森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

飛行機雲

2006年01月26日 | 随想・雑文

父が新たな手術をしなければならなくなった。二年前の、家族が死を覚悟した入院からちょうど十度目の入院になる。

昨年の夏、1人で夜にトイレに行こうとして転び、箪笥の角で頭を打ち4針ほど縫った。その時、硬膜とくも膜の間に出血があったが、重大な影響はないだろうということで抽出せずに様子を見ていた。それがだんだん広がり、右脳を圧迫して左半身を動かす神経を麻痺させ始めたらしく、体を動かすことが困難になって来ていた。CTスキャンの映像を見ると、脳の断面積1/3位を灰色の陰が覆っていた。主治医が言うには、一度にこれだけの出血が広がれば普通は即死で、時間をかけて広がったので影響が少なかったそうだが、限界に達してきているようだと言う。大病を乗り越えてきた高齢者に脳の手術をすることについて、躊躇いのあった主治医だが、CT画像を見ながら「お父さんの気丈さには驚いています。立派な人だから、もう少し頑張ってもらいましょうか。」と、手術の同意を求めてきたので、硬膜下の出血を摘出する施術してもらうことにした。

レースのカーテン越しに午後の穏やかな日が入る国立K台病院脳神経外科22棟。未体験の脳の手術を前に、父は目を閉じてベットに静かに横たわっている。

母は、状態が悪化している父の看病のために、自由の利かぬ体で夜も殆ど眠れないほどに動き回っていた。そのためか骨粗鬆症による背骨の骨折がさらに悪くなり、痛みで立っていられなくなった。母の負担を軽くするために、兄と手分けしながら、ほぼ連日両親の介護のために実家に通っている。昨年の暮れから、土日は殆ど父の病院と母の介護と実家の諸々の用事のために時間を割いているので、私の私的な活動は完全にストップしている。様々な思い入れや情熱が急速に冷めている・・・。Dvc10007

母の状態もかなり深刻になっている。父の看病がまだ続くかもしれない母を、少しでも楽に歩けるようにしてあげたいので、病院嫌いの母をやっとの思いで説得して、検査を受けにつれて行くことにした。半年ほど前の新聞記事にあった背骨骨折の特別な治療をしている東京のS病院に、藁にもすがる気持ちで出向いた。

寒い日々が続いているが、着実に陽は長くなり、日差しは日毎に明るさを増し、春が近づいているのを感じる。輝く陽光を浴びると、両親の介護に明け暮れて忘れかけていた、『森の時間』が気になりはじめる。通勤電車の中や就寝前に、『森の時間』の今年の行動計画を練っている。斜面に遊歩道、小屋の周囲にデッキを作り、農地を充実させたり、土地全体を整備することが作業の中心になると思う。それと井戸掘削が今年の最大工事になるだろうか。しかし、両親のことが頭一杯に広がり、思いは集中しない。

「不思議な雲だね。飛行機雲みたいな雲が、一、二、三、もう一本、全部で四本、真横に走っている。地震の前兆じゃないか?」 S病院に向かう車の中、小さく丸くなって助手席に沈んで座る母が、空の雲を見上げている。窓から外の景色が見えないほどに小さくなってしまった母は、フロントガラスを通して見る空だけをじっと見ていた。母は病院と地震が大嫌いなのだ。初めて大病院で検査を受ける恐怖が地震の予兆を感じさせているのだろうか。冬の抜けるような青空に幾筋かの飛行機雲が不思議なくらいにくっきりと走っている。暖かい車内の日溜りから母と同じ空を見つめた。赤信号待ちの数十秒間だったが、何十年も一緒に見つめ続けていた気がした。「初めての手術だよね、怖くないよ。心配要らないよ。絶対に良くなるから。」 涙もろくなった私の目頭が熱くなり、右頬に涙が溢れた。左に居る母には気づかれなった。と、思う・・・。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族-Reunion

2006年01月01日 | 随想・雑文

「もしもし、・・・もしもし。」 「・・・・・」 「もしもし。」 「もしもし。き、聞こえるかい?」 「よく聞こえるよ。どうしたの?こんな時間に。」

明日来てもらえるかなあ。年の瀬だからいろいろ用事あるから、無理だよね・・・。」 「どうしたの、お父さんがどうかした?」 「お勝手の電気が切れたので代えて欲しいんだけど。それと2階のテレビが昨日の地震で結構揺れたので、台を代えて欲しいだけど。」 「そんなことなら明日の朝電話してくれたっていいじゃないか。明日は行くつもりでいたから。」 「年末だから忙しいから、無理して来なくていいよ。」 「そんなことないよ。それにそんな遠慮するなら何で、電話してきたんだよ。」 「・・・。ひとりじゃ何も出来なくて。お父さんのこと何もやってあげられなくて。」 「分かってるよ。だから明日行くって言ってるじゃないか。だけど、急にどうしたの?」 「すまないね。何だか昨日からから背中、腰がびりびり痛くて全然動けないんだよ。昨夜はお父さんの世話で30分、1時間おきに起きて、殆ど一睡もしていない。疲れちゃって。だから、お父さんに食事も作って上げられない。・・・・。」 「じゃ、自分でも何も食べてないの?」 「・・・・。」 「必ず行くから、今晩は休みなよ。」

夜半の母からの突然の電話。そっけなく対応してしてしまった。電話を切ってから、両親の様子が心配で、気が気でなくなった。翌日は我が家の用事をしてから、昼過ぎにでも行こうかと思っていたのだが、ゆっくりしていられなくなったので、夜半から年賀状作りや諸々の用事を始めた。布団に横になったのは4時半。新聞配達のバイクが走り出していた。そして、翌朝9時に家を出て実家に向った。

母の背中が更に曲がって、一層小さくなっているように見えた。母は寝不足と疲労で立ち続けることが出来なくなっていた。そして、父は寝たきり状態になっていた。あの気丈な父が上体を起こすことすらも出来なくなっている。下の世話、水・食事、洗濯・・・。背が90度曲がって歩くのがやっとの母には、とても手に負えない状態。家の中全体に悲しい空気が澱んでいる。二日前に兄が来ているが、そんな状態になっているとは聞いていない。父の容態が急激に悪化している。母を休めて、父の軽い食事を作り食べさせてあげたり、し尿の汚れ物を洗濯したり、部屋を整理した。父を説得して、母に負担をかけるし尿ビンは止めてもらい、紙おむつにしてもらう。父は紙おむつを嫌がる。寝たまま布団の中で小便はできない。人間の威厳を蔑ろにする問題だと言う。しかし、「お母さんが動けなくなっているんだよ。少し楽にしてあげようよ。」 と言うと、父は悲しそうな表情で天井を見つめていた。「とうとうバアサンも動けなくなったのかあ・・・・。 じゃあ、そいつ試してみるか。」 

夕方、アメ横で買った蟹や蛸を持って兄が来た。父が蟹を食べたい、それと正月は蛸だ、買ってきてくれと言ったらしい。父が自ら食べ物で正月を飾ろうとするのは珍しい。今のアメ横なんかろくなもの売っていないと言っていたはずの父が、良き昔を思い出したのか、アメ横で買って来いと言ったそうで、兄はわざわざ行って来たのだ。しかし、父の容態はそんな正月気分どころではない。

寝たきりの父と殆ど動けない母が寝やすいように同じ部屋に寝床を配置し直した。少し状況が落ちついて来て、母、兄そして私が父の横たわる部屋に自然に集まった。母の状態のことや母がゆっくり休めるようにしたこと、家の中のこと、父の周囲に揃えてあげた物などを説明してあげると、寝たままの父はほっとしたように頷いた。

何十年ぶりだろう。家族4人が一つの部屋に揃った。父と母が兄と私を育ててくれた土地の同じ屋根の下に4人が揃った。あの頃と同じ家族の空気が流れる。懐かしく暖かい空気が流れる。あの頃に帰りたい、でも帰ることはできない、帰ってはいけない過去の優し過ぎる空間。

「おい、小便がしたい。しビンを出せ。」 「そのまましていいよ。不快だったら直ぐに取り替えるから。」 「そうか、してみるか・・・。するぞ。」 父が紙おむつへの排尿に初めて挑戦している。喉が無性に渇くらしくしきりに水を飲む、だから頻繁に排尿する。食事がだんだん喉を通らなくなっているので、体力がなくなり、自分で上体を起こすことができなくなっている。全身の骨が痛いらしく寝返りもできない。何も出来なくなってしまった自分に不甲斐なさを感じ、時には天井を見つめて焦燥としている。あまりボケていないので、話の内容はハッキリ、堂々と、そして時には毅然としている。 「明日は大晦日か?」 「違うよ、大晦日は今日だよ。」 「そうかあ。テレビも新聞も見れなくなったからなあ。じゃ、あと一日頑張るか。」 「(あと一日頑張る?何、それ?)」 

介護ヘルパーは、年明け5日まで来れないらしい。それまで兄と2人で頑張らねばならない。慣れない動きなので結構体力と気を使う。私は寝不足。兄も寝不足らしい。今年は除夜の鐘は聞こえない。正月気分にもなれない。でも、父と母に育ててもらった家で、父と母の助けになれ、恩返しができる。

父の愛犬のメリーが擦り寄ってくる。よれよれの足取りで足に絡み付く。私の足に寄りかかり過ぎると老犬の足はもつれて、ひとりで転んだりする。それでも必死に立ち上がり擦り寄り直す。メリーは何かを感じているのだろうか。父と母の寝床を直してあげたように、メリーの寝床にも古毛布を沢山入れて、寒さを防げるようにダンボールで囲ってあげた。メリーは毛布に居場所を確保すると、前足を投げ出して頭を乗せ潤んだ目で私を見上げた。そして、感謝すように前足を上下させて握手を求めたので、思い切り前足を握りしめて頭を掻き毟るように撫ぜてあげた。「メリー、親父とどこまでも一緒に行ってあげてくれよ・・・。」

特別なお正月を迎えている。父も、母も、兄も特別な気持ちで新年を迎えている。メリーも・・・。家族の気持ちが一つになった気がした。 

Dvc10018父は、お休みの日の夕方になると、幼子だった兄と私を自転車の前と後ろに乗せ、愛犬を引きつれ、よく江戸川の土手に連れて行ってくれた。 Dvc10019

父といった江戸川が見たくて、寒風の日、メリーを連れて土手まで足を伸ばした。矢切の渡し場に沈む夕日。思い出がシルエットに・・・。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする