Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

黄金虫・アッシャー家の崩壊

2009-01-07 02:10:27 | 文学
ポオ『黄金虫・アッシャー家の崩壊』(岩波文庫、2006)を読了。
「アッシャー家の崩壊」など既読の作品もありましたが、そういうものは抜かして通読。

ポオは怪奇小説の名手として夙に知られていますが、また一方で名探偵デュパンの活躍する「盗まれた手紙」や「黄金虫」などの推理小説の類にも才能を発揮し、はたまたノンセンスものも物しています。2006年に出版されたこの岩波文庫の短編集は、そうしたポオのバラエティに富んだジャンルから小説を集めており、非常に読み応えがあります。個人的には、前二者のジャンルからしかポオを見ていなかったのですが、この短編集によって彼の文学上の業績にノンセンスという側面を発見できました。

ノンセンスものの傑作は「息の紛失」であると思われますが、「ボン=ボン」や「『ブラックウッド』誌流の作品の書き方/ある苦境」もひっくるめて、「笑いの文学」とみなせそうです。特に「『ブラックウッド』誌流の…」は諷刺として読むことができて、その線から言っても、また単純に馬鹿げた小説を読む愉しみから言っても、実におもしろい。後にも触れますが、この短編集の中にはロシアの小説との類似点を幾つか見出すことができ、この小説の場合はチェーホフの若い頃の短編「小説の中でよくでくわすものは」を思い出させます(題名は微妙に違っていると思います、と言うのも、いちいち全集からこの小説の題名を確認するのが億劫なので)。小説でよく使用される表現を揶揄してあげつらったチェーホフの掌編は、ポオの短編の同工異曲と言ったらさすがに言い過ぎですが、それでも月並みな文句を書き連ねる作家やそういったものをありがたがる大衆をチクリと刺す諷刺の味は同じようです。

さて、「息の紛失」は先にも書いたようにノンセンスものの傑作ですが、実はこれとよく似た小説を知っています。ゴーゴリの「鼻」。この小説は周知の通り、突然鼻を失った男と彼の「鼻氏」の行動を描いたほとんどノンセンスな短編ですが、ポオの場合は失うものは鼻ではなく息です。突如として息を失い、生きたまま死に、死んだまま生きているという厄介な状態に陥った男の顛末を描きます。矢継ぎ早に起こる出来事のスピーディさにおいてはゴーゴリの小説を上回っており、その点で広く大衆にも受け入れられそうな素地があると言えます。

さて「黄金虫」にも言及しておきます。これは言うまでもなくポオの代表作で、緻密な暗号解読を主要なプロットに据えている点で、推理小説ものの一種でしょう。それと同時に黄金探索の冒険譚でもあり、子供にも楽しめる良作です。それにしても、この小説に出てくるような暗号の解読作業はぼくには絶対に無理だという確信があるのですが、こういうものを小説の中に取り込む作家は(もちろんポオに限らず)、やはりこうした作業はお手の物なのでしょうか。どこかに種本のようなものがあって、それを参照しているのか、本当に最初から自分で考案しているのか、実際のところを知らないのですが、興味深いですね。江戸川乱歩の「二銭銅貨」もやはり暗号解読を主たるプロットとする小説ですが、これは小さい頃に読んで、素直に感心したものです。

ところでこの短編集は各作品の扉にその作品の解説が載せられていて、中には結末の一文を記してしまっているものもあります。作品の前に解説を付けるのなら、なるべく内容には踏み込んでもらいたくないものです。それと、訳注がいささか煩わしい。丁寧なのは良心的で作品理解の一助になるものもありますが、少し丁寧すぎるきらいもあります。ただし、どうしても褒めておかなくてはならないのは、この岩波文庫の訳文の見事さ。ポオの絢爛たる文章が息づいてくるようで、酩酊感すら覚えます。