マグニチュード、9.0だって。
津波は ‘TSUNAMI'という 国際語なんだって。
さまざまな救援にたずさわっている人たちに
ありがとう、と
気を付けて、と
頑張って、と
伝えて。
年末に 自動車屋のアニキからいただいたシンビジウム。
私は、地震が嫌いだ。
産まれて育った家は 茅葺きの たいへん趣のある建物だった。
なにしろ、建てて100年、移築して100年、
合わせて200年の建物だった。
近くの国道を 鹿島臨海工業地帯や 成田空港建設に向けて
ダンプカーが疾走すると
家は揺れた。
怖くてたまらなかった。
地震はもっと 怖かった。
地震は、だから、大嫌いだ。
少し揺れただけで 反応するので
家族の失笑をかっている。
震度はだいたい、わかる。
ただし、震度4までしか 経験がない。
イバラキは 地震が多発するけれど、
私が知っている限り、大地震は 起きなかった。
(鹿島神宮のお陰だったかもしれない。)
シンビジウムの鉢は 頭が重い。
当然のように倒れて 廊下に石が散乱した
その時、私は、外に居た。
事務所の前の駐車場の掃除をしていた。
揺れた。
なかなか 揺れは止まらなかった。
だんだん 大きく揺れて
そして 揺れは止まらなかった。
もっともっと揺れて、
そして 揺れは止まらなかった。
そこいらじゅうの家が 音を立てて揺れていた。
立っていて バランスをとれなくなりそうで、
両手を広げた。
どの地面に立てば 安定するか?と 考えながら
両手を広げて 立っていた。
活断層がある、という土地に住んでいる。
ここが震源地だ、と思った。
地面が割れるか!? と思った。
地面は割れずに 揺れは収まったが
震度は5か6、と思った。
直下型だと 縦揺れが来るはずだ、などとは
考えが及ばなかった。
同じ猫が もう一匹いた。
廊下の本棚の上に居たのだったが、猫のくせに 着地に失敗したという。
家の周囲、近隣の家を回って
大変な事がない事を 家族で確認して
家に戻って テレビをつけて 驚いた。
そして、津波に。
さらに、火事に。
それから、爆発にも。
電話は繋がらなかった。
ようやく都内の娘と繋がって ひと安心。
イバラキとは なかなか繋がらなかった。
(イバラキは、東北地方ではないヨ。)
結局 私の実家とも 義父とも繋がって
身内の無事を確認した。
娘は この日 帰省する予定だったので
へんてこな方角に歩いてしまい、
アパートへの帰宅が とんでもない時間になったが
無事に帰れたようだ。
心配で仕方がないが さまざまな点で大事な時期なので
都内で頑張ってもらうしかない。
平積みにされた亭主のマンガ。これも散らばった。
納戸の中の いただき物の海苔の箱。
立て掛けて置いただけの額。
仏壇の中の、私のお札(祈願:身体強健)。
不安定なものは、すべて倒れた。
けれど 食器棚や本棚は無事。
当地は 揺れが大したことは なかったのだ。
(滅多にお目にかかれないほどのオンボロ屋でさえ、
まだ建っている、不思議だ!)
近隣の町では
瓦屋根のグシが落ちた、とか
大谷石の塀が倒れた、とか
停電していた、とかも聞いた。
出張先に一泊して
そこから何時間もかかって ようやくここまで来た、
という人によると、
ガソリンスタンドが長蛇の列か、または「売り切れ」、
コンビニは店が開いていない、
ガラスに囲まれたカーディーラーの建物は
変だなと思ったら、ガラスの壁がなかった、
などなど。
「うちの娘は看護師なんだけど、
停電してましたから、
患者の呼吸を助けるため、
他の看護師と交代で
患者さんの呼吸のための袋をムギュムギュしていて
帰宅が夜中を過ぎました。」
とおっしゃるオバサン。
電気がようやくついて、
ニュースを見て こんなに大変な災害だったんだ!と知って
身震いをしたという、
東北地方の身内の話をしてくれたオジサン。
「未曾有」って、
「み・ぞう・ゆう」でもなければ「み・ぞう・う」でもなく、
「み・ぞ・う」と読むんだったわねえ、
なんて事を思い出している。
たいして「考え」てなんかいないが
ふさわしいカテゴリーが
「なんでもないこと」はちょっと違うな、と思って。
暗闇は恐怖や不安を増幅させる。
水や食料の不足では 寒さが増す。
一日も早いライフラインの復旧を願う。
義父が暮らす高専賃は まだ水が出ないらしい。
メディアは 政府の対応を批判する前に、
もっと必要な、必死な情報を、どうぞ 伝えて。
節電くらいなら、あたしも頑張るから。
津波は ‘TSUNAMI'という 国際語なんだって。
さまざまな救援にたずさわっている人たちに
ありがとう、と
気を付けて、と
頑張って、と
伝えて。
年末に 自動車屋のアニキからいただいたシンビジウム。
私は、地震が嫌いだ。
産まれて育った家は 茅葺きの たいへん趣のある建物だった。
なにしろ、建てて100年、移築して100年、
合わせて200年の建物だった。
近くの国道を 鹿島臨海工業地帯や 成田空港建設に向けて
ダンプカーが疾走すると
家は揺れた。
怖くてたまらなかった。
地震はもっと 怖かった。
地震は、だから、大嫌いだ。
少し揺れただけで 反応するので
家族の失笑をかっている。
震度はだいたい、わかる。
ただし、震度4までしか 経験がない。
イバラキは 地震が多発するけれど、
私が知っている限り、大地震は 起きなかった。
(鹿島神宮のお陰だったかもしれない。)
シンビジウムの鉢は 頭が重い。
当然のように倒れて 廊下に石が散乱した
その時、私は、外に居た。
事務所の前の駐車場の掃除をしていた。
揺れた。
なかなか 揺れは止まらなかった。
だんだん 大きく揺れて
そして 揺れは止まらなかった。
もっともっと揺れて、
そして 揺れは止まらなかった。
そこいらじゅうの家が 音を立てて揺れていた。
立っていて バランスをとれなくなりそうで、
両手を広げた。
どの地面に立てば 安定するか?と 考えながら
両手を広げて 立っていた。
活断層がある、という土地に住んでいる。
ここが震源地だ、と思った。
地面が割れるか!? と思った。
地面は割れずに 揺れは収まったが
震度は5か6、と思った。
直下型だと 縦揺れが来るはずだ、などとは
考えが及ばなかった。
同じ猫が もう一匹いた。
廊下の本棚の上に居たのだったが、猫のくせに 着地に失敗したという。
家の周囲、近隣の家を回って
大変な事がない事を 家族で確認して
家に戻って テレビをつけて 驚いた。
そして、津波に。
さらに、火事に。
それから、爆発にも。
電話は繋がらなかった。
ようやく都内の娘と繋がって ひと安心。
イバラキとは なかなか繋がらなかった。
(イバラキは、東北地方ではないヨ。)
結局 私の実家とも 義父とも繋がって
身内の無事を確認した。
娘は この日 帰省する予定だったので
へんてこな方角に歩いてしまい、
アパートへの帰宅が とんでもない時間になったが
無事に帰れたようだ。
心配で仕方がないが さまざまな点で大事な時期なので
都内で頑張ってもらうしかない。
平積みにされた亭主のマンガ。これも散らばった。
納戸の中の いただき物の海苔の箱。
立て掛けて置いただけの額。
仏壇の中の、私のお札(祈願:身体強健)。
不安定なものは、すべて倒れた。
けれど 食器棚や本棚は無事。
当地は 揺れが大したことは なかったのだ。
(滅多にお目にかかれないほどのオンボロ屋でさえ、
まだ建っている、不思議だ!)
近隣の町では
瓦屋根のグシが落ちた、とか
大谷石の塀が倒れた、とか
停電していた、とかも聞いた。
出張先に一泊して
そこから何時間もかかって ようやくここまで来た、
という人によると、
ガソリンスタンドが長蛇の列か、または「売り切れ」、
コンビニは店が開いていない、
ガラスに囲まれたカーディーラーの建物は
変だなと思ったら、ガラスの壁がなかった、
などなど。
「うちの娘は看護師なんだけど、
停電してましたから、
患者の呼吸を助けるため、
他の看護師と交代で
患者さんの呼吸のための袋をムギュムギュしていて
帰宅が夜中を過ぎました。」
とおっしゃるオバサン。
電気がようやくついて、
ニュースを見て こんなに大変な災害だったんだ!と知って
身震いをしたという、
東北地方の身内の話をしてくれたオジサン。
「未曾有」って、
「み・ぞう・ゆう」でもなければ「み・ぞう・う」でもなく、
「み・ぞ・う」と読むんだったわねえ、
なんて事を思い出している。
たいして「考え」てなんかいないが
ふさわしいカテゴリーが
「なんでもないこと」はちょっと違うな、と思って。
暗闇は恐怖や不安を増幅させる。
水や食料の不足では 寒さが増す。
一日も早いライフラインの復旧を願う。
義父が暮らす高専賃は まだ水が出ないらしい。
メディアは 政府の対応を批判する前に、
もっと必要な、必死な情報を、どうぞ 伝えて。
節電くらいなら、あたしも頑張るから。