森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

未確認飛行物体

2007年12月31日 | 随想・雑文

Dsc00056 政府の公式見解とし、UFOは確認されていない、との発表だった・・・。

(荒川河川敷グランド

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山毛欅

2007年12月28日 | 随想・雑文

「年末年始は遠くに行かないようにしてください。」と医者に言われていた。義父の容態が悪化していた。外食などしている状況ではなかったが、この夜は、娘の希望で、お台場の日航ホテルのレストランを予約していた。家族の都合と、レストランの空具合でこの日に設定されていた。娘が早々と大学合格したことのお祝いを兼ねた家族での会食。我家では年に一度あるかないかの外食。

レストランの席に案内され、ディナーコースを決め、最初のメニューを食べ終えた頃に義姉から電話が入った。「直ぐに病院に来て欲しい。」 我々がざわめき出すと、会話から事情を察したシェフが、食事するチャンスがなくなるかもしれない、お腹空くでしょうから、少しだけでも口に入れて行きなさいと、我々の注文したコース料理を急いで作り始めてくれた。ステーキが焼き上がりかけたその時、もう一度電話が鳴った。Sが出た。レストランの隅で壁に向かって携帯を耳に押し付けたまま、なかなか戻って来ない。何かあったと感じた。席に戻ってきたSが立ったまま、動揺していたのだろうか周囲にも聞こえる意外に大きな声で、「お祖父さん、もう死んじゃった・・・。」と我々に告げた。返す言葉を捜していると、「どうしよう、どうしよう・・・。直ぐに行かなくちゃ。」と珍しくSが慌てている。私一人で先に行くから、皆は食事を終えてから来てと言う。明らかに動揺しているSのことが心配になった息子が、「お母さん普通じゃないから、俺が付いて行く。」、と席を立ち、Sについて出て行った。残された娘と私は、ディナーコース4人分の残りを出してもらい、食べられるだけお腹に詰め込んで、お勘定を済ませてから追いかけた。年一度の家族の豪華外食だったが、食べた気がしないままに7万円のディナーフルコースが終わった。Dsc00039

K市の実家には夜半に到着した。体温の温もりを残して義父が横たわっている。思えば昨年の3月から4月の3週間の間に、父、伯父、義母が連続して他界した。いくつもの悲しむ家族と繰返された重い葬儀に、精神的に参ってしまい、体にも変調を来たし、救急車で病院に運ばれた。何が原因だったのか、背骨の軟骨が5cm程ずれていて、突然の激痛で左下半身が不随になった。その時の辛さが蘇る。気を入れて乗り越えねば、二重悲劇になりかねないので、Sと子供達に注意する以上に自分自身の気を引き締めた。葬儀は年内にはできず、来年の松の内明けに決まったので、少し気持ちに余裕が出た。

翌日、実家の南斜面の庭の芝に腰を下ろした。弱い冬の太陽でも、陽だまりは暖かい。冬枯れした木々、丹念に手が加えられた盆栽などをひとつひとつじっくり眺めた。その中に、小さくまとめられた盆栽化した山毛欅の木が2本ある。山毛欅とはブナ。Dsc00044それは、義父から「森の時間」に移植して大きく育ててみなさいと、言われていた木だ。主が面倒見られなくなってから一年以上が経過している。主が手を加えれば、切り取られてしまう枝が何本も天に向かって伸び出している。義父の手塩にかけたブナ。来春前に「森の時間」に移植して、義父に教わった庭、畑の作業の思い出と共に、大きなブナの木に育ててようと思う。

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茜空-地球を感じる

2007年12月24日 | 森林・自然・環境教育

「森の時間」に行く予定だった。昨日の天気予報によれば、佐久地方は一日雪。諏訪方面は既にかなり積雪になっているらしい情報があったので、迷わず今週末の「森」行きは中止した。昨夜、「のらくら農場」のHさんに入れたメールに今朝返信があった。15Cm程積雪している。山芋を一列掘り残した状態で雪が降ってしまった。でも、まだ温度は下がっていないので、根雪にならないで解けるだろう。と書いてあった。雪に覆われた「森の時間」はまだ体験していない。行ってみたい気持ちも沸いたが、在宅して机回りの整理と年賀状を作成することにした。

Dsc00007 夕方、休日の日課になっている荒川土手に行った。冬至の日の入りは早い。神社に拍手を打って土手に上がった時には、既に太陽は富士山の肩に沈んでいて、山容が茜空にくっきり浮かんでいた。真っ赤に広がる西の空に、飛行機雲が沈んだ太陽光を受けて閃光のように輝いた。太陽の光が斜めに厚くなった空気を通ると青い色が大気に吸収されるので、赤色が目に入る。だから、夕日、朝日の空は茜色。現在の大気が組成された頃から、地球上の生物は茜色の空を見ていた。

「ビッグバン」で宇宙が発生し、66億年前の爆発で太陽が誕生した。そして46億年前に溶けた岩石の塊りの地球が誕生した。それから10億年。真っ赤な解けた岩石が徐々に冷えて固まりだす。地球大気の主成分は二酸化炭素だった。36億年前、海で原始生命が誕生し海中でアミノ酸等の有機物合成の化学反応を開始する。それから1億年後、光合成を行う生物が出現して酸素を放出し始める。18億年程前までに大気中の酸素濃度(現在21%)が1%に到達し、更に太陽の紫外線を吸収するオゾン(O3 )層が形成されると、生物が地上に上陸し爆発的に進化する。4億年から2.5億年前になると、地球環境、生態系が発達し、哺乳類が出現する。2億年前になると恐竜が出現し、一億年以上の間地上を支配した。この時代の倒木は炭化し石炭になり、生物遺体は石油・天然ガスに変質したと推定されている。6千5百万年前に今のメキシコ地域に大隕石が落下したのをきっかけに、地球気候が大変動し、生物の大絶滅が始まる。6千万年前までには恐竜は絶滅し、哺乳動物が大発展する。その頃、サハラ砂漠は大密林で、温暖だった南極にはハマグリも生息していた。

地球環境の変化に対応できずに絶滅した生物、進化して適合してきた生物。4-5百万年前、乾燥化で減少した森林で暮らせなくなったサルの一群が地上に降りて生活を開始した。2百万年前になると、猿人が二本足歩行を始める。50万年前に原始的人類が出現し、3万年前に我々の祖先になる生物としてのヒト、新人が出現した。新人は道具と火【エネルギー】の利用方法を習得し、ヒトが「人間」になり生物界を支配しながらも、つい数百年前までは自然生態系と共生し、自然からの食料と太陽エネルギーで暮らしてきた。

農業技術が確立されると人口が漸増し、自然資源、木材の大量消費が始まり、再生スピード以上の速さで自然の恵みを搾取し、自然生態系を破壊し、エネルギー・水・食料が枯渇した古代文明、地中海文明、ローマ帝国は滅亡した。中世の社会でも、自然資源、木材資源に恵まれた民族が優位に立ち、より進んだ道具・技術を持って戦いに勝利し、相手側の資源を搾取・略奪する、或いはアニミズムで暮らす農耕民族を征服し、資源・木材エネルギーを手に入れた。増え続ける人間は、生活レベルの向上、より効率的なエネルギーを求め続けた。人間の頭脳は科学技術を発展させ、18世紀後半に始まった産業革命で遂に石炭、更により利用しやすい石油を、地下から採掘して利用し始めた。化石燃料を利用することは、生命を育んだ現在の地球大気の創生期に、地中に固体された炭素を掘り返して、大気中にCO2を戻すことになる。数十億年の時が作り上げた地球の大気と、数億年の時が育んだ自然環境・生態系を、数万年前に登場した人間が地球の支配者となって破壊し始めた。Google_northpole

地球は大きい?世界は広い? 東京-大阪550kmは地球儀で目に見えるくらいの距離。それが新幹線で僅か2時 間半で移動できる。「青梅徒歩き」新宿-青梅42km。7時間ほどで歩ける。飛行機でひと寝入りすれば欧州、豪州、北米。どこにでも行ける。南米でも24時間で大抵のところに行ける。Google Earthで地球を見る。指一本で世界が見える。移動手段が船の時代、地球は広いと感じたかもしれない。それでも、風に乗りヒトの力で一生懸命に漕げば地球を一周できた。地球の表面を覆っている大気の層は10kmから数十km。エベレストの高さは約9km。それより上空では人間が生きてゆける濃い酸素はない。10kmは早歩きで2時間で行ける距離。「不都合な真実」で、ゴア氏が、『大気はこの地球儀に塗ったニスくらいの厚さしかない』と言っている。その大気が、生命が育めるようになるまでに60数億年かかった。人間は、僅か2百年余りで、その大気の組成比率を変えてしまった。CO2、Sox、Noxを好きなように撒き散らし続けている。

By_jaxa_img_071114_02

月を周回する「かぐや」から見た地球。生命にとってかけがえのない青い天体「水の星」。無重力、無酸素の無限の暗黒の宇宙に浮かぶ、小さな小さなGaia。

 

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銀河鉄道

2007年12月14日 | 随想・雑文

午後、仕事を抜け出して豊洲に向かった。この日は気分転換と閃きを求めて丸一日ゆP1090397_2ったりとす<shapetype id="_x0000_t75" coordsize="21600,21600" o:spt="75" o:preferrelative="t" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" filled="f" stroked="f"></shapetype> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:extrusionok="f" gradientshapeok="t" o:connecttype="rect"></path><lock v:ext="edit" aspectratio="t"></lock><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" alt="P1090397_2" o:button="t" style="WIDTH: 45pt; HEIGHT: 33.75pt"></shape><imagedata src="file:///C:DOCUME~1菊谷LOCALS~1Tempmsohtml11clip_image001.jpg" o:href="http://oquique3.blog.ocn.ne.jp/morinojikan/images/2007/12/23/p1090397_2.jpg"></imagedata>る予定だった。仕事の都合で午後の数時間だけになってしまったが、気分転換の彷徨を実行することにした。東京ビッグサイトの「エコプロダクト2007」。それほど行 きたいと思う展示ではなかったが、入場は無料だし、事前登録もしていたので、数年ぶりに何となく顔を出してみようと思った。日本有機資源協会主催の「バイオマス利用・活用」の講演参加を申し込<shape id="_x0000_i1026" type="#_x0000_t75" alt="P1090398_2" o:button="t" style="WIDTH: 45pt; HEIGHT: 33.75pt"></shape> <imagedata src="file:///C:DOCUME~1菊谷LOCALS~1Tempmsohtml11clip_image002.jpg" o:href="http://oquique3.blog.ocn.ne.jp/morinojikan/images/2007/12/23/p1090398_2.jpg"></imagedata>んでいたが、その開始時間には間に合わなかったので、各展示ブースをぶらつくだけにした。九段下から豊洲まで有楽町線で22分。豊洲始発の新橋行き「ゆり かもめ」で10分程P1090398_2度。お台場方面への新しいアクセス。以前の仕事で何度か新しい豊洲に来たことあるが、改めて辺りを見渡してみると豊洲一体は様変わりしていることに気がつく。乱立する無機的な構造物。対岸の東京側ウオーターフロントにもビルが林立し、記憶P1090401

時間が限られていたので、企業の展示はスキップして、NPO/NGO、大学教育機関コーナー等の中小展示を足早に回った。目に留まったのは私が住むK市の「市民環境会議」。やっとNPO認定を受け、少人数で小中学生に『環境出前授業』等で環境教育・食育などの活動されているそうだ。 琴線に触れるものがあって、活動の現場に顔を出してみたくなったので、会員になることにした。P1090405

展示場の閉館時間が近づくと会場から大量の人が吐き出され、人の群れが目指したゆりかもめの駅は人で溢れ始めた。人並みをかき分けてホームに抜け出ると、ちょうど豊洲行き列車が入ってきた。その列車は数名しか乗車していない。ドアが開くと、駅周辺の混雑からは想像し難い静寂な車内が私を誘った。夜の会食の場所には新橋経由で向かうつもりだったが、奇妙に空いていたその豊洲行き「ゆりかもめ」に躊躇うことなく飛び乗った。

西の空に茜色を残し、太陽は地平線の向こうに沈んでいた。 ウオーターフロントの巨大ビル群が暗闇に包まれ、窓の明かりが輝き始めたビル群は光の塊りとなっていた。異様に空いている「ゆりかもめ」が走りだした。幻想的な光の三次元の谷間をゆっくりと静かに走り出すと、外界から遮断された静寂な空間に身が包まれた。人工物の違和感と威圧感に縮こまっていた私の心の中に、小さな「灯」がポッと燈った。暫くすると、車両の前方が突然浮き上がり、危うく椅子から落ちそうになった。林立する明かりの谷底を這うように走っていたはずの「ゆりかもめ」が突然離陸し、急速で空中に舞い上がり始めた。頭上に輝いていたビルの窓明かりは、光の海となって下界にどんどんと遠ざかって行く。同じ車両に乗っている数名の乗客は、全く動じないで静かに座っている。顔のあたりは陰になっていてよく見えないが、蝋人形のように表情が全く動かない。時間が止まってしまったように固まっている。無人運転の「ゆりかもめ」は更に高度を上げ、「銀河鉄道」のようにチリのように小さくなった地上の明かりと宇宙の星の間を滑空し続けた。車内が急激に冷えて、息苦しくなってきた。どこまで上昇するのだろう。不安が増したが、やがて、万有引力から開放され始めると、眠り、起き、そして働く、陳腐化した日々の連続から開放され、新しい旅立ちが始まるような気がして、ワクワクしてきた。人類は小さな地球の僅か10Kmの大気圏の底の数キロだけに暮らし、孤独な心を引き合う。頭上の宇宙の闇は、天文学的な暗さと深さで果てしなく続く。

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万象

2007年12月08日 | 随想・雑文

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師走に響く学生の調べ

W大合唱団の52回定期演奏会が川口リリア文化センターホールであった。息子が一年間務めた団長の花道、最後の定期演奏会。家から7分のホール。地元稲門会の岡村幸四郎川口市長も舞台挨拶。120名の団員が精一杯心を込めて歌う。

学生時代、若い時代に自分の属するクラブや集団で、責任あるリーダーになり、集団を守り、前進させる。人前で人を動かす話をする。緊張感、困難から逃げない、立ち向かい克服する。あたらな自己発見や自己発揚に繋がり、全うしたときの大きな達成感と自信が生まれる。それらは、人生の財産となり、それ以上の緊張感、困難が降りかかったとしても、容易に乗り越えられる確信が持てるようになり、自分史の生きた証にもなる。

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2007年のある日<その2>

2007年12月05日 | 随想・雑文

◇10月5日 「帰りなん いざ、ふるさとへ」-ふるさと回帰フェア前夜祭フェアー 

自然環境を守るのは第一次産業 保護運動ではない 男の最後の夢・達成感を実現させてくれるのは「農と自然」

◇10月7日 「森の時間」  Img_01161Img_0082

◇10月8日 八王子の体育祭

◇10月13日 「森の時間」P1080426 P1080440_3

◇10月21日 W大125周年コンサート「第九」

◇10月28日 「森の時間」 Sが同行 Dsc00057

足場再生半分完成Img_0145 Img_1036 

秋から冬へ イロハ紅葉 軽く雪頂く浅間山 Dsc00003

◇11月3日-4日 「森の時間」 w/H&S P1010047_2

◇11月16日 aG・N・eS  M社S49入社

◇雑賀崎   

4月8日-9日 7月11日-12日 9月13日 9月21日 10月18日-20日 10月23日-24日 11月10日-11日Dsc00018_2Dsc00075Dsc00020Dsc00209P1080464

和歌山城 和歌山ラーメン 紀ノ川 住金

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2007年のある日

2007年12月04日 | 随想・雑文

自然界の一部の生き物である人は、本来自然界のさまざまな事象の微妙な変化により季節の移り変わりを知る。今年の秋は、冬の予感も感じさせない暖かい日々が続いた。寒さや冬の厳しい乾燥がなかなか訪れないので、木々も冬支度が遅れ、落葉樹の葉のクロロフィルの分解がゆっくり進行し、美しい紅葉が見られなかった。都会の街路樹には切り離されない葉がいつまでも残り、季節の変化を感じさせることがなかった。が、カレンダーは最後の月、師走。自然界の季節の変化が遅れても、暦は正確に時の流れを認識させ、人の心を追い立てる。

季節にメリハリがないと、過ぎ去った季節の日々の記憶が薄れるのが早い。今年の季節、特に夏を満喫できなったこともあって、夏の記憶がどんどん薄れ行く。

◇7月16日-21日  P1070554

「カルガリー~ヴァンクーバー」

今年3度目のカルガリー。ヴァンクーバー経由JAL便。エコノミ-クラスの食事P1070591

◇8月2日

「CBを囲む」 ヒューストンの思い出

◇8月6日-7日P1070617_2 Dsc00118_2

「森の時間」 屋根骨組み・エンビ貼付け 突然の雷雨 

◇8月11日-12日 P1070689

「森の時間」 友人Hと過ごし、蓼科のS邸へP1080003

◇8月27日-28日

「森の時間」  W大合唱団P1080046P1080064

◇9月2日-3日

「森の時間」   W大環境資源工学P1080141

◇9月8日

「東大演習林」 育林技術

◇9月11日

「生物たちにとっての温暖化」-日高敏隆 w/A氏

◇9月16日 P1080196_2 P1080184

「森の時間」 天高く秋の訪れ

◇9月16日P1080273

「10万キロ」 U.S.Wagonが大台に乗った ここからのメインテナンスが重要

◇9月22日  P1080282

「O先生を囲む会」 大隈庭園リガロイヤル

◇9月23日P1080294

「森の時間」  陥没箇所修復開始

◇9月30日

Img_0022

「巣鴨でView」 八王子の体育祭が中止 Sと初巣鴨

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71 対 7

2007年12月02日 | 随想・雑文

今年2度目のW大ラグビーの公式戦を観戦した。伝統の一戦ということで国立競技場はほぼ満員。2,500円のバックスタンドの指定席に陣取った。わがW大チーム、開始直後はリズムに乗っていなかったのかOneTry-OneGoalを奪われた。が、その日のM大チームの得点はその7点だけ。今季は無敗というM大応援席は開始前から盛り上がり、Tryしてからは大はしゃぎだったが徐々に静かになっていった。後半は、W大がボールを手にすると早いリズムで展開し、殆どがTryに結びついた。左右に繋がるグランド一杯に展開する早いパスを受けてコーナーギリギリにTry!!! 見事で、痛快で、W派としては安心して観戦できる試合になった。M大の意地は後半に一度だけ。GoalライImg_0244ンギリギリまで持ち込み、スクラムTryで必死に押し込もうと、何度もスクラムを組むがW大に潰される。必死の形相で頑張るM大重戦車Forward陣。絶好のチャンスをモノにできない。Goalライン上に展開し待機するW大ラガー。(この試合の写真はこちらで見れます。)

試合中、W大の応援の盛り上がりはそれほど大きくなかったので、W派観客は多くないと思っていた。が、試合後の勝利の校歌が流れると、バックスタンドのほぼ全域、あっちでもこっちでも、早稲田の旗と拳を上げ下ろす校歌の波が広がった。あのおじさんも、おばさんも、お姉さんも。子供も? 「石を投げればW大卒業生に当たる。」 この言葉が納得できる光景だ。

大学のサークルの友人らとの交流は、間もなく30年近くになる。友人、友人の友人、後から合流した友人で、思い出のエリア、新宿三丁目でスカッとした大勝利に祝杯。皆、同じ学部学科で学び、それぞれの道を全うし既に折り返し点を過ぎた年代。話題は、第二の人生、社会との関わり合い、生きるテーマ、森林への関心、畑作業・・・。

春が来るたび ひとつ年を重ね 

目に映る景色も少しずつ変わる

陽気にはしゃいでいた 幼い日は遠く 

気がつけば五十路を 超えた私がいる

満開の桜や 色づく山の紅葉を

この先いったい何度 見ることになるだろう

人生の扉を開いては 感じるその重さ 

<「人生の扉」 詞:竹内まりあ>

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Frost Descends - 北風払葉

2007年12月01日 | 森林・自然・環境教育

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日の出前に自然に目覚めた。小屋のドアーを空けると寒気が流れ込み、白み出した東空の明かりで霜に覆われた大地が目に入った。車は全面が氷に覆われ、桶の雨水も凍っている。昨夜は日没前に活動を止め、冷え込まぬ内に小屋に閉じこもった。焚き火で焼いたP1090244虹鱒と朝出かけにSが作ってくれたお弁当を肴に、友人に勧められた「黒霧島」をオンザロックで飲んだ。でも、暖かい飲み物が欲しくなり、あとは暖かいお茶で割って飲んだ。外が氷点下の山小屋でオンザロックは似合わない。寒さのせいか、霧島が美味しいからか、お茶割り焼酎を何杯も飲んでしまった。ホットカーペットと電気毛布、更に電気ストーブ、それと焼酎のアルコールでポカポカの一夜を過ごせた。外の寒暖計はマイナス5度。

P1090255物と金が増えれば幸福になれると、戦後の日本人は信じてきた。私もそう思っていたかもしれない。そして、一生懸命に働いた。より多くの物と金を持とうと人々は競争し、心が索漠となり人を思いやる心が薄れていった。工業化の進展は大量生産、消費、廃棄を繰返し生活空間の環境を悪化させ、43億年かけて培われた地球の循環システム、自然生態系を破壊してきた。処理に困るほどの物と過ぎる程の便利さに溢れる社会が豊かなのか。偏向する社会には必ず揺り戻す自然の力が働き、物を廃棄し続けること、金さえあれば豊かに暮らせるという単純な思考は是正されると信じている。P1090291

泊まる予定で来たので、昨日は人里離れた里奥で土と木々を相手にゆったりと過ごすことが出来た。春に芽吹いた木々の葉は、夏の太陽を受けて栄養をつくり木を成長させる。秋になると務めを終P1090279えた葉は枝から切り離されて地上に落ちる。 そして土の中の微生物によってゆっくりと分解され土となり、地上の植物、木々に水分と養分を与える。人間の活動のスピードが増している。近代の人間界では早い者が勝利者でパワーを持った。小さな存在の人間は、悠久の時間が創造した自然P1090317界とのつながりの中で生きてきたが、人間と自然生態系との繋がりは破壊されてしてしまった。

人の身の丈にあった生き方、自然界のペースに合わせた生き方、物とP1090319か量とか、より速くとかではでなく、自然と共生するスローな時間で心と質を充実させる生き方。自然との優しい対話、この地に生きるあらゆる生物の命を尊重し、生態系の一部となって共に生きる。気負うことはない。遊び心で楽しみながら、自らの体を動かして、無駄のない基本的で不便な生活を楽しみ、心豊かに過ごせば良い。それが、私の「森の時間」。 P1090301

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