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시래기
干した大根の葉
束草小学校に勤務した頃のことだ。
その頃と言えば、束草は非難民が集まって暮らしていて貧しかった。
漁村なので魚を獲って生計を立てた。
魚の獲れない日は食べることができないのも茶飯事だった。
当時は高学年になっても文字を読めない学生が多かった。
だから私は勉強させるために日記を書かせた。
ある日涙でしわくちゃになったドンチョルの日記を見つけた。
文字がにじんで読むことができなかった。
私はドンチョルを呼んで日記の内容を話すことができるか聞いた。
ドンチョルはためらったがすこしずつ話を始めた。
学校に来る途中で大根の葉を干したのが一束落ちているのを見つけたのだった。
瞬間、病気の母に大根の葉の味噌汁と作ってあげたいと思ったが、
学校に行かなければならず、どうしようもなくてあきらめた。
だけど、授業の間中干した大根の葉のことが気になって
先生の話はひとつも耳に入ってこなかった。
だから「あの干した大根の葉は、母に持ってもって行きたいので誰も持っていきませんように。」
と何回も祈った。
ドンチョルは「でも、自分よりももっと貧乏な人がいたらもって行ってください。」
と心にもないことまで思ったと頭を下げた。
学校が終わるなり、その場所に走って行くと
幸いにも干した大根の葉はそのままだった。
味噌のカメのそこをこそいで味噌汁と作ると
めったに食べない母が額に汗をかきながら2杯も食べた。
その姿を見て涙が出そうだったが母の前だから我慢したが、
日記を書きながら泣いたということだった。
私はジーンとして言った。
「しっかりしていると思っていた。ドンチョルや。
私がもっと気を使ってやらなければならなかったのに、、、」
ややもすると見過ごしたかもしれないドンチョルの苦しみを日記で知ることができ幸いだった。
ヤンチュノク
(2023/7月25日画像サイズ変更)