
一度勝ってみなさい、人生が開ける
自分との戦いに一度勝ってみると、人生がするすると開ける。節制の価値を体験すると、何をしたとても自己管理が上手くいく。特に自分に勝つことができないと、事業に成功することができない。貪欲から抜け出す秘訣は自分に勝つことだ。貪欲から表出される欲望を管理してなだめたならば、次の誘惑にも勝つことができる。
「自分との戦いに一度勝つと終わりだ」という意味は、一度だけ勝つと、習慣として形成されるということだ。ただの一度勝てば良いのだ。目をぎゅっとつぶって一度だけ我慢して見よう。私達が遭遇している戦いの類型は、以外にも多様ではない。いつの瞬間も、ただの一度で終わり、同じ状況が反復される。一度が2度となり、2度が3度となる。結局は一つの戦いが、いつも、生涯、私たちについてくるのだ。勝てば、喜びであり、倒れれば苦しみだ。
ある日、事業に対する相談をしに来た中年の夫婦から聞いた話しだ。何年か前に不動産仲介業者が土地を紹介してくれ、急に大金持ちになった。その不動産仲介業者が別の土地を紹介してくれ、良く聞きもしないですべての財産を全部払って土地を買ったが、詐欺にあったと言った。今は何も残ったものがないと、涙を浮かべた。底辺からまたはじめなければならないが、どうしなければならないのか事業コンサルタントを受けたいと言った。
私はこの夫婦に、この経験を通して最も大きく学んだ点は何かをたずねた。
「もう誰も信じようとは思いません。石橋も叩いて渡るという真理を学びました」
「違います。間違っています。貪欲を節制する姿勢を学ばなければなりません。貪欲になれば事業でも個人の仕事でもだめになります。小さなことに満足して、他人の成功をうらやまず、祝ってやる心を学ばなければなりません。短期間に事業をやって借金を返そうと思っても無理数を置くことになり、つらく苦しいことになります。ですが、欲を捨てて余裕を持ってみなさい」
そして客を満足させ、上手くいく戦略について教えてやりました。
もっと多く持とうとする「所有の誘惑」は太古から続く原始的な欲望だ。人々は決して満足できず、「もう少し多く所有すること」を望む。しかし、欲望に引きずられたならば目標を成就することは難しい。欲望ではなく仕事の本質に忠実でなければならない。
私は幸福の反対語が不幸ではなく「貪欲」だと言いたい。貪欲は平安と幸福を盗んでいく盗人だ。心を強く守って、近づいてくる誘惑に、ただ一度、勝った時、幸福を維持することができる。動機を付ける適当な要求は必要だが、過度な欲は人生を疲弊させるからだ。いつの瞬間も節制を体になじませていなければ、人生の幸福を奪われ不幸に遭遇する。自分と戦って勝つ方法は、持続的に学ぶことと、学習として実らせなければならない。
自分と戦って勝つためには1番目には、まずしっかりした未来を設定しなければならない。現在遭遇している困難を上手く克服したならば必ず夢がかなうと信じることだ。未来のための大きな夢がある人は、おなかがすいていても我慢して勉強する。苦尽甘来、苦労の後に訪れる甘さ(幸福)を知っているからだ。こうやって訓練された人は未来を設計する術を知り、未来と話をするようになる。環境を超越して自分との戦いに勝つことができるのだ。プロは未来と約束する人だ。デジョヨンが高句麗の再建という未来を見ることができず、部下に見せることができなかったなら、渤海の建国が可能だったろうか。そのように私達も未来を自らに、毎日、毎日見せてあげなければならない。未来の自分の姿を毎日、連想しながら自分との約束を信じることで実践していけばいいのだ。
2番目は「もう少し」やってみようという意志を持たなければならないということだ。人が途中で簡単に崩れる理由は、もう少しやってみないで「ここまで」というところで止まるからだ。なぜそうなのか。内面の力を十分に活用することができないからだ。人は自分に内在された力を10%も使うことができないと言う。自分と戦って勝つ方法は、心の力を活用して「もう少し」やってみることだ。私達の最も大きな浪費は、隠れている力をちゃんと使わないことだ。自分を望んだとおりの人物にしてくれる力、望んだものを手に入れさせてくれる力、追求するものを成就させてくれる力は、私達の中に眠っている内面の力だ。内面のエネルギーは、私達が使ってやることを願っているのに私達は使わないでいる。
環境のせいであきらめたならば、どんなに愚かなことか。勝利はいつも内面から起こる。内面の粘り強さで「もう少し」やってみる意志を持たなければならない。粘り強さとは、我執と偏見に捕まって出世のための些細なことに執着する態度ではない。すべての人が皆あきらめても「もう少しだけ」やる内面の力を引っ張り出し戦勝することだ。
3番目は自ら学ぶことだ。鋭い棒切れで土地を開墾する未開の農夫が鉄製の農機具に対して知ることができなかったら、便利な方法を望むはずが無い。しかし、彼が鉄製の農機具を一度見たならば、どんなに有益なのかを悟ったならば、鉄製の農機具を手に入れようと努力し使い方を学ぼうとするだろう。
すべての領域に学ぶことが生じる。学ぶ個人と組織は未来がある。反面、学習しない組織は未来が無い。徐々にだめになる準備をしているのだ。歴史は、学ばない個人と組織に対してはいつも過酷だった。
4番目は、現在を楽しむことだ。未来に大きな絵を描いたならば、これ以上の将来に対する不安と、ばら色の未来に対する幻想をすべてたたんでおかなければならない。未来のために現在を抵当に取られたまま生きているという心を持っていることは危険だ。そのような心を持っていることで現在を耐え抜いているならば、苦しさに押さえつけられ長く耐えられなくなる。現在していること事自体に面白みと意味を感じなさい。そうすれば疲れてあきらめることを防ぐことができる。
やせたいという目標意識を持って「もう少し」耐えようと心に決めても、運動自体に楽しみを感じることができなければ、持続的に運動をすることはできない。勉強と職場、人間関係も同じだ。持続的な努力で自分を克服することができるキングピンは、現在している努力自体に意味を見つけ、幸福の意味を付加することだ。心に刻みなさい。心の安定が無くてはどんなことも成し遂げることができない。
新年になると人々は多様な計画をたてて希望を抱く。しかし、大部分は意志の不足と周囲の環境により失敗する。ある新聞社で、職場人に新年の誓いについてアンケートをしたら、「健康のために運動をする」が1位になり、「語学、趣味などの自己啓発のための勉強」が2位、「禁煙、禁酒」その後に続いたと言う。計画をどれぐらい良く守っているかという質問に、応答者の72%が「ちゃんと守れていない」と答えた。その理由で「一人で始めるのが漠然とした」「わずらわしく面倒だ」「私は勝てない」という応答が多かったと言う。そうだ。この世の中に計画を立てなかったり、立てることができない人は一人もいない。ただ、計画を実践することは誰でもできることではない領域だ。計画は実行で実るようになり、成果という実を結ぶ。実行の下支えの無い計画は空念仏に過ぎない。
あなたはどうですか。自分で決めたことをちゃんと実践していますか。三日坊主ではないですか。次の10個の質問にハイ、イイエで答えて見なさい。
項目ごとに10点だが、1,2,5,7,9,10は「ハイ」が10点で3,4,6,8、は「イイエ」が10点だ。あなたは何点ですか。70点以上ならば成功可能型だ。だが、40点以下ならば三日坊主型だ。60点以下ならば1ヶ月坊主と言うことになる。
1 私は何事でも目標としたことは最後まで我慢して達成する。(ハイ、イイエ、)
2 私はいくつかのことを同時にうまくやることができる。
(ハイ、イイエ、)
3 私は、計画は立てるが根気が足りないほうだ。
(ハイ、イイエ、)
4 私は誰かが助けてくれなければ一人では計画を上手く実践するのが難しい。(ハイ、イイエ、)
5 私は計画をたてる時、実行単位で立てて評価することが好きだ。(ハイ、イイエ、)
6 私は遅れた計画のために進み具合が悪い。(ハイ、イイエ、)
7 私は計画表よりは行動単位で評価する。(ハイ、イイエ、)
8 私は成果よりは過程が重要だと考える。(ハイ、イイエ、)
9 私は何をしようと面白みを感じる。(ハイ、イイエ、)
10 私は仕事の仕上げのために粘り強く食い下がる。
(ハイ、イイエ、)