森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

薄氷

2010年01月18日 | 随想・エッセイ

Nec_6251

この週末も晴天、抜けるような青空だった。日本中が寒気に包まれている。先週に続き、荒川土手ジョッギング。河川敷のビオトープのため池の表面には、昼下がりの太陽光にも解けずに薄氷。

週末の一日は必ず母の居る実家に行くようにしているので、週末の天気の良い日を選んで出来るだけ屋外に出る。この日は出発前にヨガもどきの柔軟体操をしてから家を出た。なんとなく筋を伸ばしすぎたような気がしつつ、ゆっくりといつものコースを巡る。農業公園前の斜面を思いっきり駆け上げようとした時、左ふくらはぎがビリとし、突然膝が曲げられなくなった。あれれ、何だこの痛さは。う~ん、たぶん筋を切ったのか。Nec_6253でもなんとなく歩ける。農業公園を一回りして、休憩していたらふくらはぎが固まってきた。つっぱて歩けない。何とか家まで戻らねば。走っても30分かかる地点に居る。足を引きずりながら歩き出すと、なんとなく楽になってきた。軽く走ってみた。行ける。そのまま、ゆっくりと走り続けた。帰宅後、無茶して、馬鹿な事をしたと叱責、ひんしゅくを買わぬように、家族には内緒にして平静を装った。今まで、無理した日程の運動、山歩き、小屋の作業で転倒、転落して、怪我、骨折、入院、自業自得と言える事故を何度となく起こしている。こんな穏やかな日、軽いジョッギングしていただけで、まさかの怪我? その日は何食わぬ顔で終えた。翌日、ふくらはぎが更に腫れていた。痛い。歩けない。その日の夜、急遽、「T整骨院」に行った。我が家の困ったときの万能医。予約取るのは容易でないが、家族が予約入れていたのでそれに便乗できた。

不思議な装置で診察してもらった。装置が当てられている10-15分間の静寂。やはり靭帯が切れていると。7mm程、つまり筋の数で70本ほど切断されていて、僅かな筋がかろうじて繋がっている。全部切断されていないので、治りは早いだろうと。これだけの靭帯裂傷だと、通常はギブスで固めて、完治するのには一年半程度はかかるだろうと言う。え~っ!

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陽春

2010年01月10日 | 界隈・町歩き

Nec_6263 抜けるような青空。風もない。今年初めてのジョッギング。川口神社にお参りして、かつての荒川の渡しに続く旧市街、本町一丁目の古い町並みを抜けて荒川の土手に上がる。新荒川大橋をくぐり、ゴルフ場沿いに下流に向かう。ゆっくり15分ほど走ると荒川区農業公園。更に下流に向かい新荒川大橋から3KMの地点から引き返す。復路はのんびりと川の流れの近くを歩くように走る。Nec_6260 船付き場で陽光に目を向ける。暫し、川面に踊る陽光に佇む。遠くに川口のマンション群。芝川の水門近くのゴルフ場、お気に入りの場所で腹筋、腕立て伏せ。芝生に大の字で横たわる。目をつぶる。太陽光がオレンジ色になって瞼を通り抜ける。前向きな、ワクワクする思いだけが頭に浮かぶ。小さな幸せ、至福の時間。

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初詣-「日本とは」

2010年01月09日 | 界隈・町歩き

「喜多院」厄除元三大師の初大師。護摩を供して貰い、お札を交換し、開運厄除、家内安全、諸願成就等を祈願する。境内では「だるま市」が行われ、我が家もある頃から毎年だるまを買うようになった。毎年大きくするそうだが、小さなマンションには置場がないので、我が家のだるまは、ある大きさから成長を止めている。本堂に上がる。悩みや災難が護摩木に燃え弾け、全身を震わす大太鼓の振動に包まれ、暫し沈思黙考する。私が日本に居る限りは、正月三日は必ず家族そろって川越喜多院に行く。これが我が家の正月の行事。そして、新たな一年が始まる。Img_6198

今年は、二年振りに高麗神社にも初詣に行く事にした。海外へ赴任する前、帰国後は必ず高麗神社にお参りした。ある頃から私の守護神となっている。(「森の時間」2007年3月25日『しきたり』)。今年は大きな変化があるような気がする。明らかに起こる。Img_6199_2否、自ら起こすのだ。それで、お参りすることにした。日高の里の風景をゆっくり歩くには、まだ寒い。 JR飯能寄居線の高麗駅から直行し、少しだけ高麗川沿いをあるいた。駅へ向かう道が分からなくなったので、散歩するご夫婦と暫し一緒に歩く。都会へ通勤するのは無理なので、子供達は大宮とかに出て行ってしまい、夫婦二人きりの生活を静かな日高で楽しんでおられるとか。

神社は千三百年もの歴史がある。 数年前から、ヨン様ファンのオバサマ達の参拝が増えてきたのは、ヨン様主演のドラマ「太王四神記」の影響らしい。 「太王四神記」は、かつて朝鮮半島で栄えた国、「高句麗」が舞台。ヨン様は5世紀に高句麗の領土を最大規模に広げた好太王(広開土王)を演じている。神社が建っている地域は、668 年に唐と新羅によって滅ぼされた高句麗国の王族が移り住み、逃れて関東広域に散在していた高句麗国の人々を呼び寄せて拓いた新天地。田圃の潅水など、大陸からの新たな技術を日本に紹介した。神社の主祭神は高麗王若光で、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は600代目になっているそうだが、今や、高麗神社は「ヨン様の聖地」とまで言われるようになっているらしい。

高句麗国は戦で消滅した。60年前の敗戦から、もう一度「坂の上の雲」を目指した戦後日本。日米安保条約に守られ、西洋先進諸国に追いつき、Japan as No.1とまで言われるようになり、平和と繁栄を享受したが、坂の上の雲に到達すると、乱気流に遭遇し迷走を始めた。Img_6209 そして今、韓国や中国が、更にはアジア諸国が日本に追いつけ、追い越せ、坂の上の雲の時代。世界一、トップを目指し、膨張のエネルギーを噴出させている。物質的繁栄と緊張の欠落の結果か、社会が崩壊しつつあるこの国は、何を目指せばよいのか。「日本は峠を越えた、これからは美しく老いることだと。」という司馬遼太郎氏の言葉がある。美しく老いるには、どうすればよいのか。否、老いてしまってよいのか。

日本の文化的・人的資産。親切さ、互助精神、安全と清潔さ、勤勉さと実直さ、チームワーク、忍耐強さ、正確さと丹念さ。約束を守る、時間を守る几帳面さ、粘り、こだわり。思いやり、助けあい。これらを大方備えた各人が相乗して作り上げてきた、この世界に類を見ないしきたり、文化、日本社会・風土。それがガラパゴス現象を生み出したと言う意見もあるかも知れない。私は世界を見てきた。世界の人々と会ってきた。若い世代には世界を見て欲しい。まず、この国の歴史、社会、美しい国土を理解し、この国に生まれ、この国に住める幸せに気づき、「日本とは何か」にこだわって欲しい。

この国の次の世代に伝えたい事がたくさんある。

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Milonga Nueva

2010年01月04日 | 界隈・町歩き

Nec_6279 駿河台下、三省堂脇、すずらん通りと靖国通りに挟まれた路地に「Milonga」という、タンゴコレクションのコーヒーショップがある。いつ頃からあるのかは知らない。私の学生時代にもあった。竹橋・神保町界隈のM社時代にも、タンゴ気分になると訪れていた。

今日は2010年仕事始め。とくに仕事はない。年始あいさつで行き来する事もないので、昼に仕事を終えて九段下の事務所から正月の余韻のありそうな古本屋街を徘徊することにした。一箇所だけ自然科学系専門の古本屋に足を踏み入れたが、「文房堂」でパステルを買い、結局は「東京堂」に長居してしまった。子供のころ母に、「お正月にお金を使うと、その一年お金がドンドン出て行くからお正月にお金は使わないように。」と言われた事が私の頭の中にずっと残っている。正月は縁起事以外にはお金を使わないように努めているが、今日は本を数冊買ってしまった。買った以上は、「積ん読」になって、正月の買物が無駄にならないように、帰宅前に読破してしまおうと思った。

懐かしい「Milonga」が、正月早々から開いているようだったので、重い木の扉を引いた。暗い店内は、熱く呻くアコーディオンネオンが充満している。唯一の屋外の明りは、右奥のレンガのスリット状の隙間だけ。その前の席に陣取って、買ったばかりの本をテーブルに積んだ。積み上げた山の一番上の一冊を手に取る。選ばずに上から読むことにした。薄暗い空間とメリハリのあるタンゴのリズム。読書に集中できたので一気に二冊完読した。外は雨が降りそうな曇天。夕方が早く訪れ、小さな窓から入る明りだけでは文字が読みにくくなってきた。この日の読書は二冊で止めて、店を後にした。頭と心を満たすと、身体を動かしたくなった。湯島、不忍池を抜けて上野まで歩いた。

正月初日の出勤日、自分の時間。今年の「森の時間」、幸先の良い一日だ。

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