この辺は 江戸城の外堀に当たるらしい。
内堀・外堀って、
二重丸 ◎ になっているのかと思っていたけれど、
どうも グルグル螺旋 みたいよ。
で、石垣。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/62/d376213d927de1ff4ac68744f030ee5e.jpg)
きっと、地下鉄の工事で
この辺を掘っていて 出てきたんだと思う。
こういうの、残しておいてもらってヨカッタと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/64/b4943626f47c67ef47d9ae2d80d5022d.jpg)
で、どれが栗石(火石)かってのは、わからなかった(苦笑)。
いや、本当は、これかな?と思ったのは いくつもあったんだけど、
本当にそれが栗石かどうかなんて、わからないし。
それに、どうでもいいし(笑)。
この下地になっている中に 栗石を入れたのかどうか? さえ、わからない。
私は もっと下の、基礎の方にぶち込んだのかなー、と
想像していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/e3/c29a7ad81052648b70f13fa96cee2737.jpg)
おっと、あったよ、説明書。
「雉子橋(きじばし)(千代田区九段南)から出土した石材を使って、
江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積みの技法を
再現したものである。
当時 石を割るには・・・・・・ 云々。
石材には 、切り出しや 石積みを行った藩や石工等の刻印と共に
石割りの際の矢穴が残っている。」
もう少し 離れた場所から出てきたものだったんだね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/62/d376213d927de1ff4ac68744f030ee5e.jpg)
↑ あれが、「矢穴」だと思うんだけどね。
うまく撮れてなくて、残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/0e/fd0c67b9f4ef6de1c195eeabb3b84239_s.jpg)
これらは拝借画像。
石組というものは 崩れてもらっては困るので
絶対に崩れない方法で キッチリと積み上げていかなくてはならない。
洪水や地震にも 耐えてもらわなくてはならない。
最も基礎を大切にしなければならないもののひとつだろう。
≪石積み≫の材料である石は
当然ながら 固い上に難燃性があり、
国内外に 古くから 遺跡として残されている。
古くからある、ということは
その技術は 年月をかけて 磨かれてきた、ということだ。
日本の石積み技術にも 素晴らしいものがあり、
“流派”がある。
私が知るのは ‘穴太流’というものだけだが。
→穴太衆
→古式特技法穴太流穴太衆石垣積 栗田建設
さて、3月1日の事だが、朝刊に
「信長の小牧山城、石垣出土…安土城と同じ技術」
という記事が載っていた。
愛知県小牧市の小牧山城で
石垣が 建築当時のままの状態で 出土したのだという。
また、但馬学研究会によると、
「穴太流が高い評価で名が知られるのは、
織田信長の命による<安土城築城>以降」
との事だ。
そうして、この新聞記事によると、
「信長の城作りの思想は 小牧山城で固まっていた」
(小牧山城は 安土城の工事が始まる13年前に築かれた)
と言われたようだ。
(城郭考古学の教授の言葉。 そういう考古学があるんだね!?)
と、いうことは。
今回 新たに出土した石垣も
穴太衆が積んだものかもしれない・・・!
石組は
古来、城壁に使われたりして
堅固な城を築く、という目的の他に
日本の城を より美しく見せる、という役割をも、果たしてきた
と思う。
つづく
内堀・外堀って、
二重丸 ◎ になっているのかと思っていたけれど、
どうも グルグル螺旋 みたいよ。
で、石垣。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/62/d376213d927de1ff4ac68744f030ee5e.jpg)
きっと、地下鉄の工事で
この辺を掘っていて 出てきたんだと思う。
こういうの、残しておいてもらってヨカッタと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/00/2f/5b810c7276216a72cef2e2fbfcb92c43_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/64/b4943626f47c67ef47d9ae2d80d5022d.jpg)
で、どれが栗石(火石)かってのは、わからなかった(苦笑)。
いや、本当は、これかな?と思ったのは いくつもあったんだけど、
本当にそれが栗石かどうかなんて、わからないし。
それに、どうでもいいし(笑)。
この下地になっている中に 栗石を入れたのかどうか? さえ、わからない。
私は もっと下の、基礎の方にぶち込んだのかなー、と
想像していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/e3/c29a7ad81052648b70f13fa96cee2737.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/88/6142eded0b1e11752ac14cbe94a0a15d.jpg)
おっと、あったよ、説明書。
「雉子橋(きじばし)(千代田区九段南)から出土した石材を使って、
江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積みの技法を
再現したものである。
当時 石を割るには・・・・・・ 云々。
石材には 、切り出しや 石積みを行った藩や石工等の刻印と共に
石割りの際の矢穴が残っている。」
もう少し 離れた場所から出てきたものだったんだね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/62/d376213d927de1ff4ac68744f030ee5e.jpg)
↑ あれが、「矢穴」だと思うんだけどね。
うまく撮れてなくて、残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/57/98/10db7e76f02378ba51f28ae328219809_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/58/6f/e2b435e7c6c2e749b53b94cac3b61653_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5b/a5/484d5e8f5c525f3b43e8da6a6673644b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/0e/fd0c67b9f4ef6de1c195eeabb3b84239_s.jpg)
これらは拝借画像。
石組というものは 崩れてもらっては困るので
絶対に崩れない方法で キッチリと積み上げていかなくてはならない。
洪水や地震にも 耐えてもらわなくてはならない。
最も基礎を大切にしなければならないもののひとつだろう。
≪石積み≫の材料である石は
当然ながら 固い上に難燃性があり、
国内外に 古くから 遺跡として残されている。
古くからある、ということは
その技術は 年月をかけて 磨かれてきた、ということだ。
日本の石積み技術にも 素晴らしいものがあり、
“流派”がある。
私が知るのは ‘穴太流’というものだけだが。
→穴太衆
→古式特技法穴太流穴太衆石垣積 栗田建設
さて、3月1日の事だが、朝刊に
「信長の小牧山城、石垣出土…安土城と同じ技術」
という記事が載っていた。
愛知県小牧市の小牧山城で
石垣が 建築当時のままの状態で 出土したのだという。
また、但馬学研究会によると、
「穴太流が高い評価で名が知られるのは、
織田信長の命による<安土城築城>以降」
との事だ。
そうして、この新聞記事によると、
「信長の城作りの思想は 小牧山城で固まっていた」
(小牧山城は 安土城の工事が始まる13年前に築かれた)
と言われたようだ。
(城郭考古学の教授の言葉。 そういう考古学があるんだね!?)
と、いうことは。
今回 新たに出土した石垣も
穴太衆が積んだものかもしれない・・・!
石組は
古来、城壁に使われたりして
堅固な城を築く、という目的の他に
日本の城を より美しく見せる、という役割をも、果たしてきた
と思う。
つづく