ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ぶら☆ジョルジュ~市ヶ谷~(2)

2011-03-04 | なんとなく民俗学?
この辺は 江戸城の外堀に当たるらしい。

内堀・外堀って、
二重丸 ◎ になっているのかと思っていたけれど、
どうも グルグル螺旋 みたいよ。



で、石垣。




きっと、地下鉄の工事で 
この辺を掘っていて 出てきたんだと思う。

こういうの、残しておいてもらってヨカッタと思う。





   



で、どれが栗石(火石)かってのは、わからなかった(苦笑)。

いや、本当は、これかな?と思ったのは いくつもあったんだけど、
本当にそれが栗石かどうかなんて、わからないし。

それに、どうでもいいし(笑)。



この下地になっている中に 栗石を入れたのかどうか? さえ、わからない。

私は もっと下の、基礎の方にぶち込んだのかなー、と
想像していた。






  



おっと、あったよ、説明書。

「雉子橋(きじばし)(千代田区九段南)から出土した石材を使って、
 江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積みの技法を
 再現したものである。

 当時 石を割るには・・・・・・ 云々。

 石材には 、切り出しや 石積みを行った藩や石工等の刻印と共に
 石割りの際の矢穴が残っている。」


もう少し 離れた場所から出てきたものだったんだね。








↑ あれが、「矢穴」だと思うんだけどね。

うまく撮れてなくて、残念。






      

これらは拝借画像。



石組というものは 崩れてもらっては困るので
絶対に崩れない方法で キッチリと積み上げていかなくてはならない。

洪水や地震にも 耐えてもらわなくてはならない。

最も基礎を大切にしなければならないもののひとつだろう。






≪石積み≫の材料である石は 
当然ながら 固い上に難燃性があり、
国内外に 古くから 遺跡として残されている。

古くからある、ということは 
その技術は 年月をかけて 磨かれてきた、ということだ。

日本の石積み技術にも 素晴らしいものがあり、
“流派”がある。

私が知るのは ‘穴太流’というものだけだが。

穴太衆

古式特技法穴太流穴太衆石垣積 栗田建設






さて、3月1日の事だが、朝刊に
信長の小牧山城、石垣出土…安土城と同じ技術
という記事が載っていた。

愛知県小牧市の小牧山城で 
石垣が 建築当時のままの状態で 出土したのだという。



また、但馬学研究会によると、
「穴太流が高い評価で名が知られるのは、
 織田信長の命による<安土城築城>以降」
との事だ。



そうして、この新聞記事によると、
「信長の城作りの思想は 小牧山城で固まっていた」
(小牧山城は 安土城の工事が始まる13年前に築かれた)
と言われたようだ。
(城郭考古学の教授の言葉。 そういう考古学があるんだね!?)



と、いうことは。

今回 新たに出土した石垣も 
穴太衆が積んだものかもしれない・・・!






石組は
古来、城壁に使われたりして
堅固な城を築く、という目的の他に 
日本の城を より美しく見せる、という役割をも、果たしてきた
と思う。



                             つづく