ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

子育ては‘どんどこ踊り’

2007-05-17 | こどものこと
吉村作治氏が 先日のお話の中(5月14日の記事)で

「子供に夢中になるものを見つけさせ、
 興味を持続させるにはどうすればいいか?」

との質問に答えて

「まず 子どもが夢を見なければいけない、
 そのためには 子供にいろいろなことを体験させること」

と言っている。






ご近所散策の折の、ジャーマンアイリス?
アヤメやカキツバタでは、ないよね。





親がいいと思ったものがいいとは限らない、

何をやってもいいんだと
(ただし公序良俗に反するもの、
 人に迷惑をかけること、
 自分を木津つけること以外は)
親が価値観を変えなければならない、

ちょっとやって ダメだとあきらめた時には 
また探せばいい、
持続性がないと勝手に判断しない、

などなどが書いてある。

そして
「親として つかず離れず 見ていること」が大切、と言う。



そのあとに
「それは 花の栽培にも似ていますね。
 
 水をやり過ぎれば 腐ってしまいますし、

 やらなければ枯れてしまう。」

という言葉があった。

これは 意外とたくさんの人が実感しているのではないだろうか?

私もそうだった。








いろんな色のこの花を見たことがあるが
複雑な色のものは 不思議と減った気がする。








どうやら子どもは こちらの思い通りになるのではないらしい、
と思い知った後も

思い通りにならない自分の身体と
困ったことばかりしてくれる娘とに疲れ果てていた頃。

家から出ることは たとえ買い物でも自由にならなくて
毎日 毎日 毎日 毎日 家にいて
(あ、これは 今でも ほとんど同じか!)

それで 出かけることをあきらめた時に
開き直って始めたのが ガーデニングだった。

これは、(腰は痛くなるけど、)楽しかった!

そのうち ふと 気づく。

花は 子どもたちと一緒だと。

花は 子供たちなんだ、
子供たちは 花なんだと。



氏が言うように

水をやらなければ枯れてしまうし、

やり過ぎれば腐ってしまう。

肥料をやらなければ 育ちが悪いし

やり過ぎれば やはり枯れてしまうのだ。



植え替えも 水も 肥料も 適切な‘時’がある。

‘時’をはずしても
愛情が足らなくても
手をかけすぎても 
花は思い通りに咲いてはくれない。



根が詰まれば成長しない。

植え替えが遅れると
根が詰まって ひねこびてしまう。

ちょうどいい大きさの鉢に植えた時のほうが具合が良さそうだ。

根を上手く張れた苗は 多少の風雨でどうにかなるものではないが
張れなかったものは・・・無残な姿をさらけ出す。



一方、植え替えた途端、2、30分もすると
グン!と音を立てたように 一回りほども大きくなる苗に
目を見張ったことがある人も多いことだろう。

必要な時期に 必要な手間をかけてあげられたことの、
安堵と喜び。

それにも増して、
植物の生育の旺盛さ、生命力の強さと美しさ。



これは 私が育てているのではない、
植物が自分で育っていくのだ!

私は それにちょっと手助けをしてあげているだけ。

子育ても同じかと思う。

子どもは 放っておいても 勝手に学び、育っていく。

しかし手助けは必要だ。

だから 子育てというものは

トトロが 
夜の庭の 土に埋めたどんぐりの前で

♪どんどこ、どんどこ、どんどこ、どっと♬

と踊りながら
 
芽を出せ、目を出せ、
大きくなれ、大きくなれ!

と念じていた(と私には見えた) 
あの‘どんどこ踊り’と同じようなものなのだ、と思える。

トトロも 精一杯パワーを出して
一生懸命に念じていたではないか。

人をひとり育てるということは
この‘どんどこ踊り’と一緒で
単なる手助けであり、
そして・・・パワーの要るものなのだ。





「みんな違って みんないい」は この花のためにある言葉?





私はいったい子どもたちに何を求めているんだろう?

旺盛に根を張って 風雨にまけない 葉色も美しい丈夫な苗が
人生にみごとな花を咲かせてくれることではないのか?

立派な実を 実らせることではないのか?



そのためには
手をかける‘時’を間違えてはいけない。

愛情という肥料を注がなくてはいけない。

手間をかけなくてはいけないが 
愛情も肥料も 
かけすぎては 
足りないよりももっと 取り返しのつかないことになる。



水が足りなくて萎れたものは
あわてて水をやれば丈夫なものは元気を取り戻すけれど
水をやりすぎて腐ったものは
水遣りを止めても 腐るのを止める事はできない。

肥料が足らなくてひ弱な苗には 
肥料を足せば大きくなることもあるが
やりすぎて枯れてきた苗を 蘇らせることはできない。



植え替え時期に植え替えるように
世界を広げてあげなくては。

根っこを充分に張れるように
空気をいっぱい吸い込めるように
自由にさせてあげなくては。

手かせ・足かせをつけてはいけない。






今年はいったい どれほどの実をつけるつもりなのか?
満開の柚子の花。





私は それはもう いろんな事を 植物に学ばせてもらった。

最初に蒔いた種は、いきなり、パンジー(爆)。

パンジーのおかげで(笑)
子どもたちは(今でも 多々問題はあるけれど;涙)
なんとかここまで大きくなった。

花に学んでからは
「今 これが どうしても必要か?」
「今 一番必要なのは何か?」
「今 どうしてやることが一番この子にとっていいのか?」
「将来 これが この子の役に立つのか?」
などと考えて 子どもたちに対処できるようになった。

どうもそれまでは
私自身の「こうあってほしい」型に 当てはめたくて
無理をしていたようだ。

無理をして 型に押し込んでは 反発されて 
がっかりしたり 怒ったり。

これは、かつての 実家の母や姉と 同じ苦しみ・哀しみだ。

けれどウチは
反発してくれる子どもたちでよかった!(いや、ホント!)





さて、それでは ウチの子たちは
どんなに素晴らしい苗、いや 子どもたちに育ったか?

う~~~ん。。。(汗)(汗)(汗)(汗)(汗)(汗)

亭主も娘も 私が息子には甘すぎる、と責めるんだけどねえ。

あの子、言うこと聞かないのよ。

それに、娘よ、
私は 相当 お前にも 甘くしてるつもりなんだけど(苦笑)。

パパ、あんたにもね(爆)。


4 コメント

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いいお話が聞けました (scops)
2007-05-18 12:08:39
我が家は下の子も今年20歳を迎え、今の段階では概ね順調に育ってくれているように見えます。
そろそろ子育て終了の年代ですが、振り返ってみると思いがけずこんな方法を実践していたなと胸をなでおろしています。

この「見極め」と「加減」が親としては難しいけど、親の一番大きな責任といえるのかもしれませんね。
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我が家も  (ジョルジュ)
2007-05-18 21:44:23
下の子が18歳、でも まだまだ心配は続きます。

加減、これはむずかしいですね。

そして今でも私は あれはまずかったか、こうした方がいいか、ああ、どうすればいいの?と 迷ってばかりでいます。

ただ 冷静に振り返ることができるようにはなりました。

子育ては難しいです。
理想も正解もありません。
でも やはり 大切な仕事だし やりがいはあります。
・・・・・・大変でしたけどねェ。。
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こんにちは ()
2007-05-22 13:07:55
ユズの花沢山咲いていますね。でもこれが自然落花して木の分にあった果実が実ってくれますね。順調に育つかと思っても、日照りや台風でやられてしまうこともあるし、反対に恵まれた環境で豊作になることもある。

アヤメや菖蒲は雨に濡れたイメージがありますが、ジャーマンアイリスは雨に濡れない方が何となく良さそうですね。沢山の花色、これにはまる人もいるそうですから、魅力的なんでしょうね。私は育てたことはないです。

子育て、振り返ればああすればこうすれば良かったと思うことばかりですが、もう考えたくない心境です(笑)
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自然淘汰 (ジョルジュ)
2007-05-22 21:31:42
我が家の柚子は 結実する数は あまり多いと 木が弱ると思うので
まだまだ これから 淘汰されることでしょう。
でも 今年は豊作かも?と 密かに喜んでいるのです。

花菖蒲が以前から この庭にあり、
ガーデニングにはまる頃 株分けをしたりしていましたが
いつの間にか消えてしまいました。
花菖蒲は アヤメと違って
水はけのよい乾いた場所がいいのだと 聞きました。
当地は 水はけのいい土ではないので 土壌改良が先決、と悟った次第です。

子育てに関しては もうふたりとも高校を卒業したことですし
あまり考えないことにします(笑)。
どうせ思ったとおりになんか なりゃしませんし。
私にできることは?と考えると
まあせいぜい 美味しい晩ご飯を、ということになりますが
これは 私も食べるわけですので 可能な限り 美味しいのを作り(食べ)ましょう。
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