「屋久島」 6月8日-11日
やっと実現した「屋久島」。クロゼットの奥から引っ張り出したロウカットの登山靴の靴底が浜松町駅の階段で剥がれてしまった。フランスブランドで安かったので軽登山靴として買ったのだが、大事な旅の出鼻が挫かれた。サンダルに履き替え搭乗し、鹿児島市内で登山靴を買う破目に。フェリー乗り場から歩ける距離にそこそこの規模の「好日山荘」があった。屋久島登山用にガスボンベ等を買い揃える人、屋久島行き常連客が立寄るらしい。家にはしっかりした登山靴があるのだ。安物買いの銭失い。
地下のマグマがゆっくり冷えて、海に突き抜けて出来た花崗岩の島。海抜0mから洋上アルプスといわれる宮之浦岳山頂1,936mに展開する多様な気候帯と複雑な植物相。九州から北海道までの日本の自然の縮図、原点。日本全国の年間平均雨量は1,700mm。屋久島では、平地で4,000mm、山岳地帯では8,000mmのものすごい多雨と、暖流から湿った空気が急上昇して出来た霧に包まれる森は様々なコケに覆われている。樹齢数千年の森の島は「世界自然遺産」に認定された。水と変化する樹林帯とコケの森、神秘の息吹を体感してみたかった。相棒は大学生の息子。お互いのスケジュールが会うのは3泊4日が限界。
日本のエコツーリズムの発祥の地で、ガイド認定も厳しく、知識、経験豊かな ガイドが充実 しているらしい。エコツーリズムを牽引し、エコツーリズム大賞特別賞を受賞したと聞く「YNAC」のフォーレストウォ-クの一日ガイドをお願いした。ツアーには関西からの青年と四日市
からの単独女性が同行。ガイドは屋久島に魅せられた北大-環境庁出身の市川聡さん。ガイドの内容は期待以上。素晴らしい!ペ-パ-森林インストラクターにとっては、プロガイドのコツが勉強になりました。「もののけ姫」には、屋久島の苔生した森や花崗岩の岩山のシーンが登場する。
屋久島にある杉が全て「ヤクスギ」ではない。ある高度以上で育つ、千年超える杉のことだけが「ヤクスギ」だ。養分の少ない花崗岩の山で育つので成長が遅い。年輪幅が非常に密で油分が強い。だから硬くて腐りにくい。江戸時代に乱獲された巨大な「ヤクスギ」の切り株が今も腐らずに土に埋
没している。今出回っている屋久杉の仏壇・家具はそれを掘り出して加工している。「ヤクスギ」は伐採できない。埋没した切り株を掘り出すにも許可が必要。倒木したヤクスギの上に稚樹が育ち、倒木したヤクスギは根本に大きな空洞を残して朽ち果てる。稚樹は大きくなり、やがて倒木する。折れ残った株に次の世代の稚樹が育ち、それが既に数千年経過している。そんな万年単位のドラマがゆっくりと展開している屋久島の森。
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日没がきれいな「送陽邸」。桟敷から見下ろす砂浜は日本最大の海ガメの産卵地。海ガメは夜に浜に上がるが、雨だと砂が重くなるので上がらないそうだ。前夜は雨だった。この日も雨が降っていたが、明るい午後、雨が降っているのに、一匹の海ガメが上がってきて、産卵を始めた。待ちきれなくて、産卵を強行したらしい。昼間に産卵が見られるのは幸運だと言われた。砂浜の隣地に斜面に広がる「送陽邸」は、屋久島の民家を移設し、改修した手作りの宿。島の北側の小さな永田集落にひっそり佇む目立たない宿。海を見
下ろす手作りの桟敷で食事。海を独り占めの手作りの洞窟風呂。各界の知名人が密やかに繰り返し休養に来るそうで、翌日は鶴田真由美さんが宿泊されると主人から聞いた。聞くと見るとでは大違い、口コミは失望するケースが多い。生憎の土砂降りの雨だったが、静かさ、快適さ、なんとも言えぬ安心感、それ
と主人の人柄。焼酎を何杯もご馳走してくれたから言うのではない。この宿は生涯の五本指に入るだろう。
三泊目の「ロッジ八重岳山荘」もオーナー手作り。八重山群島とは関係ない。屋久島の高峰の数が八つあるかららしい。八ヶ岳も八峰ある。争いになら
ずに分けやすい数、沢山あるという意味の数字、縁起の良い「八」は良く使われる。宮之浦町中から少し離れた宮之浦川の脇、鬱蒼とした杉の森奥にある。森の中に点在する独立したロッジが高床の渡り廊下でリンクしている。蛍も見れる。ここもお薦め。「まんてん」の撮影隊が長期滞在していたそうだ。
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「富良野」 7月19日-21日
「知床」に行こうと思った。「白神山地」「屋久島」。日本にある世界自然遺産は3ヵ所。急に思い立ったので、JALマイレージ利用は日程の都合で実現できなかったが、旭川-札幌往復が取れたので、いつかは行ってみたかった「倉本總の富良野」に行った。私の「森の時
間」は『優しい時間』のコーヒーショップをイメージして展開した。倉本總氏の言葉、随筆、「富良野塾」の数々の舞台演劇は、青年期以降の私の人生に刺激を与えてくれた。
仕事の和歌山で週末を過ごす破目になってた。迷わずS代を呼んで、世界遺産の熊野神社、那智の滝に行くことにした。南紀にはダイワロイヤルホテルが3ヵ所あるので、宿の心配はない。弘法大師がかけようとした橋と言
われる「橋杭岩」を見下ろす、「串本ロイヤルホテル」に宿をとった。黒潮から昇る朝日が橋杭岩を照らす。熊野古道を歩く時間はなかったが、古道沿いの山道を走り、「熊野本宮大社」と自然信仰の象徴「那智の滝」で平安の信仰に触れた。司馬遼太郎氏は串本町に流れ込む古座川峡の「街道」を歩いている。こ
の地が気に入り、生涯唯一の山荘を古座川町のとある里奥に構えた。南紀に行 きたかった大きな理由は、「南方熊楠」。和歌山で生まれ、失意のうちに米国に渡り、キューバ、さらに大英博物館で働いた後、南紀の山に入り「粘菌」(変形菌)の研究を続けた。生物界は、
動物界・植物界・菌界・原生生物界・細菌界の5界に分けられている。変形菌は菌類のように胞子を形成するにもかかわらず、単細胞生物であるため原生生物界に分類される。成長しているときはネバネバしているので「粘菌」といわれるそうだ。白浜の岬に熊楠記念館がある。是非行ってみたかった。文献は殆ど残っていないので、研究内容は然程評価を受けていないらしいが、昭和天皇も同じ研究をされているとかで、天皇が白浜に上陸した際に拝謁し、採集した粘菌を献上している。粘菌につ
いて殆ど知識がないが、彼の天才的、奇行、破天荒な生涯に以前から大変興味があった。家では常に裸同然。家が衣服だ。自分の家に居て裸で何故悪い。南紀の旅で、彼の人生の軌跡がだいぶ分かった。益々興味が沸いた。