Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

飛行士たちの話

2009-12-29 01:14:44 | 文学
ロアルド・ダール『飛行士たちの話』を読みました。
以前に一度読んだことがあるようなないような・・・まあ覚えてないから同じことなんですけどね。

ダールは異色作家と呼ばれていますが、ぼくが彼のことを知ったのは実は宮崎駿を通してで(正確には宮崎駿を論じる叶精二を通して)、出会い方がたぶん他の人とはちょっと違います。宮崎駿はダールを愛読していたそうで、というのもダールは飛行機乗りだったからでしょう。宮崎駿が戦闘機とかに興味があるのは周知のことですよね。

ダールはパイロットであり、パイロットとして戦争に参加した体験が、『飛行士たちの話』として小説化されています。この本は幾つかの短編から成りますが、いずれもぼくの思い描いていたダール作品とは違いました。ぼくはダールというとけっこうユーモラスで読んで楽しい作家というイメージがあったのですが、この短編集はわりとシリアスで、しかも当然飛行士の話ばかりなので、やや辟易。解説には、ダールの作品には傑作は少ない、ということが書かれていて、妙に納得してしまう始末。

その中から、これはおもしろい、と思ったものを二作。
まずは「ある老人の死」。
本書に収録されている短編の多くでは、夢と現の境が曖昧になるシーンが描かれます。例えば、きりもみしながら落ちてゆく飛行機から脱出して、意識を失い、いつの間にかベッドの上に寝ていた、というような出来事を、このように整然とではなく、一つ一つの事件の境界線をぼかしながら、ほとんど一緒くたにして描いています。「ある老人の死」でもその手法は活かされていて、語り手の男の生と死が、付かず離れず、といったふうに描写されます。男は死んでしまいますが、しかしそれがまるで生きているかのような男の視線から語られるところにこの小説の凄みと不思議があります。ある意味で非常に幻想的な、印象的な一作となりました。

「彼らは年をとらない」は、ひょっとするとウィキペディアに載っているかも。宮崎駿『紅の豚』の。同じ光景が現れます。『紅の豚』で、ポルコが戦闘の後に真っ白な雲海の上に飛行機を滑らせ、はるか上空にどこまでも続く飛行機の列を見たシーンは、たぶん多くの観客の記憶に残っていると思います。その出来事があって、ポルコは豚になってしまうのですが、このエピソードは「彼らは年をとらない」から取られています。もちろん「原作」では飛行士は豚にはなりませんが、同じく真っ白い雲海の上に飛行機を滑らせ、無数の飛行機の列を見ます。全く同じシーンです。

この点でも興味深い小説なのですが、ぼくはこの小説の終わり方が好きなのです。この幻を見たフィン(『紅の豚』のフィオと似ていますね)はやがて死んでしまうのですが、幻はまもなく死ぬ人に訪れる予兆だったのでしょうか。それとも、この幻を見たことで、フィンは死に取り付かれてしまったのでしょうか。幻視体験を経て、フィンは墜落して地面に接触することを望み、それを羨ましいと感じるようになります。「運のいいやつだ」。フィンは仲間が死ぬのを見て、こう呟きます。死に魅入られ、死に取り込まれてしまうフィン。『紅の豚』では、死線をかろうじて潜り抜けたものの、生死の境を漂うポルコの見た幻、という臨死体験の意味合いが強かったように思いますが(お前はまだ死んではいけない)、「彼らは年をとらない」は、それとは逆に、死が自ら飛行機乗りを手招きしているような、そんな空恐ろしさを感じました。極限状態で戦い続ける者は、あまりにも死に接近しすぎてしまったのでしょうか。死は眩い光となり、男を誘惑し招き寄せ、抱きとめようとします。もはやフィンにとって、死ぬことは「運のいい」ことでしかなく、幻を見た時点で既に彼はこの世の人ではなくなっていたのかもしれません。

この二作品が、読んでよかった、と思わせる逸品でありました。確かに、こういう作品があるから、読むのをやめられないんですよね。