Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

佐藤友哉「『世界』の終わり」

2009-07-06 01:04:52 | 文学
ムツカシイ小説ばかりを読んでいると思われるのも癪なので、こんなのも読みますよってことで佐藤友哉「『世界』の終わり」について。最近はこの作家も一般に知られるようになってきたようですが、ちょっと前まではまるで人気のない作家だったようです(いま人気があるのか知りませんが)。メフィスト賞を受賞していますが、当時はネットで散々罵倒されたそうで、それもまあ分からなくはない。というのは、「『世界』の終わり」を読んでの感想。

さてこの小説は『新現実』創刊号(2002)に掲載されていて、小説について述べる前にこの雑誌について一言しなくてはいけないんでしょうが、それも面倒ですね。知ってる人は知っている、という類の雑誌でして、大塚英志と東浩紀が責任編集の雑誌、と言えば大体の想像がつくでしょうか。どうしてぼくが持っているかというと、新海誠の漫画が掲載されているから。もっとも、これは後に別の本に転載されましたが。

前置きが長くなりました。まだ若い佐藤友哉のこの小説みたいに。この雑誌を読む人がこの小説を読めば、どういう反応があるかっていうのはまあ想像できることで、一方そこいらのおじさんなんかが読めばどういう反応があるかっていうのもやっぱり想像できてしまう、そんな小説。

妹萌えとか、花売りの娘(!)が春をひさぐだとか、妄想とか、トラウマとか、自己注釈とか、近親相姦とか、そういう「いかにも」っていう要素をぶちこんだ短編小説で、著者紹介にも書かれているように「痛い」小説であります。自意識の強い若者が自己卑下とプライドとの狭間で苦闘し、トラウマに打ち勝って上京するまでの話、というふうにまとめられるわけですが、そんなふうにまとめられることをこの著者は嫌がるでしょうし、それにそうすることは意味がないでしょうね。お決まりの物語への回収。それって嫌でしょう?

馬鹿げたことを書いているという抜き差しがたい意識が著者にはあって、それを小説の中で披瀝してしまう。メタ的な構造をもち、自分の言葉に言い訳を繰り返す。リアリズムが隆盛していた時代には見られなかった特徴ではありますが、別にこういう作品自体は珍しくない。小説としてはかなりいい加減に作ってあって(あるいはそういう風に見えるように書かれている)、エッセーと妄想の混合体のような風貌の小説でありますが、このくだけた感じで綴られる過剰な自意識はいかにもウェブ時代の、というよりはたぶんエヴァ以降の若者文化を反映しているでしょうし、どうしても既視感を拭えません。でもまあ、小説にも書かれている通り、奇抜がいいとは限らない。

諦めや徒労感のようなものが行間から滲み出していて、それはたぶん小説を書くことへの意識の高さの反映でしょう。「こんなものを書いている自分」というのがひどく馬鹿馬鹿しく思われるのかもしれません。それがものの見事に彼の小説に投影されてしまっているわけですね。確かに新時代の書き手でしょうが、まだあまりにもナイーヴで(小説の記述を信じるならばまだ21歳だったとか)、何らかの文学賞を取ったという事実に驚きを禁じえないのですが、そろそろ落ち着いた小説を書いてもいい頃ですね。でも、最近の作風は知りませんが、個人的にはそのナイーヴさを失うことなくさらに磨きをかけ、それこそ「読者にとって「痛い」小説を書き続けていってほしい」。この小説はたいしたことないですが、新時代の感性というものを研ぎ澄ませ、下手に老成しないでほしいですね。それが願い。