オコナーという作家は、好き嫌いが分かれる作家かもしれませんね。
キリスト教というものが大前提としてあって、全てがこれに基づいている。解説にも、常にキリスト教との関連において物事を見る彼女の立場について言及がありますが、確かにこれほど宗教的な純度の高い文学作品というものも、現代では珍しいかもしれません。
収録作品は、
川
火のなかの輪
黒んぼの人形
善良な田舎者
高く昇って一点へ
啓示
パーカーの背中
の7作品。このうち、最初の「川」はピンと来ませんでした。「火のなかの輪」あたりからじわじわおもしろくなり出して、「黒んぼの人形」ではっきりとこの作家の傾向が分かり、それからあとは一気読み。よかったですよ。
日常の些細な出来事にキリスト教的な価値観・道徳観を持ち込み、それに照らして登場人物を罰してゆく、という作風の作家ですから、一つの作品につき一人の人物がひどい目に遭うことになるわけですが、その対象人物というのは、あからさまに「悪いやつら」というわけではなくて、場合によっては人当たりがよかったりします。もちろん無神論者や黒人差別主義者などは非常に手ひどい「罰」を受けるのですが、偽善というものに対してもオコナーの目は容赦ない。たぶんそれが「啓示」という作品のヒロインでしょう。
ヒロイン、と言えば少女のようですが、れっきとした白人の主婦です。彼女はとても優しい人なのですが、しかし心の中では人々を差別し、愚痴をこぼします。口には出しませんが。それが、理由のない暴力を受けたことで彼女の怒りが爆発します。ところが彼女はそのときに気がつくわけです、自分が何者であるのか、ということに。いったい自分のことを何様だと思っていたのか。傲慢ではなかったか。このことが美しい風景描写と幻想の中で語られる様は、本書中の白眉であるかもしれません。極めて教訓的な色合いの濃い作品ではありますが、これほど真直ぐに書かれると、その力強さに心惹かれます。
黒人と白人との対立(というか差別の問題)は、アメリカ南部の作家であるオコナーにとって切実な問題だったのでしょう、ほとんどの作品にそのモチーフが登場します。「高く昇って一点へ」はまさしくその問題が正面から描かれています。結末は少々やりすぎではないかと思われるほどで、まさかこの出来事はそれほどの衝撃は与えないだろう、と思うのですが、現実的な「ありえなさ」を無視して道徳的な罰を下しているように見えます。「善良な田舎者」にしても、この「田舎者」のそもそもの動機がいまいち見えてきません。心の醜さを罰するためだけに使わされたサタンの分身であるかのようで、不自然な印象を持ちました。
このように、自分の価値観を体現し、小説にそれを反映させようとするあまり、小説の完成度を下げているのではないか、と思われる箇所も存在します。恐らく、オコナーを好ましいと思う読者はそれをかえって好きだと感じてしまうのでしょうし、そうでない読者には欠点に見えることでしょう。
オコナーは非常に興味深い作家だとは思いますが、これほどまでに確固とした信念を持ち、自己が揺るがない(ような作風であり)、道徳性を前面に出す作家は、少々押し付けがましく感じてしまうのは確かです。何かに憧れていたり、苦悩していたり、そういう作家の方が好みではあります。なんだろう、迷いがないように見えるところとか、キリスト教に照らし合わせて「悪」が罰せられているように見えるところとか、そういうところがすっきりこないのかもしれません。
でも平凡な筋立てばかりなのにも関わらず話がおもしろいのはこの人の非凡なところだし、総じて言えばよい作家だと思います。ある種の完成形を示してはいるんですけれど、ぼくなどはそれをちょっと疑ってしまう、ということでしょうか。
キリスト教というものが大前提としてあって、全てがこれに基づいている。解説にも、常にキリスト教との関連において物事を見る彼女の立場について言及がありますが、確かにこれほど宗教的な純度の高い文学作品というものも、現代では珍しいかもしれません。
収録作品は、
川
火のなかの輪
黒んぼの人形
善良な田舎者
高く昇って一点へ
啓示
パーカーの背中
の7作品。このうち、最初の「川」はピンと来ませんでした。「火のなかの輪」あたりからじわじわおもしろくなり出して、「黒んぼの人形」ではっきりとこの作家の傾向が分かり、それからあとは一気読み。よかったですよ。
日常の些細な出来事にキリスト教的な価値観・道徳観を持ち込み、それに照らして登場人物を罰してゆく、という作風の作家ですから、一つの作品につき一人の人物がひどい目に遭うことになるわけですが、その対象人物というのは、あからさまに「悪いやつら」というわけではなくて、場合によっては人当たりがよかったりします。もちろん無神論者や黒人差別主義者などは非常に手ひどい「罰」を受けるのですが、偽善というものに対してもオコナーの目は容赦ない。たぶんそれが「啓示」という作品のヒロインでしょう。
ヒロイン、と言えば少女のようですが、れっきとした白人の主婦です。彼女はとても優しい人なのですが、しかし心の中では人々を差別し、愚痴をこぼします。口には出しませんが。それが、理由のない暴力を受けたことで彼女の怒りが爆発します。ところが彼女はそのときに気がつくわけです、自分が何者であるのか、ということに。いったい自分のことを何様だと思っていたのか。傲慢ではなかったか。このことが美しい風景描写と幻想の中で語られる様は、本書中の白眉であるかもしれません。極めて教訓的な色合いの濃い作品ではありますが、これほど真直ぐに書かれると、その力強さに心惹かれます。
黒人と白人との対立(というか差別の問題)は、アメリカ南部の作家であるオコナーにとって切実な問題だったのでしょう、ほとんどの作品にそのモチーフが登場します。「高く昇って一点へ」はまさしくその問題が正面から描かれています。結末は少々やりすぎではないかと思われるほどで、まさかこの出来事はそれほどの衝撃は与えないだろう、と思うのですが、現実的な「ありえなさ」を無視して道徳的な罰を下しているように見えます。「善良な田舎者」にしても、この「田舎者」のそもそもの動機がいまいち見えてきません。心の醜さを罰するためだけに使わされたサタンの分身であるかのようで、不自然な印象を持ちました。
このように、自分の価値観を体現し、小説にそれを反映させようとするあまり、小説の完成度を下げているのではないか、と思われる箇所も存在します。恐らく、オコナーを好ましいと思う読者はそれをかえって好きだと感じてしまうのでしょうし、そうでない読者には欠点に見えることでしょう。
オコナーは非常に興味深い作家だとは思いますが、これほどまでに確固とした信念を持ち、自己が揺るがない(ような作風であり)、道徳性を前面に出す作家は、少々押し付けがましく感じてしまうのは確かです。何かに憧れていたり、苦悩していたり、そういう作家の方が好みではあります。なんだろう、迷いがないように見えるところとか、キリスト教に照らし合わせて「悪」が罰せられているように見えるところとか、そういうところがすっきりこないのかもしれません。
でも平凡な筋立てばかりなのにも関わらず話がおもしろいのはこの人の非凡なところだし、総じて言えばよい作家だと思います。ある種の完成形を示してはいるんですけれど、ぼくなどはそれをちょっと疑ってしまう、ということでしょうか。