森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

レガシー-「森の時間⑱」

2009年12月31日 | 森林・里山・野活

カナダ出張中に新車が納入されていた。帰国してから一度だけ対面したが、まだ乗る機会がなかった。息子が年末の休みに「森の時間」に行きたいと言うので、晴天の大晦日、新車の試し運転を兼ねてひと走りしてきた。P1020662_3 

「のらくら農場」は、年末年始家族皆で里帰り中で休業。佐口の里奥に人の気配はない。かつて天然スケートリンクであった佐口湖は乗っても割れない程に結氷している。雪面が太陽を反射して眩しい。前回来た際に、今年最後だと思って冬を迎える準備はしてあるので、特にやらねばならない作業はない。だれも来ない小屋だが、正月の飾り付けをしてゆったりしていた。すると、青空が俄かに黒雲に覆われた。暫くすると激しく雪が降り出した。先程までの穏やかな太陽が一転して、突然の冬景色。P1020650ゆっくりしてられない。家路が気になったので、早々と帰宅することにした。ところが出発する頃になると、突然太陽が顔を出し、再び青空が広がった。標高千メートルは山の天候。目まぐるしく変化する。

今日こそは本当に2009年の「森の時間」納め。 2010年、良い年を迎えましょう。

この一年の安泰と無事に感謝し、来年の作業と来訪者の安全を祈り、再び雪が降り出した小屋を後にした。

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日本の存在感

2009年12月23日 | 随想・エッセイ

今年四度目のカルガリー。記録的な寒波が停滞していた。町中を歩く人は疎ら。太陽が出ている昼間でもマイナス20度以上の氷点下の日がある。間もなく冬至。午後3時過ぎには日没になる。日が消えると一層冷え込む。町中のビルも家々もクリスマスデコレーションが飾られ、郊外の家々の窓からは暖かい明かりがこぼれる。記録的な厳しい冷え込み。人々は暖かさに集まる。 Img_5996

アルバータ州の中央部に、石油産業の周辺産業が集中している一帯がある。今回の出張目的の一つは、契約した荷物の到着を確認し、代金を回収すること。寒さばかりでなく、今年は降雪量も多いと聞いていたので、雪深いヤードに行くために、寒さ、雪に強そうな車、大きめのSUVを借りた。Img_5977走行距離80Kmの新車があった。私が始めての借り手。カルガリー-エドモントン間往復600Kmの長距離ドライブは快適。疲れ知らず。雪上ドライブも安心だった。しかし、寒さで疲れ切った帰り道は、時差もあって、眠気と戦いながらのドライブ。カルガリー近郊のRest Areaにやっとの思いでたどり着き、ひと寝入り。凍死しかねない寒さに10分もしない内に目が覚めた。 Img_5971

CIBCの定期預金の一部を解約して円転し、日本での生活費の足しに持ち帰る。これも出張目的の一つだった。難なく円に換えられると思っていたら、円を取り寄せるのに5日必要だと言う。以前は、同じCIBC支店で即日円転できたはずだ。巨額の場合は中一日待たされる事はあったが、最近は円は常時準備していないと言う。ならば町中の大きな両替屋で変えて貰おうと向かったが、Near_hotel_small_park2万4千円しか手持ち円がないと言う。CIBCの飾り付け、宣伝文は英語と中国語。貰ったカレンダーは中国版。破竹の勢いの中国が日本に入れ替わったということだけではない、西洋社会における東洋ポジションは中国、そして韓国に取って替わられている。カナダに登場する人の数、投資金額、人気商品は中国と韓国。今や、Sumsong、LG、Hyundai等の韓国ブランドがかつての日本品のように安心できる商品、品質の代名詞になっている。

日本国内では、政治と金、内向き、大衆迎合・日和見的政策ばかりが注目され議論が沸騰している。超ドメスチックで営利集団と化した日本マスコミには世界を見る目はない。私がマスコミに憧れた時代は、世界が見たい、世界の大国・小国の人々・政治・文化に大いなる関心があった。平和と豊かさに身体が緩んだ、無意識な国民が一面的なマスコミに扇動される。世界第二位の経済大国時代は終わった。地球上の生存競争はますます激化する。国家の闘争心に躊躇いがあると蹴落とされる。世界の中で、日本の存在位置を確保し、存在感を誇示し続けないと、日本の豊かさ、繁栄は砂上の楼閣の如く、ひと波で跡形もなくなる。Img_6133

民主党の対米非礼的外交、なに故の媚中外交なのか、この国はどこに行こうとしているのか、ダッチロールしているように思える。日米同盟軽視、無視する発言の数々。アメリカにおいては、日本の同盟国としての位置付けが急落している。政治的軋轢が解消されなければ、いずれは経済で叩かれる。アメリカの経済・産業界で起こる事は、必ずカナダでも起こる。そして白人列国、ヨーロッパに伝播する。政治がふらつくと、世界で輸出立国日本の企業が叩かれ、日本経済の縮小が始まり衰退する。貧すれば鈍する。志を無くした国民の心は荒み、やがては東の外れの小国でしかなくなる。日本国民に一次産業に戻る覚悟があったとしても、目一杯国内資源を活用し、養えるのは7千万人程度らしい。エネルギーは僅かしか手に入らない。便利過ぎた今日の生活、夜の明かるさはなくなる。残されたこの国の富は、善良でない在日韓国人、怒涛の如く押し寄せる新参中国人に奪われ、在来日本人の大勢が下層階級を形成する。日本人の国家は消滅する。そんな展開にしてはいけない。

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産土

2009年12月12日 | 随想・エッセイ

江戸川に迫る下総台地の西端、鬱蒼とした斜面林に囲まれた千葉大学園芸学部のキャンパスがある。そこから二百メートル程離れた場所に、形の良い独立した山丘がある。標高28mの、富士山に似たその山頂部には「浅間神社」がある。私が中学生の頃に、その森は千葉県天然記念物に指定されている。Nec_6213神域として保護され、自然放置された森の内部では、日照・気温・温度などの自然環境に適応できない樹木の淘汰がすすみ、生育に適した植物のみが高木、亜高木、低木、草本の層位ごとに定着し、小高い山全体が暖温帯の安定した森林を形成している。高木としてヤブニッケイが繁茂し、タブノキ、ツバキ、ムクノキなどの原生林が残る、照葉樹林帯の極相林となっている。

私が生まれたのは、松戸市小山。浅間神社を望む矢切の台地が幼年時代を過ごした土地、私の故郷。台地の西端からは、ゆったり流れる江戸川越しに大都会東京のシルエット、その先に富士山が遠望できる。眼下の江戸川流域には今も田圃が広がる。稲を栽培するには、完全平面農地でなければならない。斜面を開墾し、水田にするには何年も、何代もの世代が苦労し、良田が生まれる。江戸川の氾濫域は平たいので比較的開墾は容易だったと思うが、50年前頃まで河童沼と言われる底なし沼状態の湿地で、田圃にできない池が散在していたので、平地ではあっても田圃への開墾は見た目ほどには容易ではなかったのだろう。

何代もの世代が開墾した土地、田圃は親から子、子から孫に伝えられた。この伝統が土地に対して愛着を生み、郷土意識を育て、この列島、文化を愛する愛国心に発展する。日本人の愛国心は、田圃、土地に対する姿勢、稲の生産の母体である農地への愛情から生まれ、それが山や川、海におよぶ。収穫、食みをもたらしてくれる自分の土地に対する感謝の気持ちが、郷土に神を祭る風習を育み、産土神が生まれた。わが家は農家ではなかったが、「浅間(せんげん)さま」は、地元の産土神であり、盛大な夏の祭りは人々の大きな年間行事であった。

荒川沿いの川口市本町に移り住んで四半世紀。内15年ほどは国外に住み不在ではあったが、この棲家から3分程のところの「川口神社」を、今の私の祈りの場所としている。家族の安全・繁栄、子供の受験・進路、両親の健康・治癒、仕事の達成、海外渡航前後、人生の岐路で身を清め祈願し、安泰と成就をお礼する。 リラックスする週末、雨降りでなければ、必ずのように荒川土手に向かう。途中にある川口神社に立ち寄り、柏手を打つ。それが私の人生リズムを支えてくれていた。

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初雪-「森の時間⑰」

2009年12月11日 | 森林・里山・野活

Dsc04822 和歌山から机・棚を搬入することになっていた。輸送費を軽くするために搬入日指定なしで依頼していたが、出張予定が迫って来たので、先方の都合でこの日に搬入してもらう事になった。机と引出しキャスターのセット11個と棚3個。全て吉野杉の地元の大工さんのオリジナル。間伐材ではあるが、杉の銘木「吉野杉」の無垢の家具。私の働く会社の和歌山事業所では、Dsc04823これらの引取り手が居ないので廃棄処分にすると言うのだ、「モッタ イナイ」。 再利用の道を模索し、のらくら農場の事務所や学習机、更にお知り合いの方々に輸送費だけを負担して頂き、利用してもらうことになった。一部は来春引取に来るまで、小屋の屋根下に積んでおくことにしたので、搬入箇所を指示せねばならず、その為に、どうしても現場に行かねばならなくなった。

前夜、長野方面は雪が降った。Img_5884 路面積雪になっていないことを祈りつつ、内山峠ルートで向かった。冬のウイークデイ、しかも雪・雨予報の暗い一日。内山峠に向かう車は殆どない。峠の上りにさしかかると、たった一台の前方を行く車が路肩に寄せて止まってしまった。路面に雪の轍が目立つようになり、スリップし始めていた。私の車も滑り止めは着けていない。ちょっと躊躇ったが、雪交じりの雨に変っており、峠にかかる霧の状態、外気温の上昇具合からすると、これ以上は降雪することはないと思えたので、止まらずに峠に向かった。 峠に向かう車は全くない。降りてくる車も殆どない。Img_5886

「森の時間」は雪混じりの雨。時折、強く降る。朝方までは雪が降っていたそうで、大地の一部が白く覆われている。取り残したカリフラワーにザラメの雪。薄暗い曇天の中、飯田市の中継地から中型トラックが到着した。雨の中の荷降ろし作業。間もなく冬至の曇天の一日。Img_5887 搬入作業が完了し、机・棚にシートを掛け終わる頃には、すっかり暗くなっていたが、 雪の混じる冷たい雨に打たれながらも、来たついでに小屋の周囲を整頓した。そして、小屋の中で一休み。暖かいお茶で一休み。冬を迎える里奥はシーンと静まり返っている。時折強く降る雨音が屋根を叩くだけの無音の世界。暖まったホットカーペットの上、そのまま眠り込んでしまいそうだったが、屋根を打ちつける雨音が連続するようになった。 Img_5898大雨になると、足元がぬかるんで車が小屋のまでのパスから抜けられなくなる。それ以上に心配なのは、内山峠の雪。帰れなくなる恐れがあるので、しっかりと戸締り、入口に二重のチェーンをかけ、急ぐように家路についた。

「森の時間」は、この日から冬眠に入った。

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「森の時間⑯」

2009年12月06日 | 森林・里山・野活

だいぶ冷えてきた。今年最後のつもりで小屋に泊まりに行った。夜半の外気はマイナス3度。Img_5877 まだそれほど寒くはない。のらくら農場のビニールハウスの中は、ターツァイ、コマツナ、シュンギク等がまだ青々としている。このターツァイ、ひとつで大型フライパン一杯の炒め物が出来る。上質のごま油でさっと炒めてミネラルたっぷりの塩を軽く振る。大皿に大盛の青菜の惣菜になる。あっという間に平らげてしまう。そうすると、Nec_6219翌日濃緑色の便が出る。 最初は何かの病気ではないかと心配したが、何度か繰り返しているうちにターツァイが原因どとわかった。

森の時間の小さな菜園の最後の収穫は、ブロッコリー。 パセリも元気だが、歯ごたえが強い。のらくら農場のおいしいニンニクの葉が均等な長さで地表に這っている。来春の収穫が楽しみ。Nec_6218

夜は「山の幸ぶっかけ鍋」、翌朝は「ポパイ鍋」。いずれもNHK「ためしてガッテン」で知った鍋料理。ぶっかけ鍋は甘みを出すエノキ・シメジ・マイタケと苦味のナメコを上手に掛け合わせ沸騰させないのがコツらしい。Img_5872 焚き火をガンガン燃やし、炎を囲んで、語り、飲んだ。赤・白ワイン。ドブロク、更に一升瓶。この日は、のらくら農場の罠にかかった鹿のロース肉のご馳走もあった。雑菌があるから良く火を通さないと危ないと言われたので、焚き火で思い切り焼いたら硬くなってしまった。焼きすぎて珍味にもならない。味付けが足りなかったのかもしれない。それから部屋のコタツでお鍋。そして、語り疲れ、飲み疲れ、そ~して男は~♪、静かに眠った。Nec_6216

森の時間は冬を迎える。2009年の活動はこれで終わる予定。

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