森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

1月29日(火)のつぶやき

2019年01月30日 | 界隈・町歩き
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽春

2010年01月10日 | 界隈・町歩き

Nec_6263 抜けるような青空。風もない。今年初めてのジョッギング。川口神社にお参りして、かつての荒川の渡しに続く旧市街、本町一丁目の古い町並みを抜けて荒川の土手に上がる。新荒川大橋をくぐり、ゴルフ場沿いに下流に向かう。ゆっくり15分ほど走ると荒川区農業公園。更に下流に向かい新荒川大橋から3KMの地点から引き返す。復路はのんびりと川の流れの近くを歩くように走る。Nec_6260 船付き場で陽光に目を向ける。暫し、川面に踊る陽光に佇む。遠くに川口のマンション群。芝川の水門近くのゴルフ場、お気に入りの場所で腹筋、腕立て伏せ。芝生に大の字で横たわる。目をつぶる。太陽光がオレンジ色になって瞼を通り抜ける。前向きな、ワクワクする思いだけが頭に浮かぶ。小さな幸せ、至福の時間。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣-「日本とは」

2010年01月09日 | 界隈・町歩き

「喜多院」厄除元三大師の初大師。護摩を供して貰い、お札を交換し、開運厄除、家内安全、諸願成就等を祈願する。境内では「だるま市」が行われ、我が家もある頃から毎年だるまを買うようになった。毎年大きくするそうだが、小さなマンションには置場がないので、我が家のだるまは、ある大きさから成長を止めている。本堂に上がる。悩みや災難が護摩木に燃え弾け、全身を震わす大太鼓の振動に包まれ、暫し沈思黙考する。私が日本に居る限りは、正月三日は必ず家族そろって川越喜多院に行く。これが我が家の正月の行事。そして、新たな一年が始まる。Img_6198

今年は、二年振りに高麗神社にも初詣に行く事にした。海外へ赴任する前、帰国後は必ず高麗神社にお参りした。ある頃から私の守護神となっている。(「森の時間」2007年3月25日『しきたり』)。今年は大きな変化があるような気がする。明らかに起こる。Img_6199_2否、自ら起こすのだ。それで、お参りすることにした。日高の里の風景をゆっくり歩くには、まだ寒い。 JR飯能寄居線の高麗駅から直行し、少しだけ高麗川沿いをあるいた。駅へ向かう道が分からなくなったので、散歩するご夫婦と暫し一緒に歩く。都会へ通勤するのは無理なので、子供達は大宮とかに出て行ってしまい、夫婦二人きりの生活を静かな日高で楽しんでおられるとか。

神社は千三百年もの歴史がある。 数年前から、ヨン様ファンのオバサマ達の参拝が増えてきたのは、ヨン様主演のドラマ「太王四神記」の影響らしい。 「太王四神記」は、かつて朝鮮半島で栄えた国、「高句麗」が舞台。ヨン様は5世紀に高句麗の領土を最大規模に広げた好太王(広開土王)を演じている。神社が建っている地域は、668 年に唐と新羅によって滅ぼされた高句麗国の王族が移り住み、逃れて関東広域に散在していた高句麗国の人々を呼び寄せて拓いた新天地。田圃の潅水など、大陸からの新たな技術を日本に紹介した。神社の主祭神は高麗王若光で、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は600代目になっているそうだが、今や、高麗神社は「ヨン様の聖地」とまで言われるようになっているらしい。

高句麗国は戦で消滅した。60年前の敗戦から、もう一度「坂の上の雲」を目指した戦後日本。日米安保条約に守られ、西洋先進諸国に追いつき、Japan as No.1とまで言われるようになり、平和と繁栄を享受したが、坂の上の雲に到達すると、乱気流に遭遇し迷走を始めた。Img_6209 そして今、韓国や中国が、更にはアジア諸国が日本に追いつけ、追い越せ、坂の上の雲の時代。世界一、トップを目指し、膨張のエネルギーを噴出させている。物質的繁栄と緊張の欠落の結果か、社会が崩壊しつつあるこの国は、何を目指せばよいのか。「日本は峠を越えた、これからは美しく老いることだと。」という司馬遼太郎氏の言葉がある。美しく老いるには、どうすればよいのか。否、老いてしまってよいのか。

日本の文化的・人的資産。親切さ、互助精神、安全と清潔さ、勤勉さと実直さ、チームワーク、忍耐強さ、正確さと丹念さ。約束を守る、時間を守る几帳面さ、粘り、こだわり。思いやり、助けあい。これらを大方備えた各人が相乗して作り上げてきた、この世界に類を見ないしきたり、文化、日本社会・風土。それがガラパゴス現象を生み出したと言う意見もあるかも知れない。私は世界を見てきた。世界の人々と会ってきた。若い世代には世界を見て欲しい。まず、この国の歴史、社会、美しい国土を理解し、この国に生まれ、この国に住める幸せに気づき、「日本とは何か」にこだわって欲しい。

この国の次の世代に伝えたい事がたくさんある。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Milonga Nueva

2010年01月04日 | 界隈・町歩き

Nec_6279 駿河台下、三省堂脇、すずらん通りと靖国通りに挟まれた路地に「Milonga」という、タンゴコレクションのコーヒーショップがある。いつ頃からあるのかは知らない。私の学生時代にもあった。竹橋・神保町界隈のM社時代にも、タンゴ気分になると訪れていた。

今日は2010年仕事始め。とくに仕事はない。年始あいさつで行き来する事もないので、昼に仕事を終えて九段下の事務所から正月の余韻のありそうな古本屋街を徘徊することにした。一箇所だけ自然科学系専門の古本屋に足を踏み入れたが、「文房堂」でパステルを買い、結局は「東京堂」に長居してしまった。子供のころ母に、「お正月にお金を使うと、その一年お金がドンドン出て行くからお正月にお金は使わないように。」と言われた事が私の頭の中にずっと残っている。正月は縁起事以外にはお金を使わないように努めているが、今日は本を数冊買ってしまった。買った以上は、「積ん読」になって、正月の買物が無駄にならないように、帰宅前に読破してしまおうと思った。

懐かしい「Milonga」が、正月早々から開いているようだったので、重い木の扉を引いた。暗い店内は、熱く呻くアコーディオンネオンが充満している。唯一の屋外の明りは、右奥のレンガのスリット状の隙間だけ。その前の席に陣取って、買ったばかりの本をテーブルに積んだ。積み上げた山の一番上の一冊を手に取る。選ばずに上から読むことにした。薄暗い空間とメリハリのあるタンゴのリズム。読書に集中できたので一気に二冊完読した。外は雨が降りそうな曇天。夕方が早く訪れ、小さな窓から入る明りだけでは文字が読みにくくなってきた。この日の読書は二冊で止めて、店を後にした。頭と心を満たすと、身体を動かしたくなった。湯島、不忍池を抜けて上野まで歩いた。

正月初日の出勤日、自分の時間。今年の「森の時間」、幸先の良い一日だ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スタンピード

2009年03月22日 | 界隈・町歩き

早めに起きて、日比谷公園に向かった。東京マラソンの観戦。抽選に外れるだろうと思うが、来年は応募してみたいという野望が頭をもたげていた。どんな人が、どのような風体で参加しいるのかの下調べ。フルマラソンは経験無い。ハーフマラソンも経験ない。一気に走った最長距離はせいぜい10km程度だろう。走るのは早くなかったので、陸上競技の身体能力は標準以下。43kmのかち歩きの経験から、一時間6kmのペースを守れば、 理論的には7時間ほどでゴールできる。たびたび信号に遮られ、飲み食いできず、走ってはいけない「かち歩き」よりは、走ることができるし、水分も栄養も補給できるので、より容易に達成できるのではないかと甘く考えている。 Img_3088

日比谷公園の対面、「ざ・ペニンシュラ東京」前の交差点角に陣取った。ここは、日比谷公園角を右に折れ、新橋からUターンして再度通過して右折して銀座に向かう、二度通過する交差点。10km地点であり、コースの中間点が有楽町ガード前にある。関係者の車、警察の安全確認車やら複数の車が向かってくる。遠くの沿道がざわめく。しばらくすると鮮やかな白バイと先導者、報道車が近Img_3107 づく。沿道の観衆が乗り出して同じ方向を覗き始める。歓声、そして拍手。まず、車いすの集団が近づき、あっという間に通り過ぎる。大きな歓声と拍手の波が近ずくと、走者の先頭集団が現れる。世界の一流選手がひと固まりで走り抜ける。更に全身が走りの塊と化した人達が疎らに走り抜ける。 土佐礼子、谷川真理、有名ランナーが笑顔で目の前を走りぬける。人の密度が徐々に濃くなり、広い通り全面が人波で埋まり始める。押し寄せる大群。密集した人波が延々と続く。まさしく人群れの「スタンピード」。凝ったランニングウエアー、20090322097仮装したランナー、スタイル抜群の美人ランナー。その重さでマラソンが走れるの、といった体型のランナーも。様々な老若男女、女性と中高年が意外に目立つ。飽きることがない。ずっと見ていられる。沿道には、声援を送る人たちの幾重にも重なる笑顔。新橋からUターンして来たランナーの数が増えると、観戦する観衆も更に盛り上がる。頑張る、辛そうなランナーが近づくと沿道の人が激励する。笑顔になり手を挙げて応えるランナー。知らない同士の一瞬の触れ合い。私の手も自然に拍手を送っていた。少し感動的で非日常的な空間。悪くない雰囲気。銀座通りの雰囲気も味わいたくて、「イトウ屋」に向かった。Img_3174銀座通りから東京駅までコースに沿って歩いた。上りも下りもランナーの波。それ以上に観衆の数。道路が渡れないので地下道が大混乱。小雨が降り出していたが、終りが見えないランナーの群れと沿道の声援の波も延々と続く。

元気に走る人達を唯眺め歩いていたら、一人暮らしの母の事がすごく気になった。母は殆ど歩けない。母の介護に行かず無為なことに時間を費やす自分が後ろめたく感じた。東京駅デパ地下で母の好物のお寿司を買った。ちょっと高級な寿司折を持って実家に向かった。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桃始笑

2009年03月20日 | 界隈・町歩き

Nec_3031 陽射しに誘われて荒川土手に行った。久しぶりに新荒川大橋-鹿浜橋の周回コースを軽くジョッギング。新旧の岩淵水門が抜けるような青空を映す荒川の水面に鮮明な影を落とす。Nec_2609土手の南斜面はすっかり春になっている。草花が咲き誇る。ひと夏の命を終える草木が、運命で定まった場所で懸命に生きようとしている。 子孫を培う花が咲き、太陽エネルギーを受け止める幼い葉が芽吹く。Nec_3687花は間もなく散り、葉は秋には落ちる。膨らむ欲望の充足のために動きまわり、悩みを抱える人間。 ふと思った、草花は人間の知らない幸福を知っているに違いない。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朦朧

2009年03月08日 | 界隈・町歩き

Img_2992 昨年の春、数年振りで「かち歩き大会」を歩いた。その時の達成感が病みつきになり、秋の大会にも参加した。今年の春の大会は、第80回記念で、飲まず食わずの歩きは今回が最後だと聞き、もう一度参加したいと思い、早々と申し込んだ。80回と言うことは40年続いた大会。個人的にはそれほど愛着があるわけではないが、43KM飲まず食わずに耐える試練、というかマゾ感が最後になると思うと、最後のかち歩きの日が待ち遠しくなっていた。

記念大会ということか、参加者はいつもより多め。出発地、新宿西口公園で千五百名前後が出発前のラジオ体操。Img_3002 ラジオ体操が歩きの後半に効果がある事を体験しているが、トイレに行っているうちに、体操が始まっていて、最後の一部しか参加できなかった。何となくすっきりせずに8時半。太鼓と共に先頭から4列縦隊で歩き始める。先頭集団の後ろ、全体の大凡三分の一辺りの位置で歩き始めた。最初の10kmは集団歩行でスローペースのはずだが、記録狙いを中心とする五百名の先頭集団に身を置いたからか、それとも自分の体が盛り上がりきれないからなのか、周りの集団と同じ速度に合わすのに精一杯歩かねばならぬことがあった。自由歩行開始の10km地点通過時には、すでにかなりの疲労感。寡黙になって孤独な世界に浸り、悩み事、悔しい事や辛い事を汗と疲労と共に明るく発散する、自分と対峙し、考える一日になるはずだったが、疲労感で考えに集中できない。Img_3010 後方集団にいると追い越して前方にのし上がってくる歩き方が自分のペースメーカーになるが、前方集団は皆一様に速く歩く。それでも後方集団から上がって来る早足に徐々に抜かれている。抜かれ出すと疲労感が強くなる。たまにピッチを上げジワジワと追い抜く。すると信号をきっかけに次の数キロのペースが落ちる。それでもペース維持を頑張ると、何となくジグザグ、ふらついて歩いている。そんな自分との戦い、自分の体力に対する疑問と応答しながら、ただ前え、前え、100メートル、500メートル。10分歩いたから1キロ進んだ。よし、次の1キロ、更に10分頑張れ。10分刻み、ときには1時間刻みの時を積み上げて、ひたすらゴールを目指す。Img_3014 35kmの幟サイン辺りから足の力が急激に抜け、足を前に投げだせない。目線が落ち、目線の前方に左右の足を交互に黙々と送る。40kmの表示が見えて、ハッとする。50分ほど、記憶が消えていた。道中の情景も思い出せない。朦朧・・・。

先頭集団で歩き出したが、途中スピードがかなりダウンしたはずだったが、結果は前々回久しぶりに飛び込みで参加し一番後尾から歩きだした時と偶然にも全く同じ時間、7時間48分。Img_3016順位もほぼ同じで、前回が281位で今回は276位。そして3.5kgの減量。これもほぼ同じ結果。だが、心地よい疲労感より、空しい脱力感。ゴールを諦めかけるほど歩くのが嫌になり、やっとの思いでゴールに到着した時の達成感はそれなりにはあったが、何となく後味が良くない。

多分、辛い「かち歩き」はこれが最後になると思う。でも、一度だけで良い、社会人になる子供達と何も語らず、唯、足を揃えて43kmを歩き通したい思っている。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フグリ

2009年02月14日 | 界隈・町歩き

Nec_2611 穏やかな晴天。久しぶりに荒川土手に軽くジョッギングに行った。南斜面の土手には春を告げる小さな花の群れ。植物学者牧野富太郎氏が、明治22年の春、お茶の水の土手一面に咲く見慣れぬコバルトの花を発見した。このかわいい花は、日本の土に馴染み、またたく間に日本全国に広がり、春を告げる野草になった。オオイヌノフグリ。フグリとは陰嚢。花の後に付ける実の形がそれに似ている。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「上海小吃」

2009年02月07日 | 界隈・町歩き

Img_2577 今季最後のW大ラグビーの勝利ゲームになるであろう試合を観戦した。真の目的は旧友とのReunionと新宿界隈の呑み。

試合終了直前のW大最後のトライを目前に見て、大満足。試合は55対13。試合後、合流したのは4名。ぶらりと歩いて新宿Img_2580_2へ。区役所界隈を食べものにコダワリの強いS君が道案内。

まずタイ料理。まだ開店前。その後、路地奥で見つけるのにちょっと苦労し、辿りついたのが「上海小吃」。新宿区役所近くの分かりづらい路地。更に、休日も働いていた1人が合流。味は日本人Nec_2614_2向きに合わせていない本場大陸の味。店の雰囲気も店員の態度も、大陸的。親しみ易い「好い加減」。職場の中国人スタッフと行ってみよう。彼らはどのように評価するか。

異国情緒満点の食に大満足した後は、H君に導かれ「思いで横丁」へ。学生時代、歌舞伎町の徹Nec_2613夜明け。朝飯に食べたてんぷら定食で、気分が悪くなり、道端に蹲った辛い思い出の横丁。そんな横丁の地下にお店があるとは知らなかった。しかも意外にも広い、カウ ンターバー「みのる」。最近リバイバルのハイボールをサントリー角で飲る。数十年振りだ。喉が渇いていたのか、美味しかったのか、グラスの液体が一口で消えた。もう一杯飲みたい余韻を残して家路についた。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする