「これもひこばえ」、「あれもひこばえ」と指摘する。
読者が「ひこばえ」と気づく余地を残しても
よかったのではないか、と思った。
心に残った言葉を引用させて頂きます。
「悲しさには、はっきりした理由やきっかけがあります。病気で言えば、
急性のものです。でも、寂しさは慢性なんです。
ふと気づくと、胸にぽっかり穴が空いていて、いつの間にかそれが
当たり前になって、じわじわ、じわじわ、悪化していって・・・・・・」
「親子っていうのはたいしたもんだ。親が死んでからも子どもには
思い出が増えるんだ。いまみたいに」
「・・・・・・はい」
「いなくなってから出会うことだってできるんだ、親子は」
(引用ここまで)
朝日新聞に連載されていたことは知っていたが、読んだことはなかった。
以前、彼の小説『とんび』をTBSがドラマ化し、内野聖陽と佐藤健が
親子を演じていた。
幼少期を演じていた子役があまりにも可愛く、母親を早くに亡くして
親子が健気に生きている姿に、なんど涙したか分からない。
『ひこばえ』は、小2の時に別れて音信不通になった父親と、主人公が
55歳の時に対面する。父親は引き取り手のいない遺骨になっていた。
そこから、殆ど記憶のない父との思い出探しが始まる。
細やかな記憶を手繰り寄せ、少しずつ父との思い出がよみがえってくる。
人情の機微を描くのが実にうまい。この小説でもなんど涙腺を
刺激されたことか。
だが下巻になると少しずつ息苦しさを感じるようになった。
お金にだらしのない父親が、どこでもトラブルを起こしていたことが分かる。
離婚理由も、お金に対するだらしのなさが原因だった。
その父親を周りの人たちは、無償の愛で受け容れていたことも分かる。
登場人物の多くが善人なのだ。
それにあんなにお金にだらしのなかった父親が、500万ものお金を通帳に
残していた。決して子どもたちに遺したのではなく・・・。
父親は優しい人たちに囲まれて最期は幸せだった。
私がへそ曲がりなのかもしれないが、父親の周りの人たちや主人公の周りの
人たちがみないい人過ぎて、不自然なものを感じ、ついていけなかった。
それと一つ気になったのは、「ひこばえ」という言葉の多用だ。
明鏡国語辞典によると、ひこばえ=木の切り株や根元から生え出る若葉。
「孫(ひこ)生え」の意、とある。
生命体としてのみならず、いろいろなものが子や孫に受け継がれて
いく意味に使っている。
主人公がその都度、「これもひこばえ」、「あれもひこばえ」と指摘する。
読者が「ひこばえ」と気づく余地を残しても
よかったのではないか、と思った。
心に残った言葉を引用させて頂きます。
「悲しさには、はっきりした理由やきっかけがあります。病気で言えば、
急性のものです。でも、寂しさは慢性なんです。
ふと気づくと、胸にぽっかり穴が空いていて、いつの間にかそれが
当たり前になって、じわじわ、じわじわ、悪化していって・・・・・・」
「親子っていうのはたいしたもんだ。親が死んでからも子どもには
思い出が増えるんだ。いまみたいに」
「・・・・・・はい」
「いなくなってから出会うことだってできるんだ、親子は」
(引用ここまで)