久々の「初めてロシア文学を~」シリーズです。復活です。
とその前に、金曜ロードショーで『デスノート』が放送されていましたが、その最後の方に出てくる街並みが、阿佐ヶ谷のパールセンターそっくりだったのですが、ロケはどこなのでしょうか。パールセンターの青梅街道に近い場所の景色に似ていました。別に阿佐ヶ谷に住んでいるわけではないのでぼんやりとした記憶を頼りに言っているのですが、確かに似ていると思いました。
それと、今日は寒かったですねえ。こんなに寒くてなぜ雪が降らない?東京の話です。天気予報で、最高気温は深夜の1時に出て、日中は5度以下だったと言っていましたが、日付が変わったばかりの時間帯の気温を最高気温にはしないでほしい。朝6時から夕方6時までの時間帯でのみ測るとか、そういうふうにしてほしい。実感と合わないから。
それでは、今回で5回目となるシリーズです。ロシア文学に興味のある初心者で、これから本格的にロシア文学を読んでいこうという人を助ける企画。これまで、ドストエフスキー、プーシキン、トルストイ、チェーホフ、ゴーゴリ、コロレンコ、ガルシンなどを取り上げました。今回はツルゲーネフです。もっと早くに扱うべきだったのですが、すっかり失念していました。しかし、この失念も理由のないことではなくて、ツルゲーネフって今ではもうあまり人気がないんですよね。まあ人気がないからと言って無視していいということはないのですが。
ツルゲーネフはしかし日本では昔から愛読されてきた作家です。日本に初めてロシア文学の翻訳が現れたのは明治時代ですが、その最初期からツルゲーネフは日本人によく読まれていました。翻訳の数では、トルストイと並んでトップ級です。これは統計が残っているので分かるのですが、当時はツルゲーネフとトルストイが二大勢力で、この二人の作家の翻訳数は他の全てのロシア作家の総翻訳数に匹敵します。それほど日本人に愛されてきたわけですから、明治時代の日本人に与えた影響も大きかっただろうと思います。例えばトルストイの影響が甚大だった日本作家としては徳冨蘆花が挙げられますし、ツルゲーネフだったら周知のとおり二葉亭ですよね。特に二葉亭に与えた影響が日本文学にとって決定的だったことは、これもまたよく知られているとおりです。
だから、例えいま人気がなくなってきていても、ツルゲーネフが日本で重要な作家であることに変わりはないわけですね。そこで、本題。お薦めの本です。まず、ツルゲーネフを読むのだったら、『ルージン』と『父と子』は外せません。更に『その前夜』『貴族の巣』と読み進められたらよいでしょう。ただ、長編が続くのはしんどいよ、という人は、間に新潮文庫から出ている『片恋・ファウスト』と『はつ恋』を挟むという手があります。ちなみに『はつ恋』は光文社の古典新訳文庫から沼野恭子訳で新訳が出ています。沼野恭子さんというのは沼野充義氏の奥さんです。なおトリビアルな情報ですが、この沼野恭子さんの最初の翻訳は『ポーランド文学の贈りもの』というアンソロジーに収録されている小説です。
さてもう一つどうしても押さえておきたいのでは『猟人日記』です。これは農奴の生活を描いたもので、つまらないと言う人もいるようですが、個人的には大層おもしろく読めました。ただちょっと問題があって、それはどの翻訳で読むか、です。古書店などでよく見かけるのは角川文庫の上下巻ですが、しかしこれは旧字体で、ページにもびっしり文字が詰まっていて少々読みにくいです。そこでお薦めは、新潮文庫版です。工藤精一郎訳で、字体も改められており、また一冊にまとまっていて、角川文庫版よりも読みやすいと思います。なお岩波文庫から二葉亭訳の『あひゞき・片恋・奇遇』が出ていますが、これはまあ日本文学に興味のある人が読むべきでしょうね。
これで終わりではありません。ツルゲーネフの別の面も知っておきましょう。やはり岩波文庫で『散文詩』というものがあり、これは一見政治色の強いツルゲーネフ文学の中にあって、彼の詩人としての側面を浮き彫りにしています。そして、「夢」という小説もぜひ読んでおきたいところです。この作品は『ロシア神秘小説集』という本の中に収められており、ついでにこの本も読破するとよいでしょう。オドーエフスキーやザゴスキンなど、他では滅多に読めない作家の小説が収録されています。しかし最大の注目はA・K・トルストイの吸血鬼三部作ですが。
余裕があれば、岩波文庫から出ている他の小説を読むのもよいですが(『春の水』『煙』など)、角川文庫の『文学的回想』という本にも手を出してもよいと思います。ちなみにパナーエフも『文学的回想』を書いていて、これは岩波文庫から上下巻。ただの文学史では読めない、動態的な文学状況を実感できるのではないでしょうか。
これらの作品を読んで、ツルゲーネフがリアリズムだけでは語れない、幻想小説を書く資質も持ち合わせていたことを知ってもらえれば、ぼくとしては満足です。
とその前に、金曜ロードショーで『デスノート』が放送されていましたが、その最後の方に出てくる街並みが、阿佐ヶ谷のパールセンターそっくりだったのですが、ロケはどこなのでしょうか。パールセンターの青梅街道に近い場所の景色に似ていました。別に阿佐ヶ谷に住んでいるわけではないのでぼんやりとした記憶を頼りに言っているのですが、確かに似ていると思いました。
それと、今日は寒かったですねえ。こんなに寒くてなぜ雪が降らない?東京の話です。天気予報で、最高気温は深夜の1時に出て、日中は5度以下だったと言っていましたが、日付が変わったばかりの時間帯の気温を最高気温にはしないでほしい。朝6時から夕方6時までの時間帯でのみ測るとか、そういうふうにしてほしい。実感と合わないから。
それでは、今回で5回目となるシリーズです。ロシア文学に興味のある初心者で、これから本格的にロシア文学を読んでいこうという人を助ける企画。これまで、ドストエフスキー、プーシキン、トルストイ、チェーホフ、ゴーゴリ、コロレンコ、ガルシンなどを取り上げました。今回はツルゲーネフです。もっと早くに扱うべきだったのですが、すっかり失念していました。しかし、この失念も理由のないことではなくて、ツルゲーネフって今ではもうあまり人気がないんですよね。まあ人気がないからと言って無視していいということはないのですが。
ツルゲーネフはしかし日本では昔から愛読されてきた作家です。日本に初めてロシア文学の翻訳が現れたのは明治時代ですが、その最初期からツルゲーネフは日本人によく読まれていました。翻訳の数では、トルストイと並んでトップ級です。これは統計が残っているので分かるのですが、当時はツルゲーネフとトルストイが二大勢力で、この二人の作家の翻訳数は他の全てのロシア作家の総翻訳数に匹敵します。それほど日本人に愛されてきたわけですから、明治時代の日本人に与えた影響も大きかっただろうと思います。例えばトルストイの影響が甚大だった日本作家としては徳冨蘆花が挙げられますし、ツルゲーネフだったら周知のとおり二葉亭ですよね。特に二葉亭に与えた影響が日本文学にとって決定的だったことは、これもまたよく知られているとおりです。
だから、例えいま人気がなくなってきていても、ツルゲーネフが日本で重要な作家であることに変わりはないわけですね。そこで、本題。お薦めの本です。まず、ツルゲーネフを読むのだったら、『ルージン』と『父と子』は外せません。更に『その前夜』『貴族の巣』と読み進められたらよいでしょう。ただ、長編が続くのはしんどいよ、という人は、間に新潮文庫から出ている『片恋・ファウスト』と『はつ恋』を挟むという手があります。ちなみに『はつ恋』は光文社の古典新訳文庫から沼野恭子訳で新訳が出ています。沼野恭子さんというのは沼野充義氏の奥さんです。なおトリビアルな情報ですが、この沼野恭子さんの最初の翻訳は『ポーランド文学の贈りもの』というアンソロジーに収録されている小説です。
さてもう一つどうしても押さえておきたいのでは『猟人日記』です。これは農奴の生活を描いたもので、つまらないと言う人もいるようですが、個人的には大層おもしろく読めました。ただちょっと問題があって、それはどの翻訳で読むか、です。古書店などでよく見かけるのは角川文庫の上下巻ですが、しかしこれは旧字体で、ページにもびっしり文字が詰まっていて少々読みにくいです。そこでお薦めは、新潮文庫版です。工藤精一郎訳で、字体も改められており、また一冊にまとまっていて、角川文庫版よりも読みやすいと思います。なお岩波文庫から二葉亭訳の『あひゞき・片恋・奇遇』が出ていますが、これはまあ日本文学に興味のある人が読むべきでしょうね。
これで終わりではありません。ツルゲーネフの別の面も知っておきましょう。やはり岩波文庫で『散文詩』というものがあり、これは一見政治色の強いツルゲーネフ文学の中にあって、彼の詩人としての側面を浮き彫りにしています。そして、「夢」という小説もぜひ読んでおきたいところです。この作品は『ロシア神秘小説集』という本の中に収められており、ついでにこの本も読破するとよいでしょう。オドーエフスキーやザゴスキンなど、他では滅多に読めない作家の小説が収録されています。しかし最大の注目はA・K・トルストイの吸血鬼三部作ですが。
余裕があれば、岩波文庫から出ている他の小説を読むのもよいですが(『春の水』『煙』など)、角川文庫の『文学的回想』という本にも手を出してもよいと思います。ちなみにパナーエフも『文学的回想』を書いていて、これは岩波文庫から上下巻。ただの文学史では読めない、動態的な文学状況を実感できるのではないでしょうか。
これらの作品を読んで、ツルゲーネフがリアリズムだけでは語れない、幻想小説を書く資質も持ち合わせていたことを知ってもらえれば、ぼくとしては満足です。