森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

眉山

2010年03月07日 | 随想・エッセイ

30年間秘めたる、封印した思い。余命僅か、残された時間をしっかり見つめて生きる最期の時、その思いが開封される。

眉山が徳島市にある山である事を、この「眉山」を見て初めて知った。徳島には一度も行ったことがない。2泊3日で90円のレンタルDVD。深夜一人で観賞した。多分、娘が主人公なのだろうが、心の奥に澱む秘めたる思いを抱えて生きた母、父と名乗れぬ同じ思いに耐えた父の思いに、深夜ひとり涙する。私にも封印している思いが・・・。

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パーマカルチャー-「森の時間2010年」

2010年03月06日 | やさい畑

「森の時間」では、自然の摂理に従った「自活」的な暮らしを理想と考えていた。まず、循環する小さな生き物空間を考ぇ、汗みどろになって赤土の土地に池を堀り、そこに水生生物を呼び込んで、小さなビオトープを作った。更に排泄物や雨水、枯葉堆肥等を循環させることを考え、定住するような事があれば、ニワトリやヤギも飼って、自然の逆らわずに生きる、恒久的持続可能な環境を頭に描いていた。

PermanentとAgriculture、更にCultureの縮約形として「パーマカルチャー」という考え方がある。永続的な農業と自然倫理に適った土地利用があって文化が生まれる。人間が自然界よりも優位にあるという観念を捨てる。万物の霊長ではない。全ての生き物は「生命」があり、存在する理由がある。そして、必要なエネルギーは全てそのシステム自体でまかなう。

現実は、そのような壮大な理想とはかけ離れた展開になっている。穴掘りトイレの土を使ったのは最初の頃だけ。バイオトイレを設置し、雨水利用では不便なので、井戸を掘った。生ごみと枯葉堆肥はかろうじて利用しつつある。畑らしきものも開墾したが、気まぐれな配置で小さな畑地が点在している。一応輪作障害は気にするが、行き当たりばったりで作物を育ててきた。もう少し、畑に連携を持たせ、真剣に作物を作る気持ちになるように、昨年末から少し広めの4箇所目の畑地を開墾始めている。

今週は、5月連休の頃の陽気という日があったので、週末には今年初めての「森の時間」に行くつもりで、のらくら農場にも連絡を入れていた。が、俄かに冬に逆戻りして雨と乾雪の予報になった。まだ冬同然の寒々とした風景を見てしまうと、せっかく盛り上がりはじめた心の中の「森の時間」が萎えてしまう。初回は、せめて太陽が出ている日を選びたい。

冷たい雨降る週末、母の介護で実家を往復した。死にたいと口にする、つらそうな母の動き。助けることが出来ない。終日傍に居るつもりだったが、居たたまれない気持ちになった。帰宅し、机に向かう。間もなく、父の命日。もう四年になる。父の最後、死ねないと訴えるように動き続ける右腕が脳裏から消えない。何かを考えたかった。今年の春-夏の「作付」 を考えた。でも、もやもやは消えない。

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