「喜多院」厄除元三大師の初大師。護摩を供して貰い、お札を交換し、開運厄除、家内安全、諸願成就等を祈願する。境内では「だるま市」が行われ、我が家もある頃から毎年だるまを買うようになった。毎年大きくするそうだが、小さなマンションには置場がないので、我が家のだるまは、ある大きさから成長を止めている。本堂に上がる。悩みや災難が護摩木に燃え弾け、全身を震わす大太鼓の振動に包まれ、暫し沈思黙考する。私が日本に居る限りは、正月三日は必ず家族そろって川越喜多院に行く。これが我が家の正月の行事。そして、新たな一年が始まる。![Img_6198 Img_6198](http://oquique3.blog.ocn.ne.jp/morinojikankara/images/2010/02/28/img_6198.jpg)
今年は、二年振りに高麗神社にも初詣に行く事にした。海外へ赴任する前、帰国後は必ず高麗神社にお参りした。ある頃から私の守護神となっている。(「森の時間」2007年3月25日『しきたり』)。今年は大きな変化があるような気がする。明らかに起こる。
否、自ら起こすのだ。それで、お参りすることにした。日高の里の風景をゆっくり歩くには、まだ寒い。 JR飯能寄居線の高麗駅から直行し、少しだけ高麗川沿いをあるいた。駅へ向かう道が分からなくなったので、散歩するご夫婦と暫し一緒に歩く。都会へ通勤するのは無理なので、子供達は大宮とかに出て行ってしまい、夫婦二人きりの生活を静かな日高で楽しんでおられるとか。
神社は千三百年もの歴史がある。 数年前から、ヨン様ファンのオバサマ達の参拝が増えてきたのは、ヨン様主演のドラマ「太王四神記」の影響らしい。 「太王四神記」は、かつて朝鮮半島で栄えた国、「高句麗」が舞台。ヨン様は5世紀に高句麗の領土を最大規模に広げた好太王(広開土王)を演じている。神社が建っている地域は、668 年に唐と新羅によって滅ぼされた高句麗国の王族が移り住み、逃れて関東広域に散在していた高句麗国の人々を呼び寄せて拓いた新天地。田圃の潅水など、大陸からの新たな技術を日本に紹介した。神社の主祭神は高麗王若光で、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は600代目になっているそうだが、今や、高麗神社は「ヨン様の聖地」とまで言われるようになっているらしい。
高句麗国は戦で消滅した。60年前の敗戦から、もう一度「坂の上の雲」を目指した戦後日本。日米安保条約に守られ、西洋先進諸国に追いつき、Japan as No.1とまで言われるようになり、平和と繁栄を享受したが、坂の上の雲に到達すると、乱気流に遭遇し迷走を始めた。
そして今、韓国や中国が、更にはアジア諸国が日本に追いつけ、追い越せ、坂の上の雲の時代。世界一、トップを目指し、膨張のエネルギーを噴出させている。物質的繁栄と緊張の欠落の結果か、社会が崩壊しつつあるこの国は、何を目指せばよいのか。「日本は峠を越えた、これからは美しく老いることだと。」という司馬遼太郎氏の言葉がある。美しく老いるには、どうすればよいのか。否、老いてしまってよいのか。
日本の文化的・人的資産。親切さ、互助精神、安全と清潔さ、勤勉さと実直さ、チームワーク、忍耐強さ、正確さと丹念さ。約束を守る、時間を守る几帳面さ、粘り、こだわり。思いやり、助けあい。これらを大方備えた各人が相乗して作り上げてきた、この世界に類を見ないしきたり、文化、日本社会・風土。それがガラパゴス現象を生み出したと言う意見もあるかも知れない。私は世界を見てきた。世界の人々と会ってきた。若い世代には世界を見て欲しい。まず、この国の歴史、社会、美しい国土を理解し、この国に生まれ、この国に住める幸せに気づき、「日本とは何か」にこだわって欲しい。
この国の次の世代に伝えたい事がたくさんある。