ニーナ・ショーリナ『夢』という人形アニメーションがあります。10分ほどの短編ですが、ぼくは好きで、最近この作品の中で聞けたフレーズを思い出しています。
私は何者かであっただろうか?
今まさに死のうしているかに見える男の独白が続くアニメーションで、人形アニメーションなのに非常に幻想的で、寒々とした作品です。人形なのだから具体的だと思うのが普通で、しかも日本では人形と言えばかわいらしいのが想起されがちなのですが、この『夢』はまるで違います。さて、男の独白「私は何者かであっただろうか?」は、胸にきりりと突き刺さりますね。男はすぐに、「何者かであったものなど、愚か者ばかりだ」という意味のことを付け加えるのですが、それは本当でしょうか。それともただの負け惜しみ?
ぼくはまだ何者でもなく、周囲の人たちがどんどんと「何者か」になってゆくのを見るにつけ、非常に悲しく寂しい気持ちになります。頭を抱えたくなるほどの絶望。ああ、何者かになりえた連中など、所詮馬鹿ばっかだよ!と言い切れたらどれほど楽か。
さて、彼女の別のアニメーション『ドア』(という題名だったっけ?)も、一風変わった作品です。あるアパートの立て付けが悪くて開かないドアを巡って住民たちが騒動を巻き起こすのですが、これがただの笑劇にはならず、魔術的な効果さえ出てくるのですから、たいしたものです。概して幻想的で特殊な雰囲気を持ったものを作るのが得意なようです。
私は何者かであっただろうか?
今まさに死のうしているかに見える男の独白が続くアニメーションで、人形アニメーションなのに非常に幻想的で、寒々とした作品です。人形なのだから具体的だと思うのが普通で、しかも日本では人形と言えばかわいらしいのが想起されがちなのですが、この『夢』はまるで違います。さて、男の独白「私は何者かであっただろうか?」は、胸にきりりと突き刺さりますね。男はすぐに、「何者かであったものなど、愚か者ばかりだ」という意味のことを付け加えるのですが、それは本当でしょうか。それともただの負け惜しみ?
ぼくはまだ何者でもなく、周囲の人たちがどんどんと「何者か」になってゆくのを見るにつけ、非常に悲しく寂しい気持ちになります。頭を抱えたくなるほどの絶望。ああ、何者かになりえた連中など、所詮馬鹿ばっかだよ!と言い切れたらどれほど楽か。
さて、彼女の別のアニメーション『ドア』(という題名だったっけ?)も、一風変わった作品です。あるアパートの立て付けが悪くて開かないドアを巡って住民たちが騒動を巻き起こすのですが、これがただの笑劇にはならず、魔術的な効果さえ出てくるのですから、たいしたものです。概して幻想的で特殊な雰囲気を持ったものを作るのが得意なようです。