父が新たな手術をしなければならなくなった。二年前の、家族が死を覚悟した入院からちょうど十度目の入院になる。
昨年の夏、1人で夜にトイレに行こうとして転び、箪笥の角で頭を打ち4針ほど縫った。その時、硬膜とくも膜の間に出血があったが、重大な影響はないだろうということで抽出せずに様子を見ていた。それがだんだん広がり、右脳を圧迫して左半身を動かす神経を麻痺させ始めたらしく、体を動かすことが困難になって来ていた。CTスキャンの映像を見ると、脳の断面積1/3位を灰色の陰が覆っていた。主治医が言うには、一度にこれだけの出血が広がれば普通は即死で、時間をかけて広がったので影響が少なかったそうだが、限界に達してきているようだと言う。大病を乗り越えてきた高齢者に脳の手術をすることについて、躊躇いのあった主治医だが、CT画像を見ながら「お父さんの気丈さには驚いています。立派な人だから、もう少し頑張ってもらいましょうか。」と、手術の同意を求めてきたので、硬膜下の出血を摘出する施術してもらうことにした。
レースのカーテン越しに午後の穏やかな日が入る国立K台病院脳神経外科22棟。未体験の脳の手術を前に、父は目を閉じてベットに静かに横たわっている。
母は、状態が悪化している父の看病のために、自由の利かぬ体で夜も殆ど眠れないほどに動き回っていた。そのためか骨粗鬆症による背骨の骨折がさらに悪くなり、痛みで立っていられなくなった。母の負担を軽くするために、兄と手分けしながら、ほぼ連日両親の介護のために実家に通っている。昨年の暮れから、土日は殆ど父の病院と母の介護と実家の諸々の用事のために時間を割いているので、私の私的な活動は完全にストップしている。様々な思い入れや情熱が急速に冷めている・・・。
母の状態もかなり深刻になっている。父の看病がまだ続くかもしれない母を、少しでも楽に歩けるようにしてあげたいので、病院嫌いの母をやっとの思いで説得して、検査を受けにつれて行くことにした。半年ほど前の新聞記事にあった背骨骨折の特別な治療をしている東京のS病院に、藁にもすがる気持ちで出向いた。
寒い日々が続いているが、着実に陽は長くなり、日差しは日毎に明るさを増し、春が近づいているのを感じる。輝く陽光を浴びると、両親の介護に明け暮れて忘れかけていた、『森の時間』が気になりはじめる。通勤電車の中や就寝前に、『森の時間』の今年の行動計画を練っている。斜面に遊歩道、小屋の周囲にデッキを作り、農地を充実させたり、土地全体を整備することが作業の中心になると思う。それと井戸掘削が今年の最大工事になるだろうか。しかし、両親のことが頭一杯に広がり、思いは集中しない。
「不思議な雲だね。飛行機雲みたいな雲が、一、二、三、もう一本、全部で四本、真横に走っている。地震の前兆じゃないか?」 S病院に向かう車の中、小さく丸くなって助手席に沈んで座る母が、空の雲を見上げている。窓から外の景色が見えないほどに小さくなってしまった母は、フロントガラスを通して見る空だけをじっと見ていた。母は病院と地震が大嫌いなのだ。初めて大病院で検査を受ける恐怖が地震の予兆を感じさせているのだろうか。冬の抜けるような青空に幾筋かの飛行機雲が不思議なくらいにくっきりと走っている。暖かい車内の日溜りから母と同じ空を見つめた。赤信号待ちの数十秒間だったが、何十年も一緒に見つめ続けていた気がした。「初めての手術だよね、怖くないよ。心配要らないよ。絶対に良くなるから。」 涙もろくなった私の目頭が熱くなり、右頬に涙が溢れた。左に居る母には気づかれなった。と、思う・・・。