森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

Cosmos

2005年10月31日 | 随想・雑文

薄紅の秋桜が秋の日の

何気ない 日溜りに揺れている

この頃 涙脆くなった母が

庭先でひとつ咳をする

縁側でアルバムを開いては

私の幼い日の思い出を

何度も同じ話 くりかえす

独り言みたいに 小さな声で

こんな小春日和の 穏やかな日は

あなたの優しさが 浸みてくる

あした嫁ぐ私に

苦労はしても

笑い話に時がかえるよ

心配いらないと笑った 

実りの秋。佐口の集落。稲穂と畦道のコスモスが風に揺れている。 

harvest_and_cosmos

コスモスはメキシコ原産の外来種です。だから、日本の在来生態系を乱すので、駆除されるべき対象なのだ!?

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Les Feuilles Rougies

2005年10月30日 | 森林・自然・環境教育

IMG_0377 コナラ(ブナ科)とダンコウバイ(クスノキ科)。檀香梅と書く。  クスノキ科の樹木は香りに特徴がある。クロモジ(上等の楊枝に利用)やアブラチャン(油をとった、生でもよく燃える)等。

IMG_0383ヤマザクラ(バラ科) IMG_0384

クリ(ブナ科)IMG_0386

ミズキ(ミズキ科)

「秋になるとどうして葉が赤や黄色になるのかな?」

葉っぱが緑なのはクロロフィル(葉緑素)という色素があるから。ほかにカロチノイドという黄色の色素も持っているが、緑のほうが数が多いので緑に見える。ところが気温が低くなると、緑の色素が分解されて、黄色が見えるようになる。

茶色になるのは、カロチノイドも分解されてしまい、食害を防いでいるタンニンから褐色色素のフロバフェンができるため。カツラの生乾きの落ち葉の醤油と砂糖を焦がしたような香ばしい香り。

赤くなるのは、葉にたまった糖から赤い色素アントシアンが新たにできるから。葉を落とす準備が始まると、枝と葉の付け根にある離層になる細胞が変化して、葉で作った養分と水分を運ぶ通路がふさがってしまう。そうすると転流されなくなった糖が葉にたまる。

水が送られなくなると、葉に水分がなくなって枝から落ちる。四季がある温帯では秋の終わりに、乾季と雨季が交互にある熱帯の落葉樹は乾季に葉を切り離す。寒さ、乾燥から身を守るために、葉を落として休眠する。日本の落葉樹の落葉は冬支度。

美しい紅葉の条件:

  • 十分な日当たり
  • きれいな空気
  • 摂氏8度以下の冷気。とくに夜の急激な冷え込み
  • 適度な湿度

山地の渓谷にはこの条件が揃うので、紅葉の名所が多い。ヒートアイランド化した大気汚染の都会では、紅葉しても色がきれいにならない。

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2005年10月29日 | 随想・雑文

1990年の頃から、Canonの一眼レフをスケッチブックに持ち代えた。余裕がある長期出張、単身赴任でひとり時間を持て余したとき、対象は特定せずにスケッチをしていた。

ここ数年は全く描かなくなってしまったが、体を少し休めるために静かに絵でも描こうかと思い始めている。それで、久しぶりに過去のスケッチを見てみた。どれにも思い出がある。絵を描いた場所、描いていたときの思いが、鮮明に蘇る。写真ではそうはいかない。その中のいくつかを、「Les Paintures 」 というアルバムの中で整理することにした。

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第二小屋と疲労骨折

2005年10月23日 | セルフビルド-時休自足

右腕が骨折していた。 やっぱり・・・。

重いものを持ったり、拳を強く握るだけでもズキンズキンと鈍痛を感じるようになっていた。ここ一週間は箸を口へ運ぶだけでも痛みがあり、腕に触れるとかなりの痛みを感じるようになっていた。

「疲労骨折」だそうだ。もう少し無理をしたら「剥離骨折」になって、厄介なことになっていたと言われた。左足も痛かったので診てもらったら、足裏の靭帯が炎症を起こして切れる直前にあると驚かさせられた。更に右足親指と左手首が脱臼していた。全身ガタガタ・・・。

挙句にどこかで(職場だ!)風邪のウイルスをうつされて、喉ヒリヒリ、鼻グシュ、全身ダルーイ。夏場の強行日程の連続が疲れとなってドッと出てきた。気持ちはイケイケでも体は疲れていた。だから免疫力が低下していたので風邪もひいたしまったのだろう。いつのまにか無理のできない歳になっている。

この週末は、奥様の厳しい監視の下、在宅療養です。だから、第二小屋がなかなか完成できない。

先週末の作業中、IMG_0181床板の打ちつけをしていて腕の痛さに耐えられずに途中で作業を中止した。IMG_0179窓枠のペイントは塗ることができたものの、金槌を持てなくなっていたので、取り付けることはできなかった。

IMG_0188 スイスのカウベル。Eさんが来訪記念に置いていかれた。音を出すと、カナディアンロッキーの赤屋根の小屋(本人だけそのつもり)がヨーロッパアルプスの高級なチロリアン風山小屋になる。

IMG_0189 タラノ木の葉が秋色になった。次に来れる時には、落葉しているだろう。冬が近い。「♪冬が♪来る前に~、もう一度、作業しに、ゆ~き~た~い~な~♪」

早く体調を戻そう。骨折を直そう。

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「いただきます」

2005年10月20日 | 随想・雑文

「うちの子供には学校給食を食べるときに、『いただきます』と言わせないで下さい。給食代はちゃんと払ってますので。」

と言ってきた母親がいる、という学校の先生の投書がラジオで紹介されていた。翌週もその番組では、他の先生達からも同じ話がいくつか届いたということを話題にしていた。土曜日の朝、「森の時間」にいるときは、この番組を聴きながら作業している。

「いただきます。」って、恵んでもらう、お金払わないでご馳走になるときにだけ言うのでしたっけ? そういうお母さんは、中国人もびっくりの、お金が全ての“拝金主義”者なのでしょうね。哀れな資本主義牧場の家畜。多分、そんなことをいう若い親は団塊ジュニアとよばれる世代ではないかと思う。その親世代が、敗戦の荒廃から今日の豊かな日本を造り上げる復興の中心となった世代、「団塊の世代」。子供達には同じ苦労をさせたくない、自分も豊かになりたい一心で、物欲・食欲・性欲の満足のためにがむしゃらに働き、遮二無二突き進んできた。日本の古き良き風習・伝統、心、慈愛、感謝の気持ちは軽視されていた。

高度成長の兵士団、沈黙の羊の群集。この団塊の世代には自立できない気の毒な人たちが多い。全てがお上や会社任せで、社会の常識も身につけないままに歳をとっている。その世代が「社畜」から開放され始め、巷間に無礼、無教養な中高年が目につくようになった。数年すると、ニートと化した自分勝手な不良中高年が、都会に留まらず田園にも拡大し、日本中を闊歩するようになるに違いない。

人が口にする食物全てに命が宿る。野菜であっても、魚、肉であってもみな命を有していた。だから大切な命を「イタダキマス」。命あるものを食べること、命の大切さ、あり難さ、命の循環、について考えるくらいの最低の教養は持ちたい。

太陽と自然の恵み、生き物に、全ての命に感謝。お米を育ててくれた人に、お味噌を作ってくれた人に、お茶碗を作ってくれた人にも、お箸を作ってくれた人にも、そして、「いただきます!」

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森林の公益的機能ー秩父は今日も雨

2005年10月19日 | 森林・自然・環境教育

此処彼処の草むらに蟋蟀が鳴く、「蟋蟀在戸」の季節。

『何故、森林が必要なのですか?』 

東大秩父演習林の昨日の講義は、森林の『環境保全(多面的)機能』と『物質生産機能』について。団粒構造、浸透能、森林褐色土、等など、森林オタクにとっては入門編の講義を一時間程受けたのち、いつもの東京大学バスで演習林に向かう。

今日も雨。記憶では、春からのこの講座で晴天になったのは、秩父の文化・風習を知る講義(だったけ?)で、三峰神社などをほぼ一日バスで周遊した日だけだったと思う。その日は、抜けるような五月晴れの一日。現世から離れた山の上、神のお膝元で、こんなにゆったりしていいのだろうか、自責の念にとらわれる程の上天気だった。神様はちゃんとバランスをとるのでしょう。その後はいつも雨曇、しとしと雨。もう、充分悪天候をいただきましたから、秩父の秋を太陽で輝かせてください。次回は秋晴れか、悪くてもうす曇り。神様は見ている。と、信じている。

森林の土壌は100年で1cm程度しかできない。秩父の広葉樹の森では、年に1ヘクタール当り2-4トンの落葉があるそうだ。年によってかなりばらつきがあるらしい。一本の木が一年間に出す葉っぱの量が年によって異なる。気温や日照時間が異なると、光合成を行う葉っぱの成長量に影響を与えるので当然だろう。落葉の量や、落葉から樹種を特定するための落葉採取器。直径0.8メートル。これで1Kgの落葉。一枚一枚、ブナ・イヌブナ、その他に分類し、秩父の山のブナ類の混生状態を調べるらしい。

IMG_0209 50年弱の杉の間伐地IMG_0201 、複層林IMG_0205 、森林土壌の断面などの講義を受けながら演習林を歩く途中でコガネタケの群生を見つけた。IMG_0206

知る人ぞ知る、香ばしく歯応えのあるキノコ。講義をそっちのけに、空いている籠の弁当箱につめた。家に持ち帰り、茹でようか、煮ようか、焼こうか悩んで、結局焼いて食べた。でも、焼き方が足りなかったせいか、家族が警戒しながら食べたせいか、我が家での風味はいまひとつ。先日、「森の時間」で大きな一本を丸焼きにして、三人で大事に分けて食べたときの方が歯応え、風味ともに断然良かった。美味しく感じるかどうかは、主観的なものであるが、雰囲気であり、見た目であり、その時の気分。

雨の秩父。本日の収穫は出会い。見るからにまじめそうな方とバスの中で隣合せ、お話したこと。見た通りのまじめの方でした。帰りのレッドアロー号では別のお二人と一緒になり、時を忘れてお話が出来たこと。お二人共、採取された葉っぱを標本にされている。森林、樹木への情熱に圧倒される。M氏は森林インストラクターでした。「私もそうです!」 心地よい話のテンポに誘い出されるように、私も森林インストラクターを告白してしまい、挙句にビオトープ管理士や生態系保護指導員なぞと、私の日常の行動様式からかけ離れたことが書いてある名刺までお渡ししてしまいました。 『公示』して自分を追い込む。これも一つの術。やるっきゃない!(社民党オタカさん。ちょと古い。)

職縁とは異なる世界の方々と知り合いになる。新しい出会いと発見、変化、刺激。人と自然界の生き物から学び、遊ぶ。更に出会い、聴いて、話して、見て、触って、時には飲んで、食べて・・・。五感全てを駆使する。人生やってる感じになります。

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「ふいに吹く風」

2005年10月16日 | 随想・雑文

気負わない、自戒するような南木佳士氏の文学に魅せられている。

最初の出会いは、読書家の旧友から紹介受けた「阿弥陀堂だより」。【2005年6月7日Blog-「旧友と阿弥陀堂だより」】

「ふいに吹く風」という短編集が好きだ。私には珍しいことだが、同じ作品をニ度読んで、その後も時々、ぱらぱらページをめくっている。今は「冬物語」という短編集を読んでいる。扱われている素材は、殆ど全てが病む人、死に行く人。末期医療の医師である本人も死に立ち会い続けて来たストレスから心を病む人になってしまう。諏訪総合病院院長の鎌田實氏は前向きに死を迎える死生観。南木氏は、人心深くまで掘り進んで、その底から頭上の小さな明かりを見上げるような死生観を、丹精に背伸びしないで書いている。

右下の写真は、氏の勤める「佐久総合病院」と氏が釣り糸を垂れる千曲川。小海線臼田駅の近く。「森の時間」へ通う道の途中にある。IMG_0162

「阿弥陀堂だより」が撮影されたのは飯山市。小説は、南木氏が出張医療(?)で通っていた南相木郡の山村の奥にある阿弥陀堂が舞台になっているそうだ。山の神と山に行った先祖達を、まずお迎えする阿弥陀堂。現世と来世、神々と人々を導き会わせてくれるのが阿弥陀堂。いちど、その阿弥陀堂に行ってみようと思う。

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自然環境保全戦略の立て方

2005年10月15日 | 森林・自然・環境教育

自然環境保全と言っても漠然としている。

生態系の頂点にいる猛禽類は、自然の量が減ったり質が悪くなったときに影響を受けやすく、元々数が少なく、一年にせいぜい2-3羽しか繁殖しないからすぐに数を回復させることは困難である。また、行動圏が広いため、開発行為などの土地利用によって致命的な影響を受ける。そのような猛禽類の存在を調査し、保護することが、持続・循環する自然環境の保全になる。

埼玉県県民環境カレッジ実践コースの野外実習に参加して、オオタカの生息地、流山市の「市野谷(いちのや)の森」に行って来た。

常磐新線「ツクバTX」に『流山おおたかの森』という新駅が出来た。駅のDVC10023周囲は畑をつぶしただだっ広い更地。その中に東武線と交差するモダンな駅が忽然と登場した。 新線と新駅周辺の都市計画で「おおたかの森」DVC10019が半分が消えてしまったそうだが、まだ24Haほど、谷戸地を抱える下総台地の森が残されており、 5-8羽のオオタカが越冬していることが観察されている。 DVC10022

(明日は5時起きなので、この続きは次回)

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ファイナンシャルプランナー

2005年10月14日 | 随想・雑文

この資格は二年で更新される。二年間の内に15単位の継続教育を受けないと資格は失効することになる。今月末が私の教育期間の期限。これまで週末を割いて3講座受講し11単位確保しているので、後4単位を取ればよい。

だが、この最期のもう一歩がなかなか実行できないのだ。週末は、両親の介助、「森の時間」の開発・整備、埼玉県生態系協会の講座・実習、はてまた話力集中講座。普段の日も両親の介助、講師認定講座、秩父演習林サポーター等がある。もう時間が無い。それで、今年は殆どためにならないインターネット継続講座で茶を濁すことにした。早速、それをやって、たった今終えたのだ。一講座2,500円で3単位。金融資産運用とライフプランを選んだ。分かりきった陳腐なテーマばかり。捨て金だが、資格更新のための必要経費と割り切って5000円クレジットカード決済。とりあえずは、必要単位に到達したので一安心。これでしばらくはFPから離れられる。

私がFPの資格を持ったのは1997年10月。8年が経過している。FPがブームになる以前からだから意外と古株。でも、それで仕事をしているわけでもないし、全く関係がない分野の仕事をしてきた。税金・金融・年金・保険などの常識と基礎知識を確認することと、自分の金融資産面のライフプランをプロフェッショナルに作成したいと思ってFP資格の勉強をした。それは、この6年程、とくに早期退職前後から大変役に立っているし、自分の人生・資産形成プランに自信を持たせてくれる強い武器となっている。このような知識があって、資金面での自分の生涯が見通せたので、不安なく「大樹の陰」から抜けることが出来たと思う。退職当時は社会保険関係はかなり詳しいかった。自分のことだったので、社会保険労務士にも挑戦してみようかと思ったくらい勉強した。米国・カナダ政府からも年金がもらえそうになってきたので、最近は日加、日米社会保障協定についてもマスターしておいた。米国からは確実にもらえるが、カナダは不明確。

せっかく維持しているFPなので、ライフ・リタイヤメントプランと私のひとつの舞台「森の時間」とを結びつけたをテーマを考えている。行く行くは、それを講演のテーマにして、全国津々浦々を旅して、日本各地の人々と美味しい魚と地酒にふれ合いたいと考えている。

ただの『思い・・・』。

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雨ニモマケズ

2005年10月09日 | 随想・雑文

紅葉が真っ盛りの北八ヶ岳、麦草峠周辺を散策した。

標高2千2百メーターの麦草峠に到着する頃から、突然悪天候になり、歩きは生憎の雨の中。雪の中を歩いたことは何度かあったが、雨が明らかな予報のときは中止しているので、歩き出しから雨という山歩きは珍しい経験。麦草峠の駐車場は登山用に車を止めてはいけないのだが、小屋に入ってコーヒーを注文、3人で1,350円払ってから、おもむろに車止めさせてもらえないか聞いてみた。晴天ならば、三連休だし、大賑わいが期待できたのだろうが、人も車も疎ら。主人も断りきれず、特例を認めてくれた。cimg1647_45IMG_0143

麦草峠-丸山-大石小屋-白駒池-麦草峠、ちょうど4時間程、雨中の歩き。 IMG_0133

IMG_0144それから、秘湯「稲子の湯」で硫黄臭、鉄分の強いお湯に浸かった。

この日のお泊りは「森の時間」です。途中で食料とビールを買い込んで、八千穂村の里奥のお宿に向いIMG_0145ました。

夕食と翌朝の朝食は、にんにく風味のチキンドラムとタレ付きマトン をジュージュー焼いて、ソーセージも焼いて、とうもろこし、庭で採れたナスやたまねぎを丸焼きし、IMG_0146馬鹿でかく育ってしまったコマツ菜で味噌汁を作り、パンを焼き、それからビール、ビールに焼酎、そして1982年(?)ものの赤ワイン。  IMG_0157IMG_0155

翌朝は、少しだけ第二小屋の作業をお手伝いして頂いた。

IMG_0159 近く森の中に、キノコ採りらしい一団が来たので、食べられるキノコを聞き出して、庭に出ていた3種類のキノコを食してみた。 左の写真は、アミカサタケとハナイグチ。ハナイグチは「時候坊(じごぼう)」とも呼ばれる。キノコを教えてくれた地元の人は土地の言葉で「りこぼう」とか言っていた。カラマツ林を代表するキノコで、ロシアでは「バターきのこ」と言われているそうだ。ナメタケのように強いヌメリ。茹でて大根おろしが美味しいらしい。コマツナの味噌汁に入れて食べた。 IMG_0158

右の写真はコガネタケ。キノコおじさんに、これを見せたら、どこにあったと目の色が変わった。珍しいらしい。香りがあるので焼いて食べると美味しいと聞いたので、きなこのような黄色い粉を洗い流してから焼いて食べた。歯ごたえと香りがあった。 cimg1667_50

ハナイグチとコガネタケが思い出の逸品となった秋の日でした。

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