森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

「されど、われらが日々」

2006年09月25日 | セルフビルド-時休自足

第二小屋を書庫化している。

P1030035実家にあった学生時代の本、子供を育てた本、海外駐在時代の関係本、商社時代のビジP1030034P1030033 ネス本、田舎探しの参考本、等々。かなりの数の本は二束三文で中古本屋に売ってしまッたが、残っている本を「森の時間」の小屋に集積させている。まだ旬にある生態・森林・農業・自然系の本、図鑑等は、頻繁に手にするので、自宅の机の回りに置いておきたい。それらも、時間の問題で、この書庫に仲間入りする日が来るだろう。

埃にまみれ変色している思い出の本の数々。小田実、福永武彦、倉橋由美子、庄司薫、柴田翔、等が小屋の新しい書棚に移動を始めた。

書斎には明るさが欲しいので、天井に電燈を付けた。我が家や実家のお古の吊り電燈が70円の部品で小屋の天井に再生した。

飲食と寝るための第一小屋には書斎風な空間も作ってみた。P1030039

P1030041_2

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゆきのうた

2006年09月18日 | 随想・雑文

靄に包まれた「森の時間」。ラジオから温もりと哀愁のある声が流れる。P1010280

急行に乗り換え、走るように生きるあなたと、歩くように生きていた私。いつの間に、いつの間に離れてしまったの? 私たちふたり、これからどうしたらよいの?打ち上げ花火、はしゃぐあなたと、線香花火見つめる私。燃え尽きる、燃え尽きる速さが違ったの?

靄に包まれたように明日が見えなかった青春。しかし、靄は晴れて、太陽が燦燦と輝いていることを知った。アサミチユキの「井の頭線」。素直な語りかけに、靄に包まれていたような時代の心理状況が思い起こされる。

Nec_0085 「のらくら農場」で鹿肉料理をご馳走になった。田圃を荒らしていた鹿を猟友会に捕獲してもらい、その肉を分けて貰ったそうだ。5-6日ハーブに漬けておいた腿肉をローストして食べた。料理人はS総合病院のお医者さん。奥さんも精神科のお医者さん。収穫祭でもイタリア風を見事に料理されていました。それとたくさんの野菜料理。採れたての牛蒡を使った混ぜご飯。Hさん農場の野菜は、どんな形で頂いても美味しい。P1010237_1 

P1010300 P1020002 P1020042「森の時間」の小さな畑の夏の収穫は終わりつつある。食べきれない程にたわわに完熟した晩夏のトマト、青梗菜などの葉物、それに「のらくら」さんで頂いた野菜を使って夕食・朝食を作った。と言っても、切って、焼いて、味噌味で煮ただけ。秋刀魚は下のスーパー「つるや」で98円。

JAのマーケットで一袋15-16個入りの信州りんごが千円で売らP1020044_1 れていたので、少し工夫して食べた。輪切りにして干ブドウをはさみ、シナモンと少し多めにラム酒をふりかける。アルミホイルに包んで、蒸すように柔らかくなるまで焼く。大人味のりんご焼き。1人で食べるにはもったいない美味しさ。家に持って帰り、家族にも味を分けたが、あまり好評でない。食べ物は舌で感じる味覚だけではない。所詮美味しいと思うのは独断であり、必ずしも人も同じように美味しいとは思わない。気候、空気、風景、温度、環境が違っても味が違う。さらに、だれとどのような精神状態で食べるかによっても美味しさが違う。食べ物は五感で味わうものだと思う。そして、その食物が育った場所で食べる。葉っぱ一枚にも生命が宿る。「いただきます」の感謝の気持ちで食べる。そうすれば、食べ方を無駄にすることもない。自然界の生き物は皆そうしている。だから、生命誕生から38億年の地球の生態系は持続され、進化してきた。

「ちゆきのうた」から、いつの間にか「ちきゅうの詩」に・・・?

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憩室

2006年09月14日 | 随想・雑文

朝起きてから下腹がシクシクする。トイレに行っても痛みが消えない。会社で天井のACの冷気の直撃を受けて益々痛さが増した。昼休み食事に行こうと歩き出したら、痛さに耐えられずにしゃがみ込んでしまった。こんなことは始めて。早めに帰宅して近所の医院に行き、整腸剤などをもらったが、一向によくならない。週末の家の模様替えで二日間動き回ったことが、疲労となって残っているのだろうと思い、早めに就寝した。が、翌朝になっても痛みが続く。一層悪化している。一体、何の痛みなのだろう。まさか、善からぬ病?悪寒が・・・。

父の病室で泊り込んだ翌朝にも、同じような場所がシクシク痛み、耐えられなくなった。父のことで頭が一杯の母・兄に、私の変調は気づかれないように帰宅し暫し横になった。その翌日早朝に、父は息を引き取った。あの時の痛みが蘇る。

会社に行く途中、ここ数年行きつけにしているS病院に立寄った。症状を告げると「救急外来」の対応になり、救急処理の部屋に入り、色々な検査を受けた。そして、「手術する可能性があるので、このまま入院して欲しい。」と告げられた。『エーッ!♂♀☆』 大腸の盲腸部分に強い炎症がある。悪化すると腹膜炎などを併発する恐れがあるので、安静にして炎症を抑えねばならいと言う。S病院は満室で順番待ちなので、自宅近くのS会病院に入院する事になり、築地から川口まで痛さを我慢しながら一人で移動した。

ミズガキ山で左肩骨折・脱臼したことがあった。救急の大型ヘリで吊り上げられ、韮崎の病院に運び込まれた。脱臼が固まってしまい、全身麻酔で治すことになった。その際に麻酔から醒めないトラブルがあり、その病院に入院する破目になった。その時以来の入院。病気での入院は生まれて始めての経験。つい半年前まで、父の入退院で病院通いをしていた。病院に入院してはいけない、来るようになったら人生の終わりが近いと思っていた。何度行っても馴染めない場所だった。病院に行かざるを得なかった父が気の毒でならなかった。悲しい境遇が突然に自分に降りかかってきた。

Nec_0088空いていたのは一人部屋。しかも、改築してまだ2年の新品同様の病室なので居心地は悪くなさそう。早速病人着になり、ベットに横たわり抗生物質などの点滴が始まった。悪化させたら大変なので安静にしていること。腸を動かさないようにするために食物も水も口にしないようNec_0086 に。その後、炎症は悪化せず回復に向ったので、五日目に退院することになった。この間、完全絶食。しかし、点滴のせいか、空腹感はなかった。その後は自宅で療養。痛みが薄れるにつれ、徐々に食事を復活させて行った。体重は4キロ減。二十日間お酒もタバコも口にせず。体がすっきり。腸内が完全にキレイになった気がする。しかし、炎症の元がまだ在るので、暫くしたら大腸内視鏡で検査することになっている。

憩室:

穀物・豆・野菜などの炭水化物をあまりとらないと、排泄される便の量が少なくなる。少量の便を運ぶために腸は一層強力な蠕動運動をすることになる。その結果、腸の内圧が異状に高まり、腸の弱い部分が押し出される。そのポケット状のくぼみを「憩室」と呼ぶそうだ。この中に便が溜まり、大腸菌で炎症を起こしたり、濃がたまったり、出血したり、合併症、更には腸が破れる穿孔という状態にもなる。

憩室症になると、便秘がちになり、宿便の原因になる。宿便は毒素を残し、活性酸素等も生じて細胞変異を起こし、大腸ポリープや大腸がんになる確率が高くなる。気づかないでいると高血圧、動脈硬化、心臓病、腎臓病、心筋梗塞、脳卒中などで早死に到るケースが多くなっている。

どちらかというと菜食。肉や乳製品は好きでない。なのに、肉食が原因らしい病気になった。

何でも食べる。世界各地で勧められるままに拒絶することなく何でも食べてきた。世界で食べてきたものは、ビジネスランチ・ディナーであり、肉が中心。野菜は添え物、ほんの僅か。魚料理も稀。その上に、時差の世界を行き来していたので、食事も排便も不定期。時には接待で夕食を2度することもあった。寝る直前まで食べて、飲んだ。移動が連続して、排便を極力抑える体質になっていた。そんなことの積み重ねで腸がこんなことになっていたのかもしれない。これからは、

ゆっくり噛んで、腹八分目。お酒はほんとに飲みたいと思うものを嗜む程度。寝る前4時間は出来るだけ食べない、飲まない。

憩室炎になって良かったと思う。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする