「先走る彼女の背中を追いきれず、一人、取り残されてしまった男の後悔と悲しみ。」(金原由佳)
女性が肉体的に子供を産むタイムリミットを日々感じ出す年齢がある。産むか、産まないかという選択は女性にとって大きな命題で、どちらの選択をしようとも、年齢的に子供が産めないという動かしようもない事実と期限は確実にやってくる。女性は体内時計に耳を澄ませ、その音にせかされるように決意する。体内時計の針音が鮮明に聞こえているのに、聞こえないふりをしているぐうたら亭主。暴言を吐き、ワガママをいい、妻の願いを思いっきり無視し、母親に対する子供のような妻の安心感にとことん甘える男。この好き勝手に生きられる、居心地の良いままを願い続け、夫婦関係が激変することに漫然とした不安や戸惑いを感じて暮らす。しかし、その一瞬、一瞬を積み重ねる生きる時は、いい方向にも、そしてよくない方向にも向かう。激変が男を襲う。
富良野の森のコーヒーショップ「森の時計」、静寂の夜更けに語り合う夫婦。ニューヨーク単身駐在中、息子の運転する車で事故死した妻に、その日の出来事を語る男。「優しい時間」では、男の亡き妻に向かい合い、息子を許し受け入れてゆく過程が流れのテーマだった。ある部分、このドラマにも似ていると思った。
自分のぐうたらが引き起こしたと思える事故で突然妻を亡くし、全く予期せぬ状況に投げ込まれた男は、現実を受け止められずに、以前同様の妻が居る日常生活を空想の世界で積み上げてゆく。立ち直るのは、一年目の命日、クリスマスの日。妻の大好きだったクリスマスツリーを飾りつけ、ケーキのロウソクを二人で吹き消すと、幻の妻も消えてゆく。「今度は愛妻家」というのは、そんな映画だった。
ことしの誕生日プレゼントに、映画鑑賞券があった。この映画を是非見るべしと言う息子のプレゼント。終わりかけていた映画なので、上映館が限られ、探し当てた映画館もいつまで上映するか分からないというので、この日銀座和光裏のビル4階にある小さな映画館に行った。夜7時15分から一回だけの上映。結構長めの作品、約2時間20分。前半はつまらぬ映画かもしれないと思いつつ見ていたが、最後のほぼ5分間に全てが凝縮されていた。最後に分かるテーマ本質を各シーンで再確認したくて、もう一度見たくなる映画だった。
週末の夜、空いた映画館でゆったりとして、切ないファンタジーに包まれて思った。私にとって、本当に大切な事は、そして大切な人は・・・。