森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

「地球、光りなさい」を想う‐キエフにて

2010年09月14日 | 随想・エッセイ

この夏、北のモスクワ周辺では、灼熱で森が焼けた。Img00209201009121513 ウクライナでも摂氏40度の異常な夏が続いたそうだが、 日照時間が短くなるにつれて、木々が黄葉に色づき始めていた。異常に熱い夏の次に続くのは、短い秋とマイナス30度の例年にない寒さの冬との気象予報が出されているらしい。異常に寒い冬の訪れを前に、寒さに慣れているはずのキエフの人々が言う、「地球がおかしくなってしまった。何かが起こる。怖い。」 Img00194201009121314_2千年以上続く石畳、森の都市と言われるキエフの公園の木々は、急変する人間の営みが地球に負担をかけ、地球が呻き声をあげている事をきっと感じている。今、キエフに居る。

自然環境問題とは縁遠そうなウクライナで、気候の異常を嘆く言葉は意外な気がした。Img00231201009121552 チェルノブイリはここから100km程度の北にある。ソ連邦時代に人間の起こした直接的環境汚染の洗礼は受けているので、産業原因による環境悪化には敏感とは思っていたが、地球の急激な変化に危機感を持つウクライナの人々の言葉を聞いて、この天体の生命環境は急激に変化していると痛感した。欲望の笛に導かれる人類の滅亡の歩みは、もはや止められない。文明化して以来、数千年の人類の営みが地球を滅ぼす。地球の限界を感じた最期の人類は、何れは宇宙に脱出する。何万、何億年もの間、宇宙を放浪している間に姿形が変った人類の末裔が、別の地球を見つけるようなことが何万年後かに起こるのかも知れない。Img00240201009121843_2

ある取引の見極めと契約交渉にキエフに飛んできた。実現すれば、クルド地区の経済発展の為の資するかもしれないが、地球の滅亡を助長する大型石油産出設備の供給になる。10年前に、達成感と自戒をもって自ら「筆を折った」はずの仕事だったが・・・。

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涸れない泉-ウイーンにて

2010年09月11日 | 随想・エッセイ

私の心の奥底には空洞がある。そこは光と緑が溢れる泉があって、Img00066201009110900清らかな水が流れ、 小さな生態系の生命の営みが繰り返されている。嵐や吹雪に遭遇しても、砂漠のように渇ききっても、そこだけはいつも変わらずに守られてきた。どんなに打ちひしがれても、辛くても、心が凍える思いをしたときも、自信を無くしたときも、心の底の、そのまた底にあるそのひみつの泉だけは変わることはなかった。だから、人が避ける人も仕事も受け入れる事が出来たし、どんな嫌なこと悲しいことも乗り越えられた。泉があると思うと、どんな事も頑張れた。Img00057201009110853

あの頃から38年が経過した。人生で最初の小さな挫折を味わって、現実から逃げ出すためにヨーロッパを旅した。その時に見たヨハンシュトラウス像に再会した。Img00133201009111016金色に輝く像は、あの時の雨に黒く濡れた悲しげな姿とは違う。 秋色が染まり始めたウィーンの公園を歩きながら思う。心の奥底の「涸れない泉」は、あの頃に生まれた。

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「森の時間」が再開

2010年09月04日 | 随想・エッセイ

Img_8198_4 人生の大きな変化を楽しんでいたら、瞬く間に半年が経過した。変化を我が身に受け入れ、自分に与えた命題を前進させるために、自分と対峙するゆったりとした時間、「森の時間」を再開することにした。

   

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眉山

2010年03月07日 | 随想・エッセイ

30年間秘めたる、封印した思い。余命僅か、残された時間をしっかり見つめて生きる最期の時、その思いが開封される。

眉山が徳島市にある山である事を、この「眉山」を見て初めて知った。徳島には一度も行ったことがない。2泊3日で90円のレンタルDVD。深夜一人で観賞した。多分、娘が主人公なのだろうが、心の奥に澱む秘めたる思いを抱えて生きた母、父と名乗れぬ同じ思いに耐えた父の思いに、深夜ひとり涙する。私にも封印している思いが・・・。

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This time It's real -「今度は愛妻家」

2010年02月27日 | 随想・エッセイ

「先走る彼女の背中を追いきれず、一人、取り残されてしまった男の後悔と悲しみ。」(金原由佳)

女性が肉体的に子供を産むタイムリミットを日々感じ出す年齢がある。産むか、産まないかという選択は女性にとって大きな命題で、どちらの選択をしようとも、年齢的に子供が産めないという動かしようもない事実と期限は確実にやってくる。女性は体内時計に耳を澄ませ、その音にせかされるように決意する。体内時計の針音が鮮明に聞こえているのに、聞こえないふりをしているぐうたら亭主。暴言を吐き、ワガママをいい、妻の願いを思いっきり無視し、母親に対する子供のような妻の安心感にとことん甘える男。この好き勝手に生きられる、居心地の良いままを願い続け、夫婦関係が激変することに漫然とした不安や戸惑いを感じて暮らす。しかし、その一瞬、一瞬を積み重ねる生きる時は、いい方向にも、そしてよくない方向にも向かう。激変が男を襲う。

富良野の森のコーヒーショップ「森の時計」、静寂の夜更けに語り合う夫婦。ニューヨーク単身駐在中、息子の運転する車で事故死した妻に、その日の出来事を語る男。「優しい時間」では、男の亡き妻に向かい合い、息子を許し受け入れてゆく過程が流れのテーマだった。ある部分、このドラマにも似ていると思った。

自分のぐうたらが引き起こしたと思える事故で突然妻を亡くし、全く予期せぬ状況に投げ込まれた男は、現実を受け止められずに、以前同様の妻が居る日常生活を空想の世界で積み上げてゆく。立ち直るのは、一年目の命日、クリスマスの日。妻の大好きだったクリスマスツリーを飾りつけ、ケーキのロウソクを二人で吹き消すと、幻の妻も消えてゆく。「今度は愛妻家」というのは、そんな映画だった。

ことしの誕生日プレゼントに、映画鑑賞券があった。この映画を是非見るべしと言う息子のプレゼント。終わりかけていた映画なので、上映館が限られ、探し当てた映画館もいつまで上映するか分からないというので、この日銀座和光裏のビル4階にある小さな映画館に行った。夜7時15分から一回だけの上映。結構長めの作品、約2時間20分。前半はつまらぬ映画かもしれないと思いつつ見ていたが、最後のほぼ5分間に全てが凝縮されていた。最後に分かるテーマ本質を各シーンで再確認したくて、もう一度見たくなる映画だった。

週末の夜、空いた映画館でゆったりとして、切ないファンタジーに包まれて思った。私にとって、本当に大切な事は、そして大切な人は・・・。

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薄氷

2010年01月18日 | 随想・エッセイ

Nec_6251

この週末も晴天、抜けるような青空だった。日本中が寒気に包まれている。先週に続き、荒川土手ジョッギング。河川敷のビオトープのため池の表面には、昼下がりの太陽光にも解けずに薄氷。

週末の一日は必ず母の居る実家に行くようにしているので、週末の天気の良い日を選んで出来るだけ屋外に出る。この日は出発前にヨガもどきの柔軟体操をしてから家を出た。なんとなく筋を伸ばしすぎたような気がしつつ、ゆっくりといつものコースを巡る。農業公園前の斜面を思いっきり駆け上げようとした時、左ふくらはぎがビリとし、突然膝が曲げられなくなった。あれれ、何だこの痛さは。う~ん、たぶん筋を切ったのか。Nec_6253でもなんとなく歩ける。農業公園を一回りして、休憩していたらふくらはぎが固まってきた。つっぱて歩けない。何とか家まで戻らねば。走っても30分かかる地点に居る。足を引きずりながら歩き出すと、なんとなく楽になってきた。軽く走ってみた。行ける。そのまま、ゆっくりと走り続けた。帰宅後、無茶して、馬鹿な事をしたと叱責、ひんしゅくを買わぬように、家族には内緒にして平静を装った。今まで、無理した日程の運動、山歩き、小屋の作業で転倒、転落して、怪我、骨折、入院、自業自得と言える事故を何度となく起こしている。こんな穏やかな日、軽いジョッギングしていただけで、まさかの怪我? その日は何食わぬ顔で終えた。翌日、ふくらはぎが更に腫れていた。痛い。歩けない。その日の夜、急遽、「T整骨院」に行った。我が家の困ったときの万能医。予約取るのは容易でないが、家族が予約入れていたのでそれに便乗できた。

不思議な装置で診察してもらった。装置が当てられている10-15分間の静寂。やはり靭帯が切れていると。7mm程、つまり筋の数で70本ほど切断されていて、僅かな筋がかろうじて繋がっている。全部切断されていないので、治りは早いだろうと。これだけの靭帯裂傷だと、通常はギブスで固めて、完治するのには一年半程度はかかるだろうと言う。え~っ!

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日本の存在感

2009年12月23日 | 随想・エッセイ

今年四度目のカルガリー。記録的な寒波が停滞していた。町中を歩く人は疎ら。太陽が出ている昼間でもマイナス20度以上の氷点下の日がある。間もなく冬至。午後3時過ぎには日没になる。日が消えると一層冷え込む。町中のビルも家々もクリスマスデコレーションが飾られ、郊外の家々の窓からは暖かい明かりがこぼれる。記録的な厳しい冷え込み。人々は暖かさに集まる。 Img_5996

アルバータ州の中央部に、石油産業の周辺産業が集中している一帯がある。今回の出張目的の一つは、契約した荷物の到着を確認し、代金を回収すること。寒さばかりでなく、今年は降雪量も多いと聞いていたので、雪深いヤードに行くために、寒さ、雪に強そうな車、大きめのSUVを借りた。Img_5977走行距離80Kmの新車があった。私が始めての借り手。カルガリー-エドモントン間往復600Kmの長距離ドライブは快適。疲れ知らず。雪上ドライブも安心だった。しかし、寒さで疲れ切った帰り道は、時差もあって、眠気と戦いながらのドライブ。カルガリー近郊のRest Areaにやっとの思いでたどり着き、ひと寝入り。凍死しかねない寒さに10分もしない内に目が覚めた。 Img_5971

CIBCの定期預金の一部を解約して円転し、日本での生活費の足しに持ち帰る。これも出張目的の一つだった。難なく円に換えられると思っていたら、円を取り寄せるのに5日必要だと言う。以前は、同じCIBC支店で即日円転できたはずだ。巨額の場合は中一日待たされる事はあったが、最近は円は常時準備していないと言う。ならば町中の大きな両替屋で変えて貰おうと向かったが、Near_hotel_small_park2万4千円しか手持ち円がないと言う。CIBCの飾り付け、宣伝文は英語と中国語。貰ったカレンダーは中国版。破竹の勢いの中国が日本に入れ替わったということだけではない、西洋社会における東洋ポジションは中国、そして韓国に取って替わられている。カナダに登場する人の数、投資金額、人気商品は中国と韓国。今や、Sumsong、LG、Hyundai等の韓国ブランドがかつての日本品のように安心できる商品、品質の代名詞になっている。

日本国内では、政治と金、内向き、大衆迎合・日和見的政策ばかりが注目され議論が沸騰している。超ドメスチックで営利集団と化した日本マスコミには世界を見る目はない。私がマスコミに憧れた時代は、世界が見たい、世界の大国・小国の人々・政治・文化に大いなる関心があった。平和と豊かさに身体が緩んだ、無意識な国民が一面的なマスコミに扇動される。世界第二位の経済大国時代は終わった。地球上の生存競争はますます激化する。国家の闘争心に躊躇いがあると蹴落とされる。世界の中で、日本の存在位置を確保し、存在感を誇示し続けないと、日本の豊かさ、繁栄は砂上の楼閣の如く、ひと波で跡形もなくなる。Img_6133

民主党の対米非礼的外交、なに故の媚中外交なのか、この国はどこに行こうとしているのか、ダッチロールしているように思える。日米同盟軽視、無視する発言の数々。アメリカにおいては、日本の同盟国としての位置付けが急落している。政治的軋轢が解消されなければ、いずれは経済で叩かれる。アメリカの経済・産業界で起こる事は、必ずカナダでも起こる。そして白人列国、ヨーロッパに伝播する。政治がふらつくと、世界で輸出立国日本の企業が叩かれ、日本経済の縮小が始まり衰退する。貧すれば鈍する。志を無くした国民の心は荒み、やがては東の外れの小国でしかなくなる。日本国民に一次産業に戻る覚悟があったとしても、目一杯国内資源を活用し、養えるのは7千万人程度らしい。エネルギーは僅かしか手に入らない。便利過ぎた今日の生活、夜の明かるさはなくなる。残されたこの国の富は、善良でない在日韓国人、怒涛の如く押し寄せる新参中国人に奪われ、在来日本人の大勢が下層階級を形成する。日本人の国家は消滅する。そんな展開にしてはいけない。

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産土

2009年12月12日 | 随想・エッセイ

江戸川に迫る下総台地の西端、鬱蒼とした斜面林に囲まれた千葉大学園芸学部のキャンパスがある。そこから二百メートル程離れた場所に、形の良い独立した山丘がある。標高28mの、富士山に似たその山頂部には「浅間神社」がある。私が中学生の頃に、その森は千葉県天然記念物に指定されている。Nec_6213神域として保護され、自然放置された森の内部では、日照・気温・温度などの自然環境に適応できない樹木の淘汰がすすみ、生育に適した植物のみが高木、亜高木、低木、草本の層位ごとに定着し、小高い山全体が暖温帯の安定した森林を形成している。高木としてヤブニッケイが繁茂し、タブノキ、ツバキ、ムクノキなどの原生林が残る、照葉樹林帯の極相林となっている。

私が生まれたのは、松戸市小山。浅間神社を望む矢切の台地が幼年時代を過ごした土地、私の故郷。台地の西端からは、ゆったり流れる江戸川越しに大都会東京のシルエット、その先に富士山が遠望できる。眼下の江戸川流域には今も田圃が広がる。稲を栽培するには、完全平面農地でなければならない。斜面を開墾し、水田にするには何年も、何代もの世代が苦労し、良田が生まれる。江戸川の氾濫域は平たいので比較的開墾は容易だったと思うが、50年前頃まで河童沼と言われる底なし沼状態の湿地で、田圃にできない池が散在していたので、平地ではあっても田圃への開墾は見た目ほどには容易ではなかったのだろう。

何代もの世代が開墾した土地、田圃は親から子、子から孫に伝えられた。この伝統が土地に対して愛着を生み、郷土意識を育て、この列島、文化を愛する愛国心に発展する。日本人の愛国心は、田圃、土地に対する姿勢、稲の生産の母体である農地への愛情から生まれ、それが山や川、海におよぶ。収穫、食みをもたらしてくれる自分の土地に対する感謝の気持ちが、郷土に神を祭る風習を育み、産土神が生まれた。わが家は農家ではなかったが、「浅間(せんげん)さま」は、地元の産土神であり、盛大な夏の祭りは人々の大きな年間行事であった。

荒川沿いの川口市本町に移り住んで四半世紀。内15年ほどは国外に住み不在ではあったが、この棲家から3分程のところの「川口神社」を、今の私の祈りの場所としている。家族の安全・繁栄、子供の受験・進路、両親の健康・治癒、仕事の達成、海外渡航前後、人生の岐路で身を清め祈願し、安泰と成就をお礼する。 リラックスする週末、雨降りでなければ、必ずのように荒川土手に向かう。途中にある川口神社に立ち寄り、柏手を打つ。それが私の人生リズムを支えてくれていた。

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紀尾井ホール

2009年11月27日 | 随想・エッセイ

期せずして、ピアニスト寺田悦子の「「ショパン&シューマン生誕200周年記念リサイタル」 の第3回リサイタルに行く事になった。ウイーンの音楽ホールを髣髴させるような紀尾井ホール。高級車で乗り付ける上品そうな紳士淑女、音楽界の著名人。若い聴衆も、育ちがよさそうな深窓のお嬢さん風。日本のハイソサエティーの集まり。祝花の寄贈者は鳩山邦夫・エミリー夫妻。前回のコンサートには、鳩山邦夫・幸夫妻が来場していたそうだ。彼女は鳩山兄弟の従兄弟、ピアニストである渡辺規久雄氏と婚姻関係にある。

16歳でウイーン国立アカデミーに留学。その後アメリカに渡りジュリアード音楽院、さらにインディアナ大学で学んでいる。国際ピアノコンクールで金賞・入賞は多数。裕福でなければ実現できない経歴。年の頃は50代後半。既婚。目白の閑静な住宅街にガラス多用の透明感あふれるモダンな住宅に住む。その世界では有名な住宅だとか。ピアノを弾く姿は、別世界に身を置く人の観。長い旋律を楽譜を一切見ないで2時間以上弾き続けた。ピアノの良し悪しが分からない素人にも、凄い、ブラボー!と思わせてくれた。でも長すぎる名曲。途中でウトウト。贅沢な空間で、上品な音楽を聴ながら眠る。幸せ・・・。

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「日本を巡る世界情勢」~民主党政権下の外交戦略とは~

2009年11月26日 | 随想・エッセイ

興味あるテーマの新現役フォーラムが職場近く、「日本教育会館一ツ橋ホール」で開催される事を知り、数年ぶりこのフォーラムに顔を出してみた。パネラーの顔が良く見えるように、早めに入場し前方の席を確保した。このフォーラムの主催は新現役ネットで、今回初めてクラブ・ウィルビーが共催している。10月から、職場での私の立場は顧問。気楽[E:happy01]なようで、退屈な[E:think]稼業になった。そんなときは、新たな自己テーマを求めて思索する。

残間里江子氏が進行役となり、森本敏氏、田中均氏それに主催者である岡本行夫氏。岡本氏の冒頭の挨拶にヤジが飛んだ。

民主党新政権。澱んでしまった政権が変わることは良いことだ。既得権益を見直すチャンスである。理念と現実を合あわせるには時間が必要かもしれない。今後4-8年政権を担うことになろう。他に選択肢はなくなっているので、民主党政権に良くなってほしいから言うのだ。日本の反映の基礎である日米同盟。同盟は変質するものであるが、一貫性を失くしている。同盟を傷つけた。同盟を修復するには巨額な費用と年月が必要になる。アジア向きで、内向きの姿勢。中国の軍事力。北朝鮮の核装備。周辺国の脅威を下げる抑止力。外交力だけでは危機は予防できない。経済力と防衛力を併せ持つ国力こそ重要だ。日本の国力を強めるための長期的投資が必要だ。

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ロゼット

2009年11月23日 | 随想・エッセイ

Nec_5872 荒川土手を走った。走るのは数週間、否、数カ月振りのような気がする。この三連休は、金・土曜日に「森の時間」に行き、日曜日に母に会いに行き、今日はラグビー早慶戦を観戦する計画を立てていたが、色々所用ができて、計画を大幅に変更した。

Nec_5875ラグビー観戦に行く友人からの連絡では、当日券は買えてもゴールポストの裏側しか入れないだろうとの事だったので、 無理して行くのは止め、テレビ観戦にした。試合が始まる前に、気分転換に土手をひとっ走りして、汗を流す。土手に寝転がると、いろいろなロゼットが目に入る。南向き土手の斜面はまるで春のようにポカポカしている。Nec_5870越冬体制に入ったロゼットの葉が立し上がろうとしている。農業公園のメタセコイヤとコナラが晩秋の光を受ける。

風は感じない、ほぼ無風状態。空はどこまでも青く広がる。川面に踊る太陽の光が眩しい。腕立て伏せ、腹筋、屈伸運動をして、スーパー堤防のなだらかな土手斜面に横たわり、全身に太陽を浴びて思いっきり背伸びした。スッキリ。

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レガシー

2009年11月21日 | 随想・エッセイ

13年振りに新車を買った。モデルチェンジ前のレガシーアウトバックが気に入っていたが、ニューモデルになってしまい、新アウトバックは立体駐車場に高さが入らない。従来の愛車アコードU.S.ワゴンの延長で、ニューアコードも選択肢にあったが、懇意にしてきたホンダディーラーが強く薦めないし、価格もかなり高くなったので、購入対象から外した。18才で免許取得して以来、学生時代から乗っていた車。父の新車を除き、殆ど中古。中古車も父が買ったものだが。プリンスグロリア、いすゞ117クーペ、ブルーバードSSS510型クーペ、カリーナ、ホンダスポーツ、サニースポーツ。今回の新車購入、私が買う車としては生涯7台目になる。アメリカで2台、カナダで2台、ブラジルで1台、そして日本で2台目。これが多分最後になると思うので、そのつもりで長く乗れる飽きの来ない、納得行くモデルを選ぶことにした。

少年の頃、我が家の最初のエンジン付き乗り物は富士重工のスクーターだった。それからスバル360になり、父はモデルチェンジのたびに買い換えた。家族四人で松戸から筑波山にドライブした。神社までの坂道でオーバーヒートになり、神社までたどり着けないことがあった。当時の車のオーバーヒートは珍しくない。私のスバルは、父の思い出であり、少年期の郷愁を誘う車。アウトバックが欲しかったが、通常の「regacy_touring_wagon」 もそこそこにアウトドアー仕様ということが分かったので、レガシーを選んだ。自動車不況にも関わらず、日本でも売れていて、それ以上に北米と中国で売れ筋だそうだ。日本の2009年Car of The Year賞も獲得してる。そのせいか価格は強気。減税対象モデルを選定し、友人の紹介を利用し、週末の半日かけて交渉した結果、納得できる金額レベルに到達したと思ったので契約してしまった。来年3月末までアコードの車検があるし、手元にお金がないので、納車は来年でも良いといったが、先方は売上実現のために早くナンバー登録して納車したいと畳み掛けてくる。まあ、その内に何とかなるだろう。長時間ショールームに居たら、サンバーの新車が百万円以下で買える事を知った。質の良いサンバーの中古トラックは50万円前後する。「森の時間」用にサンバーも欲しくなった。資金状況から二台目を買う事は考えられない、あり得ないのに、欲しいと思ってしまう。まだ所有欲、物欲に振り回される自分が情けない・・・。

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Wakayama

2009年05月21日 | 随想・エッセイ

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4月以降、二度目の和歌山出張。毎週のように出向くことはなくなったが、本社-事業所連絡会議という月例会議を開催しているので、月一度は足を運ぶ。事務所は紀ノ川河口の南側、雑賀崎の砂浜を埋め立てたらしい工場誘致用埋立地の先のほうの一角にある。Img_4001

工場では、こんな物を加工している。これは石油・ガス井掘削に使うドリルパイプ。

常宿「ロイネット和歌山」。城側部屋を指定する。町側より3百円高かったが、サイトから予約すると追加料金なく、千円ほど割安になることを知った。窓から見た夜と朝の和歌山城。暗闇に浮かぶ天守閣。ライトアップは10時まで。

Img_4016Img_4014_2

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知恵袋

2009年04月23日 | 随想・エッセイ

ほぼ一月ぶりに和歌山に行った。4月からは事業所所長兼務がなくなり管掌だけになったことと、資金繰り悪化の折、不要不急の出張は自粛するということで、毎週の和歌山通いはなくなった。それで少し楽になり、毎週の「森の時間」通いが出来るようになった。Img_3239

私が職場・会社を変えても常に呼べば応える距離の存在で、ある分野では私の知恵袋的存在になって頂いたNさんが、何度も宣言していた退職を本当に実現されることになり、何度も足を運んでいただいた和歌山でお祝いをすることになった。久しぶりの和歌山出張で、事業所関係者とは打ち合わせ、情報摺り合わせなど仕事のアジェンダは多々あるが、これが私の心内の出張目的。万難を排して駆けつけた。

場所は、Img_2703 シャッター通りと化した「ぶらくり通り」の裏筋、狭い銀座通りにある「いろは劇場」。ネオン、外部色彩はまるで「XXXX劇場」。店に入るまではまさしくそのもの。和歌山の新鮮な魚とすべてのお酒が常備されていると自身持つ主人の店。私の和歌山の行きつけ。この店を推薦し、会を開催してもらった。N氏には大変お世話になった。蒲田、座間、ヒューストン、カルガリー、シンガポール、ベンガジ、トリポリ、エドモントン、洲本、そして和歌山。「困った時のNさん頼み。」 相談を持ちかけると、どんなことでも快く、しかも期待以上に応えて下さった。私が今もこうしてこの業界に残り、食みを得ていられるのはNさんの存在、強い励ましを受けてきた。私の退く時期も見えてきたような気がする。いくら厭になっても、大きな困難があろうとも、途中で投げ出すのは私の信条に反するので、今の翻弄状態は見捨てるわけには行かないだろう。「辞めたらぶっ殺して、家に火をつける」と言うKさんの期待にも応えてから身を処さねば。だから、まだ消えるわけには行かないだろう。もう一肌脱いであげますかな、・・・。

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DL

2009年02月17日 | 随想・エッセイ

Img_2675 今年7度目の和歌山出張。日帰りできるが、一泊から三泊、泊まりで毎週通っている。朝のフライトは、富士山を見るためにJGBアップグレードJ-Classか、空きがなければ普通席の前方の右側を確保している。この日、羽田から西に向かうと雲が出てきた。今日は駄目かとあきらめかけた時に、雲間になだらかな稜線が見え、近ずくと雲の上に頭を出す真白き富士が荘厳な姿で現れた。何度見ても飽きることない霊峰。あっという間に後方に消えゆく姿を、窓に額をすり寄せ瞬きもせずに見つめる。今日は誕生日。とくに感慨はない。人から祝福されることもないだろう。頭を雲の上に出す純白な富士山を、今日の日のささやかな思い出にした。

今年はDL更新の年。誕生日の前後2ヵ月内に更新に行かねばならない。今回のDL更新には足が向かない。更新の通知状に2時間の「違反者講習」を受講せよと書いてあるのだ。思い起こせば、父の見舞いに行く際に、実家を出た直後の角の電信柱の陰から若い婦警から、同乗していた母のシートベルト無装着の警告を受けたこと。信号直後の住宅の間の踏み切りと認識しかねる川越線単線の小さな踏切で、住宅の影に張っていた老年警官に止められたこと。罠に嵌ったような違反が2度あった。2度の違反で3点減点だと「違反者講習者」、犯罪人扱いになる。18歳以来の優良ドライバーがとうとう途切れる。と言っても、延べ15年は在外暮らしだったので、純粋な長期優良ドライバーではないかもしれない。カナダとブラジルでは無事故・無違反だったが、実はアメリカ時代6年間にスピード違反がある。それ以上に酒酔い運転でサンダーバードを横転させてしまったことがある。角から車の鼻を出し過ぎたところに猛スピードで入ってきた相手が驚いてハンドル切りすぎて反対側の溝に勝手に横転した。お互いマズイ状況だったので示談にした。大事になるとStay Permitが剥奪されかねないので、確か$700程の修理費を素直に払ってあげた。優良ドライバーであれば5年毎の更新だが、違反したので3年後に更新することになる。日本の違反は3年間消えないそうで、その際には、再度違反者講習を受講せねばならないらしい。こんな不愉快なものはない。埼玉県の免許所センターは、鴻巣駅からImg_3029早足で歩いて30分程の郊外にあるモダンな建物。中の雰囲気は警察OBの受け皿。江戸時代の通行手形は、こんな感じだったのではなかろうか。

日の入り前に羽田空港に降り立ち、モノレールに乗ると、こんな富士山が見える。

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