途上国が抱える諸問題のひとつに 環境破壊というのがある。
娘が行った国では
電気を売って外貨を稼いでいる。
発電所が発する公害の部分は この国で引き受けている。
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今年のテーマ・カラーは、白。
アクセント・カラーに選んだのは、濃紫色。
以前は ゴミと言えば 土に還るものだった。
けれど
好むと好まざるとにかかわらず輸入される様々なものは
腐らずにゴミとして残ってしまう。
ペットボトル、インスタントラーメンの袋・・・。
ゴミを分別する、とか 集めて捨てる、とかいう観念がないので
この国はゴミ問題は深刻化しつつある。
その上に 焼畑というのがある。
イバラキの実家の辺りでも 当地の周辺でも
焼畑という作業をする習慣がないので
私は焼畑と言うものは見た事がないのだが
この国では 農業の基本にあるようだ。
焼畑見学、というのが 娘の帰国前にあったらしい。
娘のケータイの写真に写るこの村の地面は赤く、
関東ローム層にあった イバラキの中学校のグラウンドを思い出した。
この国の焼畑は
畑にしたい(不発弾のない)土地に生えている木を切り倒し、
火入れをして焼き、
陸稲の種を蒔く。
収穫後 数年間 土地を休ませ、
木々がまた大きくなって 林や森になるのを待って
また 木を切り、焼いて、畑にする。
通常は次の作付けまで10年くらい置く畑を
(10年で 大きな森や林になるらしい!)
娘が行ったS村では
2~3年で また焼いて使うらしい。
帰還難民の村なので、農耕地が決定的に少ないのだ。
土地がないので
畑を次々に使いまわさないと 食べてゆけないのだ。
小さな藪になった状態で焼畑にして種を蒔く。
土地はどんどん痩せてゆく。
一年分の米は収穫できない。
「東南アジアの焼畑? ああ、森林破壊ですよね。」
そんなふうに言ってしまっていいのだろうか?
彼らは 彼らなりに
今あるもので 必死に食べつなごうとしているのだ。
生きるためなのだ。
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大切な財産である家畜(牛、豚、鶏など)に食べさせる草地がない。
乾季には雨が降らず、作物が育たない。
餌にするトウモロコシなどを植える土地がない。
畜産業も 行き詰っている。
そんな村の お父さん・お母さんたちが望んだ援助、
それが 学校建設だった。
こんな状況を打破するものが 教育なのだ。
たとえば東欧。
混乱の後 政情が安定した国では
教育熱が高まると聞く。
それは
為政者が変わろうと 政治がどうなろうと
身に着けた‘教育’という財産は
決して奪われることがないからだという。
必死に働いて
子どもらに教育を。
そう考える村の大人たちの気持ちを考えると
貧しかったころの私の両親を思い出して 涙がにじむ。
「おめだちには 土地も屋敷も残しでやれねえげんど、
借金してでも 学校さ出してやっかんな。」
ありがとう、充分学校に行かせてもらったよ。
あの頃 私は覚えてないけど
自分はお腹がすいてても 食べるのを我慢して
私たちに食べさせてくれたんだよね。
だから 体が弱かった私が
こうして生きてこれたんだよね。
子どももふたり授かって
(癌も授かったけど)それなりにやってるよ。
・・・・・・関係ない話になってしまった。。。
食べるに事欠くような家族が
子どもをひとり売るだけで
残りの人生を暮らしてゆけるだけのお金が手に入る。
「人身売買なんてとんでもない、やめるべきた。」
そう口に出して言うことは簡単で 正しいことのように思える。
けれど 本当にそれは正しいの?
「それは悪いことだ」なんて、私たちに言えるの?
言えない。
娘のレクチャーのメモには
そんな話があったことが記されている。
私も さまざまなことを考えさせてもらった。
最近では
(湿疹のないキレイな顔の娘の!)写真が送られてきたり
一緒に行ったメンバーで新宿で飲む、とか言って
朝帰りしたり。
くそう。。。うらやましい限りだ(笑)。
娘が行った国では
電気を売って外貨を稼いでいる。
発電所が発する公害の部分は この国で引き受けている。
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今年のテーマ・カラーは、白。
アクセント・カラーに選んだのは、濃紫色。
以前は ゴミと言えば 土に還るものだった。
けれど
好むと好まざるとにかかわらず輸入される様々なものは
腐らずにゴミとして残ってしまう。
ペットボトル、インスタントラーメンの袋・・・。
ゴミを分別する、とか 集めて捨てる、とかいう観念がないので
この国はゴミ問題は深刻化しつつある。
その上に 焼畑というのがある。
イバラキの実家の辺りでも 当地の周辺でも
焼畑という作業をする習慣がないので
私は焼畑と言うものは見た事がないのだが
この国では 農業の基本にあるようだ。
焼畑見学、というのが 娘の帰国前にあったらしい。
娘のケータイの写真に写るこの村の地面は赤く、
関東ローム層にあった イバラキの中学校のグラウンドを思い出した。
この国の焼畑は
畑にしたい(不発弾のない)土地に生えている木を切り倒し、
火入れをして焼き、
陸稲の種を蒔く。
収穫後 数年間 土地を休ませ、
木々がまた大きくなって 林や森になるのを待って
また 木を切り、焼いて、畑にする。
通常は次の作付けまで10年くらい置く畑を
(10年で 大きな森や林になるらしい!)
娘が行ったS村では
2~3年で また焼いて使うらしい。
帰還難民の村なので、農耕地が決定的に少ないのだ。
土地がないので
畑を次々に使いまわさないと 食べてゆけないのだ。
小さな藪になった状態で焼畑にして種を蒔く。
土地はどんどん痩せてゆく。
一年分の米は収穫できない。
「東南アジアの焼畑? ああ、森林破壊ですよね。」
そんなふうに言ってしまっていいのだろうか?
彼らは 彼らなりに
今あるもので 必死に食べつなごうとしているのだ。
生きるためなのだ。
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大切な財産である家畜(牛、豚、鶏など)に食べさせる草地がない。
乾季には雨が降らず、作物が育たない。
餌にするトウモロコシなどを植える土地がない。
畜産業も 行き詰っている。
そんな村の お父さん・お母さんたちが望んだ援助、
それが 学校建設だった。
こんな状況を打破するものが 教育なのだ。
たとえば東欧。
混乱の後 政情が安定した国では
教育熱が高まると聞く。
それは
為政者が変わろうと 政治がどうなろうと
身に着けた‘教育’という財産は
決して奪われることがないからだという。
必死に働いて
子どもらに教育を。
そう考える村の大人たちの気持ちを考えると
貧しかったころの私の両親を思い出して 涙がにじむ。
「おめだちには 土地も屋敷も残しでやれねえげんど、
借金してでも 学校さ出してやっかんな。」
ありがとう、充分学校に行かせてもらったよ。
あの頃 私は覚えてないけど
自分はお腹がすいてても 食べるのを我慢して
私たちに食べさせてくれたんだよね。
だから 体が弱かった私が
こうして生きてこれたんだよね。
子どももふたり授かって
(癌も授かったけど)それなりにやってるよ。
・・・・・・関係ない話になってしまった。。。
食べるに事欠くような家族が
子どもをひとり売るだけで
残りの人生を暮らしてゆけるだけのお金が手に入る。
「人身売買なんてとんでもない、やめるべきた。」
そう口に出して言うことは簡単で 正しいことのように思える。
けれど 本当にそれは正しいの?
「それは悪いことだ」なんて、私たちに言えるの?
言えない。
娘のレクチャーのメモには
そんな話があったことが記されている。
私も さまざまなことを考えさせてもらった。
最近では
(湿疹のないキレイな顔の娘の!)写真が送られてきたり
一緒に行ったメンバーで新宿で飲む、とか言って
朝帰りしたり。
くそう。。。うらやましい限りだ(笑)。
人身売買これは辛いですね。生活のために働いて収入を得ると言うこととは根本から違いますよね。
毎年色を決めて統一性のある庭造りジョルジュさんらしいです。私はウロウロ見ているうちに衝動買い後でしまったと思うことばかりです。
地雷撤去、もっとはかどる機械でも発明しないのでしょうか。出来てもしないでしょうね。破壊兵器を作る攻撃する国はそんなもの作らないですよね。早くその国の子供達が勉強して破壊兵器に対処できる、身を守るものを発明できればと思います。まだまだ書きたいことは有りますが、まとまりません(涙)
このままだといずれ不毛の大地になるのは目に見えていますから、そうなればもっと悲惨なことになるんだろうなと容易に想像できます。
私は、こういうところへも技術協力が不可欠だと思います。焼畑よりずっと効率のいい農業があるはずだと思うんですけど。。
それから、現状を見ないで無責任かもしれませんが、やはり人身売買は悪いことだと思います。
買う人がいるという社会構造が問題なんでしょうけど、家族が食べていくためとは言え、その子を犠牲にして・・・なんて私には絶対できません。物質的に満足できるようになるとしても、それで幸せになれるのかなあ?
もちろん、好き好んで子供を売る親はいないと思いますが・・・
そんな中での学校建設援助。
村の親御さんたちの期待の大きさは、計り知れないでしょうね。その中へ短期といえども身を置いてこられたのだから、娘さんにとってその経験は計り知れない財産になったことでしょう。
明日・明後日と 出かけてまいります。
遅くなってしまいますが
考え、考え、お返事を書かせていただきたいと思います。
すみません、 いつものようにくだらないお返事かもしれませんが。
考えずにパパっと書いてしまいたくないので。
ゆっくり考えて、それから、また。
たぶん 大きな森や林になってから 切り倒して焼いた方が
灰が肥料になっていいのではないかと思います。
より高温で焼けるでしょうから 害虫や雑草の種もなくなるでしょう。
短いサイクルの焼畑は 雑草との戦いだと 娘がもらったパンフにあります。
地雷の事は また別に考えたいと思います、頭の中がぐちゃぐちゃになります(苦笑)。
すでに難民キャンプから帰国した子どもが成長して
看護士や教師になったりしているそうです。
給料が安いとは言え 現金収入がいただけるわけです。
これから そうやって この暮らしの中から より良い暮らしへと 巣立っていく子が増えるでしょうか。
幸福と貧困は けっして反比例するわけではありません、
自分の置かれた環境に満足することも幸福を感じる道のひとつ、
でも 向上心や 達成感も 大きな幸福を感じる要因です。
娘と一緒に写真に写っている子らの ひとりひとりに
幸せを、と願わずにはいられません。
せめて井戸があればもっといいのでは?と思っていますが
現地を見たわけではないので 私も想像でモノを言っています。。
人身売買は・・・哀しいです。
売れる、ということは 欲しい人がいるのでしょう。
需要があるから、供給もある。
ならば 欲しい子を手に入れることができた人は
それでより幸せになれるのでしょうか?
それとも ただ単に 安い労働力としてしか 必要とされていないのでしょうか。
「おしん」とか 「小僧の神様」とか いろんなものを思い出します。
日本も ほんの少し前まで 同じようだったんですよね。
将来を子に託すのは どこの親も同じかもしれませんが
本当に未来に託しての 学校建設なのだと思います。
おかげさまで元気に(いえ、少々の下痢はあったようですが)帰宅してくれた娘、
彼女も何か大きなものを得たと思います。
それをどう生かすか、それとも生かしきれずに終わるか。
いずれにしても 決してこれからずっと忘れずにいてほしいと思っています。