Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ロシア・アニメ傑作選集4

2009-07-02 23:37:26 | アニメーション
ポニョのドキュメンタリーが発売延期になったようです。しかも12月に。音楽の版権を取っていなかったことが問題らしい。初回限定版のあの9枚組みはどうなるのでしょうか。

さて、『ロシア・アニメーション傑作選集4』を観ました。162分という長さに恐れをなして敬遠していたのですが、観てよかったです。おもしろい。

つまらない作品ばかりが3時間近く続いたら酷だよな、と考えていたので、まさしく傑作揃いなのにはいい意味で裏切られました。ほとんどの作品はイマジネーションに溢れていて、退屈しませんでした。観たことのある作品も複数ありましたが、何度観ても楽しめますね。

レフ・アタマノフ「サイクリスト」は以前に観たことがあり、好きだった作品。負けず嫌い(?)な青年が、自転車に乗って車や機関車、飛行機などと競争します。しかし自転車がぶっ壊れてしまい、地面に投げ出されます。のびている彼の顔の横を、毛虫がのそのそと追い越してゆく…。何事も地道が確実だよってことでしょうか。独特のユーモアのセンスが光る逸品ですね。

エレーナ・フォードロワ「ケロケロ」はなぜか気に入りました。たくさんの蛙が虫をつかまえようと奮闘する、というのが大まかな内容。蛙の造形はちょっと不気味で、ゲロゲロいう声もかわいくないですが、やはりユーモアがあって、好きでした。一見すると平面的な画面構成ですが、奥行きもうまく利用していて、意外とよくできている。

ナタリア・ゴロヴァノバ「少年期」をはじめ、このDVDにはファンタジックな作品が多いです。本来飛ばないものが空を飛ぶという話も複数見られます。「少年期」では、就学前の少年が犬などの動物に変身してしまう超常現象が起こります。ところがこのような変身はそれほどの驚異とは受け取られず、物語は淡々と進行。学校に入学し、先生がプーシキンの有名な詩を朗読するのを聞いているうち、少年は想像を膨らませます。

アナトリー・ペトロフ「射撃場」。このあいだタラソフの「射撃場」を観てきましたが、これはアナトリー・ペトロフの作品。ペトロフと言ってもアレクサンドルの方ではないです。1977年の作品ですが、人物が立体的で、3Dアニメの先駆けか、と思わせるほど。戦争で息子を喪った父親が人間の憎しみや恐怖を感知する戦車を作り、それで戦争屋たちに復讐する話。設定は現実を超出していますが、事物や人間心理の描写はリアリスティック。異彩を放つ作品です。

次もアナトリー・ペトロフの「歌の先生」。既に観たことのある作品で、個人的に大好き。きのうのイヨネスコやムロージェック(ポーランドの作家)を思わせるシュールな内容で、ナンセンスの極致と言ってもいいほど。歌の男性講師がピアノを弾いたり声を出してドレミファを教えますが、生徒はカバだった…!「ガーガーガー」という一つの音階しか発声できないカバに講師は業を煮やしますが、仕舞いには食べられてしまう。歌の先生を飲み込んだカバは綺麗な声を出せるようになりました、というオチつき。笑えます。

ウラジーミル・タラソフ「コンタクト」。このタラソフってのは、あの奇怪なプロパガンダ映画を作ったタラソフその人でしょうか。かなり作風が違いますね(当たり前か)。監督名を見るまで分かりませんでした。コンタクトっていうのは異性人とのコンタクトっていう意味で、画家(?)の男性が異形の生物と接触し、逃げ出してしまいますが、歌を通じて仲良くなる、という物語。内容自体は取り立てて言うほどのものではありませんが、異性人の造形がちょっとおもしろいですね。少しスライムのようで、何色もの淡い色が体に付いています。でも不気味ではなくて、どこか愛嬌があります。

ここで取り上げなかった作品にもいいものがたくさんあります。とてもヴァリエーションに富んでいて、一見の価値あり。もっと早くに観ていればよかったなあ。

イヨネスコの戯曲

2009-07-02 01:06:09 | 文学
『ベスト・オブ・イヨネスコ』を読みました。
収録作品は、

禿の女歌手
授業
椅子

アルマ即興
歩行訓練

読書が困難になってから何年か経ちますが、やはり何日もかかってやっと読み通しました。でも、すごくおもしろかったです。ベケットより断然イヨネスコだなあ、ぼくは。

ロシアの前衛作家の集団でオベリウっていうのが昔あって、その中心メンバーであるハルムスやヴヴェジェンスキーは、西欧の不条理文学を先取りしていたと言われているのですが、イヨネスコを読んで合点が行きました。ベケットではいまいちピンとこなかったんですよね。

「禿の女歌手」などは、まるでヴヴェジェンスキーの戯曲のようです。台詞の(あるいは役者の?)急な逸脱、不可解な会話、そしてザーウミ(超意味言語)の存在。ヴヴェジェンスキーの戯曲ですと言われても、驚かないです。また、堂々巡りと称される戯曲構造の反復や言葉遊びもおもしろいですね。全体的に喜劇風味で、単純に笑えます。

「授業」は、なんだかチェーホフの初期の小説の翻案みたいです。チェーホフって最初はこんなのを書いてたんですよね。大学の先生が出来の悪い女生徒に個別に教えている途中、だんだん興奮してきて仕舞いには殺してしまう、という筋立て。これも堂々巡りの構造。

「犀」は、第一幕は「並行的な芝居」になっています。つまり、同一舞台上で別々の会話(または出来事)が同時的に並行して進行する、という。これって、チェーホフの手法でもあるんですよね。チェーホフが「三人姉妹」などで使っている劇法を徹底させたような感じです。

イヨネスコの芝居って、ロシアのチェーホフやヴヴェジェンスキーたちのやったことをもう一度反復しているような印象があります。ぼくは、チェーホフからオベリウの時代にかけて「ロマンの解体」現象を見ていて(というかそれは事実そうなのですが)、既存のプロットや心理描写、価値観などが放棄されていった時代なわけですが、国は違えどもイヨネスコっていうのもその延長線上にある気がします。彼やベケットの戯曲に「不条理演劇」という名前を与えたとき、既に直線は引かれていたのかもしれません。

ただ、「犀」という戯曲は反ナチの戯曲でもあるようで、全体主義への同調をグロテスクに戯画化しています。多数の方が正しいんだ、みたいなね。その中でも、自分の価値観を信じる男は、だからこそ主人公たりえているんでしょう。
「犀」という作品は、人間がどんどん犀になってゆく話なのですが、全体主義の恐怖、みたいなものはその後半に集中しています。でも個人的には、なぜ人が犀になるのか、あるいはなぜ犀なのか、という素朴な点が興味深いですね。いまわしいとされる動物に、なぜ変形してしまうのか。後半は皆がなっているから犀になるのですが、まだ多くの人が人間でいるときに、なぜ犀になるの?っていう疑問です。ああそうか、ナチに最初同調した人にも向けられる疑問かもしれないですね、これは。

「椅子」は、空虚、無をテーマにした戯曲である、と評されているそうですが、なるほど。確かにそう読み解くことができますし、いやそれどころか一番もっともらしい読みかもしれないですね。椅子が加速度的に増殖することで、逆に無を作り出してしまう。もちろん、人間の不在によって。神の不在の寓喩にもなりうるし、あるいは人間というものは実は目に見えないものを相手にしているんだよ、という訴えでもありえます。他の作品に比べて物語そのものや、会話の妙で楽しませるものではないですが、設定がとても滋味深い、問題作ではありそうです。どうやらイヨネスコの代表作らしいですが。

「アルマ即興」はメタ戯曲ですね。作者のイヨネスコが主要登場人物です。劇中、イヨネスコがせがまれて自作の戯曲を朗読するのですが、それは今我々の読んできた戯曲そのものに他ならないのです。こういう遊びも楽しい「アルマ即興」ですが、どうやらバルト批判が主要な要素のようです。バルトっていうのはあの有名なロラン・バルトのことみたいですが、こっぴどくやっつけられています。ブレヒトの異化とか、矛盾した言説とか、観客がいなければ演劇は存在しないとか、そういう理屈を披瀝するのですが、こうして見ると滑稽ですね。バルトは作者の創造性を否定し(そうイヨネスコは考える)、読者により大きな価値を置くのですが、読者がいなければ作品は存在しない、という今よく流布している概念に通じます。もうはっきり言ってしまいますが、ぼくもこれはおかしな理屈だと思っていて、たとえ誰も読み手がいなくても、作品というのは書かれているのなら存在するわけですよね。これは現象学や唯物論なんかが絡む複雑な問題なのですが、だからこそ難しい理屈が云々されているわけですが、馬鹿馬鹿しいなあ、というのが正直なところ。ぼくなんかは、誰にも読まれていない究極の書物がある、誰とも会ったことのない人間がいる、と考えた方が、ロマンチックだし詩的な感じがするんですよ。こんなことは論文では書けないですが、でも本当はそう思っています。

だいぶ脱線しました。登場人物のイヨネスコは戯曲の最後で自分の考えを滔滔と弁じたてるのですが、それが相対化されてしまうところがイヨネスコらしいところですね。これって学者先生の真似じゃね?って言って、引き上げてしまうんですよね。そういう知的で冷静、そして根っからの喜劇精神には好感を感じます。

「歩行訓練」はト書きだけでのごくごく短い小品。実験的で、短いながらもユーモアもあり。それに感動的でさえある(ぼくだけ?)。

以前、イヨネスコ作「瀕死の王」が上演されましたけれど、観に行けばよかったかなあ。こんなにおもしろいとは意外でした。繰り返しますが、ベケットより好きです。