Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

『アニメーションノート』とか

2009-01-08 22:38:13 | アニメーション
最初の話題は今日観たアニメから。

フランスのアニメーション『鈴の約束~サンタクロースの秘密~』(1998)を観ました。26分ほどの中編。いまサンタクロースかよ!というツッコミ、重々承知しています。でもちょうどいい時期を探すと、今日観なければまた来年の12月まで待たないといけなくなるので、ええいままよ!と思って鑑賞することにしました。けっこう葛藤があったのです。

さて、まあ一種のクリスマス・ストーリーと申しましょうか、子供向けのハッピーエンドで終わるステキな物語、と一口で言えそうです。絵のタッチは絵本風で、登場人物はかなりデフォルメされていて、子供も大人も愛らしい。ある日サンタクロースが空を駆けている途中で自分の赤ん坊を森の中に落としてしまい、それから自暴自棄になって子供たちから届けられた願い事を書いた手紙を燃やしてしまいます。一方その赤ん坊は郵便配達のおじさんに拾われて孤児院で育てられます。あるクリスマスイヴの夜、サンタクロースとその息子チャーリーは再会する…というお話。

二人が再会するまでは正直言ってたいしておもしろくなかったのですが、最後のサンタの台詞にほうっ!とうなりました。チャーリーから子供たちの手紙を燃やしたことをなじられて、彼はこう答えます。「紙は燃えるけれど、文字は燃えない」。これってあの有名なブルガーコフ(ロシアの著名な小説家)の小説を思い出させますよね…。そしてサンタはこう続けます。「子供たちの願いは永遠なんだ」。う~む、「子供たちの願い」を「文学」に置き換えたらブルガーコフですね。

さて、『アニメーションノート』という雑誌を知っているという人はもうけっこういるのかな。最新号(vol.12)をぱらぱらと読みましたけれど、「ハートフル芦田のしごき部屋」が妙にツボにはまりました。作画テクニックを伝授するこのコーナー、今回は「アゴウラ」の描き方がテーマ。アゴウラってのは文字通り顎の裏ですね。要は、人が上を向いたときの顔の描き方、ということです。これが描けると確かに上手く見えるんだよね~と共感。かなりマニアックなテーマ設定のような気もしますが、それがまたいいですね。絵を描いたことのある人なら、アゴウラの意外な難しさを知っているはずなので、よく考えるとさすがの選択かもしれないですね。ただ、今回はこういう人ならアゴウラを描かなくても済みますよ(太ったおばちゃんやアキバ系男子)、という紹介で、実際のテクニック紹介は次号。次号かよ!と心の中で叫びました。

ぼくはアニノーを何冊か持っていますが、vol.5に掲載されていた小林プロダクションの集合写真が気になっています。その写真の中にけっこうきれいな女性の方が写っているのですが、あの方はなんとおっしゃるのでしょう。どういう絵を描くのでしょうか…。う~む、知りたい。単に写真映りがいいだけってオチは勘弁してもらいたいですけどね。

ところでアニノーはなかなか興味深い特集を組むので、アニメーション系雑誌としてはぼくは一番好きです。おたく路線ではなく、だからと言ってメジャー志向でもなく、そういう区分では計れない、質の高い作品を取り上げる姿勢はいいですね。できればもっと海外のアニメーションを特集してもらいたいのですが、あまり需要がないかな。あるいは、日本で個人で制作している人たちをクローズアップしてもらいたいですね。映画に例えれば、もっと単館作品を取り上げてくれって感じです(単館映画が個人で制作されているという意味ではありません、念のため)。そういうのはアニノーくらいしかできそうにないので、ぜひ実現させてもらいたいですね。

松本清張『ゼロの焦点』

2009-01-08 01:12:08 | 文学
今日、飴を舐めていたら、歯にかぶせてあった銀が取れてしまいました。それで歯医者に直行。すぐにまた嵌め直してもらいました。診察後、虫歯などはありませんでしたか、と聞くと、詳しく見ていないから分からない、それはまた改めて予約を取ってから診てみる、とのこと。どうも不親切のような気がしましたが、そんなものかと思い直して勘定を済ませて帰途に着きました。途中で、詳しく歯の検診をするために予約を取っておくことを忘れたことに気が付きました。今から取って返すのも何となく気が引けるし、どうやら機会を逸してしまったようです。虫歯がないかちゃんと調べて欲しかったのになあ。また今度、予約を入れようかな…

さて、『ゼロの焦点』を読了。昨日のポオの短編集と合わせて二日で800ページほど読んだ計算になるので、近年では珍しいハイペースですね。昔は『カラマーゾフの兄弟』を3日で読んだものですが。

松本清張作品を読むのは『点と線』に続いて二作目。どちらもなかなかおもしろいですね。『点と線』ではトリックなどに幾つか問題点がありましたが、『ゼロの焦点』にはそういう一読してすぐ分かるような不完全な点はないように思えました。解説で平野謙が小説の不備を指摘していますが、ぼくにはそこは問題とは感じられませんでした。ところでこの解説はちょっとしょうもないですね。出だしから本題に入る部分はなかなか手際がよくてさすがと思わせますが、あとは長々と小説を要約して、最後に不首尾な点と自分の初読のときの思い出を述べて終わり、というのは、何のための解説かよく分かりませんね。平野謙は非常に有名な日本文学研究者ですが、こういう解説を読むと、どうも彼の業績も怪しくなってくるような気がするのは仕方のないことなのでしょうか…たぶん余り解説には力を入れなかったのでしょうね。

推理小説のレビューというのは書きづらいものですね。犯人や動機、事件の展開を伏せておかなくてはならないので。文庫の裏表紙におおまかな粗筋が載っていて、それすらちょっと情報を与えすぎだと個人的には思っています。抽象的に書くと、こういうふうになります。ある失踪事件を調べていくうちに、ある男の隠された裏の生活が、薄皮をはがしていくように徐々に詳らかになっていくその驚きが、人生の深みのようなものを感じさせる。事件の核心に近づいたと思ったら、また新たな殺人事件が起きて、真相は再び遠のいてゆく。その展開が興をそそる。ただし前半はやや停滞しているような感がなくはない。ストーリーが加速をつけ始めるのは第二の事件が起こってからである。

この小説は戦後まもない日本の状況が重要な裏設定になっていて、時代を感じさせますね。その設定の使い方から言っても、また事件の解決の仕方から言っても、『ゼロの焦点』は硬派な典型的な推理小説の風貌を見せています。現代のミステリはかなりメタ小説的な要素があると聞いたことがあるので、昔懐かしの推理小説を読みたい人には、この『ゼロの焦点』はお薦めできると思います。

最後に、気になったことを一つ。禎子は自分の推理を決して警察に話さず、またときには知っていることをあえて警察に隠しますが、その理由が判然としませんでした。まだ確定的でないし、気持ちの整理がついていないから、というのがその一応の理由として考えられますが、しかしある程度時が経てば警察に報告するのが筋だと思うんですよね。それだけ。