6月13日 夕方、下関に住む友人から電話があった。
先日の墓参り案内のお礼とブログを見た事についての感想だった。
ブログに返信しようとも思ったが直接伝えたいので電話にしたと言った。
互いに還暦過ぎた。
彼から下関に日本一の夕日を見に遊びに来いと言うお誘いもあるが
今後会うのは難しいだろう。
昭和43年夏、日韓親善登山隊の一員として、日韓が国交開かれていなかった時代
寝台特急「あさかぜ」で下関に着き
関門海峡を韓水丸という貨客船に乗船して
関門海峡を通過した。翌朝釜山の港に着いた。
昭和43年夏 二人は既に旅立ち、一人は行方分からず、一人は病に。
当時あれが巌流島だとデッキで見た微かな記憶がある。
青春無頼を謳歌した東京は高度成長の曙だった。
学生運動騒乱、応援団 団長であった彼の同期団員は
三島由紀夫事件で盾の会 隊員で市谷に立て篭もった。
学生運動でキャンパスは封鎖されて勉強もろくすっぽせずに
卒業して、みんな普通の人になって故郷に帰る者、東京に残る者
海を渡る者。結婚 子供を持つ。
遠い日々は加速度増して去ってゆく。
だが、埋れ火のごとく青春のたぎりが燃え上がってくる。
時、流れて普通の老人になって、まもなく私達の時代は終わる。
老いてこそ仲良くしよう。