blue sky diary

子育てと仕事、時々趣味の何気ない日々の日記です。

新盆は大忙しでした

2024-08-18 00:22:24 | 日記
本当は、長野に住んでいる妹一家が帰省するので、忙しいお茶出しなどを手伝ってもらおうかとも考えたのですが、お盆前の11~12日の泊りで帰ってもらいました。
12日は、妹一家が帰った直後、部屋の盆棚を飾る後ろに、JAのKさんが来て、白い幕を張ってくれました。
そして、夫が盆棚を組み立てるのも手伝っていってくれました。
お昼には子どもたちと4人で出かけて、お返しものと一緒に入れるビールと、お茶菓子を買いに行きました。
でも、次女が、東方プロジェクトのローソンコラボグッズが欲しいと言うので、ローソンを3件はしごして、やっと見つけたお店で、クリアケースとキーホルダーなど全種類買わされる羽目になったので、ずいぶん時間をロスしてしまいました。
帰宅すると、市長がお線香を上げて行ってくれた後でした。
13日は、早くからお線香を上げに、親戚や知り合いが来ると思っていたので、夫と共に6時半にお墓参り。
子どもたちは起きられずに、まだ寝ていました。
私は洗濯物を干して、お茶菓子を座卓に乗せて、冷蔵庫には麦茶と大量の氷をスタンバイ。
昔は、お客さん一人ひとりにお膳を出したって聞いていますが、今は、みんなお茶を飲んだらすぐに帰ってしまいます。
お返しものも、何人お線香を上げに来られるか分からないので、お葬式に来てくれた人のうち、夫の会社関係や私の職場のスタッフなど、新盆には来ないであろう人数を引いて、残りの人数の何割かくらいにはなると思いましたが、100%の人数分を頼みました。
残れば返品出来るし、足りなくなった時の追加のほうが難しいと言われていたので。
前日に、子どもたちにも手伝ってもらって、紙袋にお返しものを入れて準備しておいたものが、廊下にずらっと並びました。
13日は、10時前から18時まで、お客さんが途切れませんでした。
もちろん、お客さんのほうも気を使ってくれて、12時から13時過ぎくらいは訪問を控えてくれたので、お昼ご飯は普通に食べられましたが。
途中から子どもたちにも手伝ってもらい、私がお茶を出して、長女か次女に洗ってもらい、コップを伏せておいてもらいました。
乾いたコップから順に使っていき、多いと思ったけど20個用意しておいて良かったです。
全部ローテーションして使いましたので。
夫はずっとお客さんの応対で、座卓の前から動けず、逆に私は動き通し。
冷たい麦茶に氷を入れて出して、お客さんが帰ろうとするのを見計らってお返しものを渡し、コップを下げると、洗って、また次のお客さんへ・・・
合間に洗濯物を畳んで仕舞ったり、お風呂の掃除もあるので、これは子どもたちに頼んだり。
夕方17時半に、もう今日は来ないだろうと、晩ごはんの買い物に行ってきたのですが、私が出掛けた後、更に2人来たらしく、これは長女がお茶を出して、お返しものを渡してくれたようでした。
こちらのほうは、みんな初日に訪問してしまうらしく、14日は10人ちょっと、15日は6人くらいでした。
最終日の16日は、台風が接近して雨風が酷かったこともあり、さすがに誰も来ることはありませんでした。
それで、客間で夫と二人、一応お客さんがいつ来てもいいように待ちつつ、寝てばかりいました。
雨は降ったり止んだりしていたので、ちょうど止んだ15時半に、お墓参りをして、仏様を送って行こうと、塔婆やお花やお線香などを持って、提灯を下げて軽トラに乗り込みました。
歩いて高台のお墓に行くときは、急角度の坂を上って行かなければならずかなりしんどいのですが、軽トラで反対側から廻り込んで、お墓の敷地まで乗り入れて、いつ雨が酷くなっても大丈夫なようにしたので、かえって楽でした。
しかも、雨が止んでいたのはその時間帯だけ。
帰るなりまた激しく雨が降って来ました。
そんな中で、盆棚を片付け、いただいた御仏前を書き出して保存。
いつの間にか19時になってしまいました。
晩ごはんの材料は、前日のうちに買ってきていたので、あとは冷蔵庫にあるもので作り、簡単に。
4日間、お墓参りに行く以外は、一歩も外へ出なかった夫は、あーやっと終わったって、やっとゆっくり晩酌をしました。
でも、2キロ太ったって(笑)
逆に私は1キロ減りました。
減ったといっても1キロでは、誤差の範囲ですね(笑)
17日。
夫はまた早くから草刈り。
暑くなる10時くらいには上がってきて、シャワーを浴びて、どこかへ遊びに行ってしまいました。
私は普通に晩ごはんの材料を買って、早めに帰宅し、洗濯物の始末とお風呂掃除。
あとは家計簿をつけて・・・今に至ります。
とりあえず、明日からは普通の生活に戻れます。
8連休ももらってしまったので、シフトのしわ寄せがこの後あります。
明日は遅番。
まだまだ暑さが厳しい8月が続きますね。
そうそう、近所のおばちゃんが、今度はスイカを持ってきてくれました。
よく熟れていて、包丁を刺したとたん、パカッって勝手に割れたんです。
それで、晩ごはんの後に、キューブ状にカットして、種を取って、冷やしておいたこのスイカを食べました。
さっぱりとした甘さで、美味しかったです。
まだあと半分、冷やしてあるので、明日のおやつですね。
他にも、御仏前で和菓子をたくさんいただいたので、食べるのが楽しみです。
いかん、太るかもしれない(汗)
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新盆 (tibineko)
2024-08-18 10:07:51
地方によって新盆の風習も随分と違うのだなと思いながら、じっくりと拝見させていただきました。
これほど濃いお付き合いは、すでに私の田舎では廃れていたように記憶していますが・・どうだったのかしら?

お墓まで父やご先祖様を迎えに行くために墓参りをして。
父の新盆では、お仏壇に盆提灯を対で飾り、墓参りを済ませたのちに提灯に灯が入れられ。
盆提灯と共に、盆の間中、くゆらせ続ける大きな輪線香に火がつけられます。
送りの時に供物を入れる為の、藁で作った盆船が用意され、蓮の葉が敷かれます。
末っ子だったのに一番早く黄泉に旅立った父への、父の兄たちからの供物が並べられ。

それから、お坊さんが来てお経をあげてくれる間中、母と姉は神妙に座っていました。
私は一歳に満たない娘を抱いて、後ろの方に座っていた気がします

私がまだ小さかった昔は、送り火の線香と果物などを入れた盆船は、そのまま家の前の海に流していたけど、父の初盆の頃には既に環境汚染を配慮してそのままゴミとして処理するようになり、お盆送りの風情もすっかりなくなってしまいました。

盆送りが済んだ翌日、もう一度お墓参りをして、それで新盆の行事は終わり。
それでも残された家族が揃い、新盆をきちんとして貰えた父は、幸せだったのかも・・・・
・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・・・

   キョウ、ヒトツ、トシヲカサネマシタ
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伝統 (キミー)
2024-08-18 23:50:31
tibinekoさんの新盆の記憶を聞いて、基本的な流れはどこも似ているのかなと思いました。
書くのを省いていましたが、仏様の朝昼晩のごはんも小さなお皿に入れてお供えします。
ご飯だけじゃなくて、うどんやおもちなど、毎回変えて。
どのお宅も、お盆はそれが大変だと言っています。

昔はお坊さんが勝手にやってきて、お経をあげて行ってくれたらしいのですが、今回は、お経が必要かどうか、アンケートのはがきが来ていて、日にちが選べないと言うことだったので、お願いしませんでした。
対の盆提灯は飾ります。
祖母の時は、天井からも下げて、大々的に飾りましたけど、提灯ばかりあってもしょうがないだろうと、簡素にしました。
でも、走馬灯とか、電気の点くのが多いので、きらきらしてました(笑)
昔は、馬に見立てて棒を4本刺したナスやキュウリも並べたんですよね。
細かく書いていくときりが無いのですが、仏様を送って行った翌日のお墓参りは、こちらには無いですね。

tibinekoさんの御実家は海の近くでしたね。
盆船を作って海に流すなんて、昔はほんとうに風情がありましたね。

そうそう、tibinekoさんのお誕生日は、8月18日なのですね。
おめでとうございます!!
今日中に言いたかった!
間に合って良かった。
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