Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ヤンポリスキー『デーモンと迷宮』

2009-07-29 00:47:19 | 文学
批評書については感想を書かないと言いながら、ネタがないので仕方なく。

それにしても、これについて書くに当たって、ぼくは恥ずかしい告白をせざるをえない。というのは、ぼくは本書『デーモンと迷宮』の内容がよく分からなかったのです!

ヤンポリスキーは現代ロシアの著名な批評家で、数年前に日本にも来日し講演したことがあるそうですが、ぼくはハルムス研究で彼の名前を知り、その後、彼の著書を一冊入手しました。ところが読んだのは本書が初めてで、こんなに本格的な邦訳が出ていたとは、ロシア文学に興味がある者として不明なことに知りませんでした。

それにしても、難しい。この難しさは、この本が主に身体を論じており、且つぼくがこれまで本格的な身体論を読んでこなかったことに由来していると思われます。つまり、基礎知識がまるでないところに、このような微細で奇想の評論を提示されても、理解できなかったのです。

奇想、と言いましたが、ぼくはしかし全部を読んだわけでなく(と言うよりは第一章の他は僅かな断片に目を走らせただけですが)、その奇想について、つまりそれが奇想であることさえ了解できませんでした。これは、高山宏氏の書評の言葉をぼくが借りているだけです。氏によれば、本書は「実に読みやすい」そうで、自身の関心とも親和性が高く非常に楽しめたようです。

ヤンポリスキーは機械的身体、痙攣する身体といったものを論じ、またバロック的なものにも関心があるようですが、「バロックと言えば高山宏」です。何か自らと通底するものを感じ、それで興味深く読めたのかもしれませんね。

…と書いて、ぼくはここにある嘘を隠しています。嘘、というか、不安です。それは、次のような疑いです。すなわち、本書を理解できなかったのは、結局のところ、単にぼくの頭が悪いからではないか?高山宏氏がよく理解できて、ぼくにはよく分からなかった、というのは、知識の差のみならず、知能程度の差も関係しているのではないでしょうか。こういった疑念は、ぼくにとってはもう何年も前から馴染みのものですが、それは不安と確信との間を揺らいでいます。ある本があって、頭のよい人が100理解できたところ、ぼくには1しか理解できなかったとしたら、果たしてぼくは読書した意味があったのでしょうか。単なる暇つぶし以上のものを読書に求めているのだとしたら、この結果は重たすぎます。

ちなみに、訳者による解説の文章は難解な内容ではないのにちっとも頭に入ってこなかったので、文章の相性が悪い、ということもあるのかもしれません。そうであることを祈りつつ…