自分ではない不思議な力が働いていると感じます。キリスト教では天から下った聖霊と言っていますが、生きている人はすべての人に不思議な力が働いています。自分が気づかなくてもすべての人を生かしています。
しかし、気付いて、祈ったり、助けを求めたりすると、気付かないでいるときより、顕著な支援を受けることができます。信仰の力です。
この不思議な力は何であろうかと考えて生きてきましたが、動物的、原始的精神であるとの確信を深めています。生きている人間は、自分ではない、自分が通常認識しいない「人の精神」が黙々と働いて生かしています。人間が人間らしくなったときから発達してきたのが自我です。これは誰でも認識します。考える自我です。しかし、人間は人間らしくなる前、気が遠くなるような長い年月を動物的存在として生きてきました。考えない精神が作動していました。生きる、生かすという機能のみ発揮する原始的、動物的精神です。本能です。存在力です。
生きている生物学的細胞・組織とは別の、個体を生かす総合的本質的精神機能です。
これは「人の神」と呼んでいいと思います。人は万物に神々の存在を感じていますが、自分あるいは人には「人の神」が存在すると感じています。「人の神」の力を認識し、信じる人は幸福です。不動の平安を楽しむことができます。老病に苦しむ状態になっても、平安を失いません。確かな支援者を感じて生きているからです。絶望的孤独を感じることがありません。
「人の神」は、家族や友人、国などよりはるかに信頼性が高いと思います。否、「人の神」を信じて生きる以外、平安幸福に生きる方法はないと思います。信頼性がない、空しいものに依存して生きて幸福になるなんてありえません。