今宵、神楽坂のF蔵で、カレーコロッケ、毛ガニ、うなぎ柳川風鍋、麦トロを満喫された皆さん、そして落語に出てくる「玄翁」すらが分からなくなっている新世代にお嘆きの先人に、「玄翁」(げんのう)についての調査結果をご連絡します。
玄翁和尚は、越後生まれの南北朝時代の曹洞宗の僧(1329-1400)で、会津に示現寺を開き、那須野の殺生石を砕いたそうです。その際に使用したのが大工や石工が使う大きめの金槌で、それが「玄翁」と呼ばれるようになった。
金槌の頭の格好は、打つ面の片側は平面で反対側の表面が若干凸面状に丸くなっている。必ずしも大きいということではなく、玄翁和尚が殺生石を砕くために使ったのが宮大工が使うような小さなかなづちでなく重たくて大きめだったということで、大き目の金槌を玄翁と分類していたのだと思います。
しかし、玄翁和尚は何故殺生石を砕いたのでしょう。
火山ガスを噴出す石が魔物と見られ、退治したということなのでしょうか。石を砕いたらもっとガスが出てきたのかも知れません。
那須温泉の源泉は殺生石の近くにあって、昔ながら建物で、木の床にごろりとしながら湯浴みをするところです。30年程前に入ったとき、おじさんとおばさんばかりでしたが、おばさんが、トドのようにぐったりと風呂桶の淵に横たわっていました。手ぬぐいもなく完全に素っ裸の仰向け。
場所は変わって、20年前のデュセルドルフ駅前のサウナ。会社帰りの見せびらかしたがり筋肉マンや、見られたがりOLがひしめいていました。段々になったサウナ室に入ると、人形のような、しかし若干日焼けして水着の跡が残るお姉さんが足を立てて横たわっていました。私の座った目の位置のまん前に股間があり、ロッカールームにメガネをとりに戻りました。サウナの中でメガネをしているのは私だけでしたが、ギリシャ文明の塑像のような人類の「美」を、鑑賞した気分になりました。
服に隠されない肉体が人間の原点と思うようになった、人生観を変えた思い出のシーンです。
何でこんなこと思い出しているのでしょう・・・・
さて、「子は夫婦のかすがい」の『かすがい』という字はどのように書くか分かりますか。「鎹」です。二つの木材を止めるために、両端を曲げた鉄釘のことで、英語では「Clamp」といいますね。
因みに「無精(不精)」というのは、読んで字のごとく精を出さないこと。めんどうがってやろうとしないという意味ですが、本来は精を出さない女性に対しては使わなかったのかもしれない。
これらの言葉は、今宵の「出不精」の御仁らの話題の江戸落語コーナーで出ていました。