森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

井の頭公園-ECO検定

2006年10月15日 | 森林・自然・環境教育

環境社会(ECO)検定」というのがあるというので、受験してみた。商工会議所が今年から始めた検定試験。環境と経済を両立させた「持続可能な社会」を目指すため、環境に対する幅広い知識を持ち、社会の中で率先して環境問題に取り組む人づくりをしようという主旨で始めた検定試験らしい。

「ECO検定公式テキスト」は、極めて常識的な環境知識、温暖化問題、地球規模での取り組みの歴史、日本の行政などをカバーしている。2年前に勉強した「ビオトープ管理士」と重複する領域があるので、馴染みやすい。環境問題の入門編といった感じで、環境問題に関心のある人が基礎知識を得るには適したテキストだと思う。9月になってから一通りテキストに目を通し、多分出題されるであろうポイントを前日にノートに纏めた。世界の環境関連会議・条約はズバリ。どなたかのブログではすでに回答例が掲示されている。70点以上が合格。90点程度は取れていると思う。

東京の試験会場は、井の頭線の西永福駅近くの大学。東京の山手線の西側には縁がなかったので、井の頭Nec_0152 線に乗るのは生まれて初めて。試験の出来も良かったので、気分良くして日曜日の午後の「井の頭公園」に行ってみることにした。最近のお気に入りの歌、公園の歌姫、「あさみちあき」の『井の頭線』のふるさと、井の頭公園。

Nec_0151 公園内にある、神田川の水源の碑。

Nec_0150Nec_0147_1

Nec_0148 大道芸人とフリマ。

Nec_0143_1 Nec_0144_2 喉が渇いたので、池の畔でビールを。 Nec_0138_1

そして、吉祥寺駅からJRに乗って帰宅。

ゆったりした、何となく幸せな一日でした。

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Le Festival de la Moisson - 収穫祭

2006年08月27日 | 森林・自然・環境教育

唯一のご近所さん『のらくら農場』で、年に一度の収穫祭があった。  

P1010157土曜日のお昼に農場に集合。まず休耕田で育てたジャガイモを堀り、

P1010164P1010171 

農場のご主人H氏の案内でやさい畑を見学した。気候や鹿・狸などの野生動物、虫・雑草と格闘し、共生する野菜作りのご苦労の体験を楽しく、かつ非常に分かりやすくお話ししてくれる。

待ちに待った夕食は、畑のオーガニックな野菜のオンパレード。Zpfile001_1

その前に、TAPから注いだYebisuの生ビール。P1010185 P1010187_3 P1010190_2

主催されたHさんご夫婦はもとより、参加者も腕前を披露。ご夫婦の美味しい野菜料理のほかにも、老舗の豆腐屋さんが持ってきてくれたのらくら農場の大豆の豆腐、のらくら農場のジャガイモをふんだんに使った野菜たっぷりのお母さんのコロッケ、神楽坂「舟蔵」マスターが調理し焼いてくれた岩魚の朴葉味噌包み、等々。

体中の細胞に染渡る健康な食べ物をたらふく食べた後は、どぶろくと八千穂の地酒。会話の環が夜遅くまでP1010203 続く。遠くから来た人は農場にお泊まり。お風呂が明るくてきれいらしい。我々のグループは「森の時間」に戻り、満点の星を見ながら小さな酒宴。

美味しいものを求めるのでなく、手に入るもの、そこにあるものを美味しく料理して食べる。こんなのが環境に負担をかけず、土地の産物・文化を次の世代に引継ぐ Slow Foodなのだと思う。

「のらくら農場」の収穫祭は今年で8回目だそうだ。企業の営利目的の流通から離れた自然な農作物。オーガニックな野菜を通して、田舎と都会に人の環が繋がっている。

P1010229P1010226P1010230「森の時間」にも小さな実り。

私の慌しい夏が過ぎてゆく・・・。

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夏休み-寒蝉鳴

2006年08月19日 | 森林・自然・環境教育

Higurashi cicada begins to drone bitterly.

金曜日の午後、仕事を半休して「森の時間」に向った。Nec_0147

下仁田発の列車。内山峠に向う国道を横切る。めったに遭遇しないので、ひとコマ「カシャ!」

「のらくら農場」に立ち寄った。知人の家族が来られていて、夕食の支度の最中で忙しそう。私は、小屋で飲む予定のビールを持ち込んで、飲みながら立ち話。2家族8名の夕食が始まり、私も勧められるままに食卓について、野菜を少し頂いた。ビールを2缶ほど飲んで、少し良い気分で漆黒の闇夜の小屋に向う。100メートル程だが、酔っ払い運転。ぶつかるとすれば狸だけ。でもハンドル切り損ねると、佐口湖に落ちる。Nec_0138

Nec_0144  特に大きな作業を計画していなかったので、主に畑の収穫と整理をして、のんびりとした。ひとりだけの小さな夏休み。Nec_0139 Nec_0143

Nec_0134_1 FirePit周りの草を抜いて、耐火レンガを積んでBBQ台にしてみた。

Nec_0137 夏の花が最後の勢いで咲き乱れ、秋の花が咲き始める。

Nec_0141 Nec_0136 宵待ち草と山萩。Nec_0135_2

タラノキ。

Nec_0140_1 ペパーミントの花・・・。 

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環境資源工学

2006年08月01日 | 森林・自然・環境教育

夏休みに入った愚息の学友が車三台に便乗してやって来た。運転手は、皆ほぼ若葉マーク状態らしい。引率者としては、高速などでの事故が心配だったが、機敏で慎重な若者達、「森の時間」での一泊二日を目一杯満喫し、出発地である高田馬場に無事帰り着いたようだ。ホッ--と!

焚き火起こし、炭火起こし、鱒・肉・野菜・おにぎりを焼き、ミネストローネスープ、キャベツ丸茹、ホットドッグ等、延々と料理し食べながら穴掘り・枕木移動作業、チェーンソウ丸太輪切り、薪割り、夜になれば花火大会、ゲーム大会、里山の漆黒闇の肝試し。あの手この手で楽しんでました。

花火大会をしている時に、「のらくら農場」のHさん一家が遊びに来られた。さっそく若者達は2人のお子さんを花火の輪に入れて、わいわい可愛がっていました。か弱き者に優しい若者達、結構、結構。 Hさんがビール瓶に入れて持ってきてくれたのが、自作の生酒。これがぴりぴりと、口当たり良くて、Hさんとお話しながら殆ど1人で飲んでしまった。それから急に足元がふらつき出したので、第二小屋の和風にあしらった畳の上に1人でゴロリ。うるさいほどの鳥の声で目が覚めたら、翌朝すでに太陽が出てました。

Img_1149 Nec_0102

Nec_0104 Nec_0101_1

Nec_0112 Img_1095 Nec_0108 Nec_0109_1

  Nec_0097_1

 

さあ、帰るぞ! 皆、てきぱきと一斉にあと片付け。 そして、揃って記念写真、    「ハイ、ハダーカ!

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霜害

2006年03月26日 | 森林・自然・環境教育

「森の時間」のゲートが倒れていた。杭も殆ど倒れたり傾き、置いただけのレンガは殆ど倒れていた。この冬は霜が深Img_0933 かったようだ。昨年はFire Pitがガタガタになっていた。霜に耐えられる基礎を作らねばならない。トイレの目隠しにしていたTeePeeも倒れていた。こちらはロープ代わりに使っていた蔦が切れて風に倒されたようだ。Img_0937

「山菜てんぷらパーティー」の計画がある。そろそろフキノトウが出ているかと期待したが、全く気配すらもない。タラノ芽も固く閉ざされている。パーティーは、4月末以降にしようと思う。

今日は様子見と少しだけ整地の作業をして、3時前に早々と家路についた。到着は10時頃だったので5時間ほど居たことになる。その間、お昼ご飯を食べる時間も惜しんで黙々と作業した。帰り道は、いつもの峠の八百屋さん にご挨拶。Img_0940行者にんにく、ふきのとう、タラノ芽、茗荷、ウド、山芋、花わさびなどを買って、家でてImg_0943 んぷらにした。春の山菜の苦味「アク」の成分はポリフェノールらしい。ポリフェノールは活性酸素除去、癌の予防効果も期待されている注目の物質。が、ワラビのアクは発ガン性物質を含むので、できるだけアク抜きをしたほうが良いらしい。少し苦い程度のアクは抜かない。旬の物は命の源。春先の自然の恵み。苦い旬を食べて、一年の農作業を乗り切った先人の知恵がある。

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Spring Ephemeral

2006年03月25日 | 森林・自然・環境教育

春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花のことである。言葉の意味としては、「春の儚いもの」「春の短い命」。

スプリング・エフェメラルは、温帯落葉広葉樹林に適応した植物である。冬に落葉した森林では、早春にはまだ葉が出ていないから、林床は日差しが十分に入る。この明るい場所で花を咲かせるのがこの種の植物である。やがて樹木に新芽が出て、若葉が広がり始めると、次第に林内は暗くなるが、それでも夏まではやや明るい。この種の植物は、この光が十分にある間に、それを受けて光合成を行い、その栄養を地下に蓄える訳である。したがって、これらの植物は森林内に生育しているものの、性質としては日向の植物である。

日本の場合、落葉広葉樹林帯に当たるのは、本州中部以北、あるいはそれ以南であれば標高の高い地域であり、日本全体から見れば、北方系の要素と言ってよい。ただし、実際にはそれ以南の地域でも見られるものがある。特に、里山はそれらが比較的よく出現すると言われている。つまり、人為的な撹乱を連続的にうけ、それによって常緑樹林帯にありながら落葉樹林が成立することから、落葉樹林帯の植物は侵入しやすかったのだというのである。ただし、里山の形成は、どうさかのぼっても2000年だろうから、それ以前はごく限られた環境で細々と生き延びていたのかもしれない。

一方、約1万年前の最終氷期の終焉に伴い、氷期の落葉広葉樹林の生態系に適応した生活文化を持つ旧石器時代人が、新しい照葉樹林生態系文化の適応を起こして縄文人となったときに、生活資源の獲得方法を熟知した落葉広葉樹林を維持するために、森林の一部に一定の手入れを続けて、今日の照葉樹林地帯における里山や草原の原型を作り出して維持し続けたという説も提唱されている。その場合、日本の照葉樹林地帯に見られるスプリング・エフェメラルは、縄文人による生態系操作によって間氷期を生き延びて現在に至っていることになる。 

                                                            <Wikipediaより>

父の葬儀、それに続く叔父さんの葬儀。この一週間は、ほぼ連日喪服を着ていた。生涯一度も行ったことがなかった火葬場に2度行き、拾骨も2度体験した。未知の体験と気遣いで知らず知らず肉体と心が疲れていたようだ。Nec_0009 Nec_0007

久しぶりの休日。母の様子を見に行くまでゆったりした時間、荒川の土手を軽くジョッギングしてきた。いつの間にか土手の南斜面は春景色。春の花が咲き乱れている。カタバミ、ホトケノザ、ナズナ、オオイヌノフグリ、タンポポ・・・。

無性に「森の時間」の春を確認したくなった。

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森林環境教育

2005年12月10日 | 森林・自然・環境教育

「秩父演習林サポーター養成講座」の最終日のテーマは、「森林環境教育」。講義資料の書出し:

東京大学の演習林では大学生、大学院生の教育だけではなく、一般の方を対象にした教育活動にも取り組んでいます。特に秩父演習雨林では、森林環境教育を業務の重要な柱の一つと位置づけています。

秩父演習林では、毎年、公開講座の開講、地域のイベントへの参加、ワサビ沢展示室の整備、自由見学日の実施、そしてホームページの充実など、様々な機会、方法で、森林環境教育を展開しています。

今回の講座では、日帰りの公開講座の内容を具体的に企画立案する教育プログラム開発実習を行います。今回は、4-5名の班に分かれて、秩父演習林の森林を対象として参加人員10名ほどの公開講座の企画を考えていただきます。午前中は現地にて企画立案を行い、午後は会議室に戻り、班ごとに公開講座企画立案をとりまとめ、発表会を行います。

私達の班4名が発表したのは、『森林(もり)の春と秋』、というオーソドックスな公開講座。PC・Img_0778スキャンを利用して春と秋の森の違いを体験してもらおうというもの。

この日の講座で4月から続いた全10回の講座は終了したものの、サポータになる必須の講座「「森林における安全管理」を受講していないので、準サポーターの認定も受けることができなかった。サポーターになるには、来年にその必須講座を受講せねばならない。

まあ、とりあえずこの日が今年最後の秩父。サポーターになった方達や職員の方々は秩父で忘年会。Img_0784 私は一人で秩父の山々、秩父駅を見納めた。帰りの電車、いつものカップ酒で乾杯。つまみは野沢菜のおやき。Img_0789

講座でお会いした皆さん、有難うございました。よいお年をお迎えください。

今年は沢山の善良な方々と出会えた。私の郷土愛が一段と深くなったなった一年だった。

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食害ーDeer Hunt

2005年11月24日 | 森林・自然・環境教育

キャベツが何者かに食べられている。ブロッコリーも少し食われている。ハクサイは無傷。この食べ痕は何者でしょう? shokugai 洋物が好きらしい。考えられるのは「雉」。でも、そうかなあ・・・・?

broccori  hakusai

日本の里奥や山に鹿が増えて、植林した稚樹や、畑の作物が被害を受けている。

鹿は雪の積もる場所で歩くのが苦手なので、積雪する地域には生息していなかった。温暖化で積雪地域が減ったことで、山の上の方まで生息するようになったり、唯一の天敵「ニホンオオカミ」が消滅してから、生体数をコントロールする機能がなくなったので、広範囲に広がりながら増殖している。更に、ハンター人口が減って、狩猟される数も激減しているのも一つの要素らしい。動物愛護が主流になり、弱い動物を無慈悲にも撃ち殺すハンターは嫌われものになってきた。自然界の生き物の世界を、人間が破壊したり、近づきすぎるから、熊、猪、猿、鹿の被害を受ける、と言う見方もある。それも正しい。鹿の場合は、どうもそういうことだけではなさそうだ。日本中の山が鹿だらけになってしまったのは、天敵のいなくなった鹿を愛護、保護し過ぎたためだと思う。IMG_0205   IMG_0207 

東大秩父演習林の、獣害防除柵と剥皮被害防止の樹皮ガード。プリーツ加工された樹皮ガードは木の成長を阻害しない、コンパクトに運べる、通気性・通水性に優れているが、DuPont製で、たしか一つが6千円相当すると聞いた。通直な杉の一立米の値段は1万4‐5千円?

鹿は、大地や森林の土壌を守る草本、中低木を片っ端から食い尽くす。森林の更新を損ない、生態系を崩す。つぶらな目をしている「バンビ」ちゃんではあるが、過ぎたるは及ばざるが如し、餌が足らなくなっていずれ自滅する。人類が営みを始めて2百万年。生物の歩み30億年で見ると、ほんの新参者。人類の出現で生態系の高次消費者が消滅し、生態系ピラミッドを崩してしまったのだから、人類が鹿などの二次消費者を間引きすることで摂取可能な食料に見合った固体数に抑制するべきではないか。だから、コントロールされた狩猟は賛成。特に鹿退治は大賛成。そんな実情を憂慮して、一念発起して、ハンターになった若い自然保護派の女性がおられます。鹿肉の解体料理を楽しんでいる方もおられます。

捕鯨だって賛成。石油が利用されるまで、欧米人、特にヤンキーは脂だけのために太平洋の鯨を殺戮しまくった。そんなことしていた国が、ヒゲも皮も鯨の全てを資源として利用していた日本人の伝統を止めろなどと、どうして言えるのか。エスキモーは今でも生活のために捕鯨を認められている。大食いの鯨が増えると、人類の食べる資源を枯渇させる問題も出ている。戦後、日本の伝統食は野蛮だ、遅れている、栄養不足だと、アメリカの対日政策に洗脳された日本人が、アメリカ産牛肉、小麦、果物を日本中の老若男女に浸透させてきた。日本の戦後世代は、生まれたときからアメリカ式食事を与えられてきた。日本人の消化器官の遺伝子が受け入れない、多脂肪、栄養過多 さらに化学物質でできた添加物。その結果、子供にも生活習慣病、情緒不安定、キレル若者、アトピー、日本人(20-30代)独特の奇病クローン病。精神や肉体的な欠陥人間がどんどん増殖している。

西テキサスとヴァージニアは、アメリカの2大DeerHuntingのメッカ。ヒューストンに住んでいた頃、冬にテキサス州のInterstate-10 を西に走ると、ボンネットや屋根に獲りたての鹿を載せた車が沢山走っていた。家で解体して、2-3日置いて食べると美味しいそうだ。そんな光景を見、話を聞いて、西洋人はなんて無慈悲、肉の欲望が強いのだろう、「この、野蛮人め!」と思っていた。と思いつつも、簡単に手に入り、料理ができる肉。実は、牛のお尻を見て、お腹が鳴るほどまでに肉食人間化してしまっていた私。あの頃、肉、肉、肉・・・の肉食人類の坩堝にはまり込んでしまい、体重が8-10キロ増えていた。 

牧畜遊牧民とキリスト教徒が地球の自然環境を破壊したと信じるに至り、様々な視点から肉食人類が地球を滅ぼすと思う気持ちは強くなっている。が、天敵のいなくなった動物の個体数を人間がコントロールしてあげるべき、という考えは別の視点だ。だから、どんどん鹿狩りをして、食べたらいい。ハンターになって、更に獲物を解体できる術を知ると、動物たんぱく質も自給自足できる・・・。

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おなじ釜の飯ー青梅の杜

2005年11月13日 | 森林・自然・環境教育

台風や地震、災害に打ちのめされたときに、生きる希望と夢をもたらし、復興の勇気を与えてくれるのは、「炊き出し」と「握り飯」。それも、大きな釜で焚いたご飯と大きな鍋で煮たミソ味の野菜汁だと思う。それを、みんなでフーフーしながら食べる。すると、心が安らぎ、立ち直る勇気が湧いてくる。『同じ釜の飯を食った仲間』になる。

日本人が災害から立ち直るのが早いのは、稲作民族の精神「環の心」があるから。人々が集い、火を囲んで輪になって、同じものを食べる伝統、それを受け継ぐ体内遺伝子があるからだと思う。熱い火を囲み、そこで煮炊きされた食物を共同飲食することで連帯感が生まれる。家庭でも「囲炉裏」を囲んで家族皆で食事し、家族皆で「話す」【心を放す】ことで、家族の絆が深まる。青少年犯罪を生み出す家庭は、家族一緒に食事をしていない。しても、テレビ見ながらの食事で、家族の会話はなかったのではないかと思う。

家族、親戚、ご近所、同好の仲間が集ったときは、お鍋料理が良い。そして、ご飯は握り飯、「おむすび」が良い。古事記の中の「産巣日(ムスビ)」は、「万物を産み、成長させる、神秘な力」を指す言葉らしい。ムスは「発生する、生える」、ヒは「心、霊」の意味だそうだ。だからか、握り飯を食べると、何だか体の中から力がわいてくるような気がする。それが日本人なのだ。

皆で囲む料理は、一同皆で手分けして準備すると、もっと連帯感が生まれる。「下ごしらえ」をすることで、材料を無駄なく使い、生き物であった食物にたいして、命を「いただきます」という生命を与えてくれたものに感謝する気持ちと、人にたいする慈愛と感謝の気持も湧いてくる。

料理の下ごしらえは、忍耐努力根性という人生の下ごしらえに通じる。自分で下ごしらえせずに簡単に口にできる食事ばかり食べていると、義務を果たさずに権利ばかり主張する自分本位の人間になる。老若を問わず、好き勝手なことをしている刹那的な輩が増えているのは、「下ごしらえ」、『人生の下ごしらえ』をせずに社会に出るようになったからに違いない。ファミレス、コンビ二の食べ物に頼ってはいけない。食べるものを自分で育てて、収穫し、切って、煮て、炊いて、焼いて料理する。命を育ててくれて、与えてくれた自然と自然界の生き物に、自分を取り囲む人々に感謝する気持ちを育むことは大切だと思う。

「森の時間」を、そんなことが体験できる場にしたいと考えている。

奥多摩の「青梅の杜」というところで、『同じ釜の飯』を食べてきた。

といっても、薪を割って、「鍋の汁」okutamajiru と「青竹のバウムクーヘン」作り。 鍋といっても「ダッチオーブン」。和洋折衷の野外料理、というかアウトドアークッキング。(同じことか?) 『秋の一日、大人の時期を過ごしてみませんか-スローライフ入門』 という JEEF (日本環境教育フォーラム)のイベントです。

午後1時集合だったので、午前中は大丹波川沿いを紅葉を求めて歩き、山葵田で山葵を譲ってもらったり、集落の小さな酒屋さんで手に入れた澤の井酒造の新酒を味わったりして、奥多摩の秋を満喫してから参加した。30名ほどのイベント。私は学生時代の知人2名と参加。主催者側の若者達はてきぱきと動き、初めて会う参加者達もすぐに打ち解けて、旧知の仲のような安心できる時間があっという間に過ぎた。我々は2人のお嬢さんと班を組んだ。皆が分担して必ず何らかの作業をするので、自然に助け合う。 だから、自然の中で人々は、皆好い人になる。IMG_0512同好の集まりということもあるのでしょうが、あの安堵感、一体感は、食べる物を一緒に準備し、作り、IMG_0524そして焚き火を囲んで食べる、IMG_0537という共同作業の過程から醸し出されているのだと思う。 

四面を海に囲ま れ、メリハリある四季。この島国は季節の食べ物に恵まれている。縄文の時代から、『火』を中心に人が『環』を作り、季節の恵みを火で料理して食べてきた。容器に入れて煮炊きし、火にかざして焼く。新鮮なものは生で食べる。皆で作業して、分かち合う。私たちの体内には、焚き火を囲み、鍋物を分け合い、『和』を尊ぶ遺伝子があるからだ。

そんなことを感じた、秋の一日でした。

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Les Feuilles Rougies

2005年10月30日 | 森林・自然・環境教育

IMG_0377 コナラ(ブナ科)とダンコウバイ(クスノキ科)。檀香梅と書く。  クスノキ科の樹木は香りに特徴がある。クロモジ(上等の楊枝に利用)やアブラチャン(油をとった、生でもよく燃える)等。

IMG_0383ヤマザクラ(バラ科) IMG_0384

クリ(ブナ科)IMG_0386

ミズキ(ミズキ科)

「秋になるとどうして葉が赤や黄色になるのかな?」

葉っぱが緑なのはクロロフィル(葉緑素)という色素があるから。ほかにカロチノイドという黄色の色素も持っているが、緑のほうが数が多いので緑に見える。ところが気温が低くなると、緑の色素が分解されて、黄色が見えるようになる。

茶色になるのは、カロチノイドも分解されてしまい、食害を防いでいるタンニンから褐色色素のフロバフェンができるため。カツラの生乾きの落ち葉の醤油と砂糖を焦がしたような香ばしい香り。

赤くなるのは、葉にたまった糖から赤い色素アントシアンが新たにできるから。葉を落とす準備が始まると、枝と葉の付け根にある離層になる細胞が変化して、葉で作った養分と水分を運ぶ通路がふさがってしまう。そうすると転流されなくなった糖が葉にたまる。

水が送られなくなると、葉に水分がなくなって枝から落ちる。四季がある温帯では秋の終わりに、乾季と雨季が交互にある熱帯の落葉樹は乾季に葉を切り離す。寒さ、乾燥から身を守るために、葉を落として休眠する。日本の落葉樹の落葉は冬支度。

美しい紅葉の条件:

  • 十分な日当たり
  • きれいな空気
  • 摂氏8度以下の冷気。とくに夜の急激な冷え込み
  • 適度な湿度

山地の渓谷にはこの条件が揃うので、紅葉の名所が多い。ヒートアイランド化した大気汚染の都会では、紅葉しても色がきれいにならない。

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森林の公益的機能ー秩父は今日も雨

2005年10月19日 | 森林・自然・環境教育

此処彼処の草むらに蟋蟀が鳴く、「蟋蟀在戸」の季節。

『何故、森林が必要なのですか?』 

東大秩父演習林の昨日の講義は、森林の『環境保全(多面的)機能』と『物質生産機能』について。団粒構造、浸透能、森林褐色土、等など、森林オタクにとっては入門編の講義を一時間程受けたのち、いつもの東京大学バスで演習林に向かう。

今日も雨。記憶では、春からのこの講座で晴天になったのは、秩父の文化・風習を知る講義(だったけ?)で、三峰神社などをほぼ一日バスで周遊した日だけだったと思う。その日は、抜けるような五月晴れの一日。現世から離れた山の上、神のお膝元で、こんなにゆったりしていいのだろうか、自責の念にとらわれる程の上天気だった。神様はちゃんとバランスをとるのでしょう。その後はいつも雨曇、しとしと雨。もう、充分悪天候をいただきましたから、秩父の秋を太陽で輝かせてください。次回は秋晴れか、悪くてもうす曇り。神様は見ている。と、信じている。

森林の土壌は100年で1cm程度しかできない。秩父の広葉樹の森では、年に1ヘクタール当り2-4トンの落葉があるそうだ。年によってかなりばらつきがあるらしい。一本の木が一年間に出す葉っぱの量が年によって異なる。気温や日照時間が異なると、光合成を行う葉っぱの成長量に影響を与えるので当然だろう。落葉の量や、落葉から樹種を特定するための落葉採取器。直径0.8メートル。これで1Kgの落葉。一枚一枚、ブナ・イヌブナ、その他に分類し、秩父の山のブナ類の混生状態を調べるらしい。

IMG_0209 50年弱の杉の間伐地IMG_0201 、複層林IMG_0205 、森林土壌の断面などの講義を受けながら演習林を歩く途中でコガネタケの群生を見つけた。IMG_0206

知る人ぞ知る、香ばしく歯応えのあるキノコ。講義をそっちのけに、空いている籠の弁当箱につめた。家に持ち帰り、茹でようか、煮ようか、焼こうか悩んで、結局焼いて食べた。でも、焼き方が足りなかったせいか、家族が警戒しながら食べたせいか、我が家での風味はいまひとつ。先日、「森の時間」で大きな一本を丸焼きにして、三人で大事に分けて食べたときの方が歯応え、風味ともに断然良かった。美味しく感じるかどうかは、主観的なものであるが、雰囲気であり、見た目であり、その時の気分。

雨の秩父。本日の収穫は出会い。見るからにまじめそうな方とバスの中で隣合せ、お話したこと。見た通りのまじめの方でした。帰りのレッドアロー号では別のお二人と一緒になり、時を忘れてお話が出来たこと。お二人共、採取された葉っぱを標本にされている。森林、樹木への情熱に圧倒される。M氏は森林インストラクターでした。「私もそうです!」 心地よい話のテンポに誘い出されるように、私も森林インストラクターを告白してしまい、挙句にビオトープ管理士や生態系保護指導員なぞと、私の日常の行動様式からかけ離れたことが書いてある名刺までお渡ししてしまいました。 『公示』して自分を追い込む。これも一つの術。やるっきゃない!(社民党オタカさん。ちょと古い。)

職縁とは異なる世界の方々と知り合いになる。新しい出会いと発見、変化、刺激。人と自然界の生き物から学び、遊ぶ。更に出会い、聴いて、話して、見て、触って、時には飲んで、食べて・・・。五感全てを駆使する。人生やってる感じになります。

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自然環境保全戦略の立て方

2005年10月15日 | 森林・自然・環境教育

自然環境保全と言っても漠然としている。

生態系の頂点にいる猛禽類は、自然の量が減ったり質が悪くなったときに影響を受けやすく、元々数が少なく、一年にせいぜい2-3羽しか繁殖しないからすぐに数を回復させることは困難である。また、行動圏が広いため、開発行為などの土地利用によって致命的な影響を受ける。そのような猛禽類の存在を調査し、保護することが、持続・循環する自然環境の保全になる。

埼玉県県民環境カレッジ実践コースの野外実習に参加して、オオタカの生息地、流山市の「市野谷(いちのや)の森」に行って来た。

常磐新線「ツクバTX」に『流山おおたかの森』という新駅が出来た。駅のDVC10023周囲は畑をつぶしただだっ広い更地。その中に東武線と交差するモダンな駅が忽然と登場した。 新線と新駅周辺の都市計画で「おおたかの森」DVC10019が半分が消えてしまったそうだが、まだ24Haほど、谷戸地を抱える下総台地の森が残されており、 5-8羽のオオタカが越冬していることが観察されている。 DVC10022

(明日は5時起きなので、この続きは次回)

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実り- 収穫の秋

2005年09月18日 | 森林・自然・環境教育

日本の豊かな四季の良さの一つは、収穫の秋が長いこと。

一言で日本と言っても、東海岸のボストンからメキシコ湾のコーパスクリスティまで長く伸びる南北に長い列島なので地域によって違いがあるが、個人的体験からも、世界の他の地域で、日本ほど秋が長いところはなかった。

この季節、この列島国では様々な植物が実りを迎え、南から北の端まで時間差で食物連鎖の捕食者に生命の糧をもたらしてくれる。R0012411

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ナスは夏から秋まで、花が咲けば、その殆ど全てが結実する。R0012361

「親の言葉とナスの花、千に一つの無駄もない。」IMG_0169   

左は夏のナスで右は秋の茄子。同じ株だが、秋の茄子は艶々していない。「秋茄子は嫁に食わすな。」 茄子はきゅうりと同じく体を冷やすから、母体には良くない。夏のナスも同じではないか? 美味しいから、嫁には食べさせない。或いは、形が・・・・。

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イチイの実。小さいが甘くて美味しい。

IMG_0174 木苺。実が落ちて種となり、僅か二年で一面が覆われてしまった。

IMG_0170IMG_0172 ブロッコリー、レタス、キャベツ、そしてハクサイ。レタスの周辺には自蒔されたコリアンダーの二世代目が育っている。コリアンダーのような香菜は、他の葉物と一緒に育てると「コンパニオンプラント」といって、虫がつきにくくなる。IMG_0186

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「緑化の視点から外来種・在来種を考える」

2005年08月31日 | 森林・自然・環境教育

2005年度「市民のための環境公開講座」の8月30日の講座は、都市緑化における外来種利用の必然性と妥当性を評価する、という「撲滅、外来種!」に逆行する持論を展開する大変ユニークな講演でした。

セイタカアワダチソウの有用性、在来種による地域固有の景観造りは幻想、「特定外来生物被害防止法」の運用は慎重に、等々、都市生活者の利便性と自然を克服し利用しようとする人間主体の発想です。講演者は、東京農業大学造園科学科の都市緑化技術研究室の近藤三雄という、都市の緑化、道路建設の緑化に長年携わって来た方です。さすがに日本全国に外来種を導入すべきとは言わず、都市と地方での手法は違う、都市部での緑化に外来種が適していると言う説明だが、地方と都市部との境界が定かでない。外来種は在来種の植生が根付いている地方には侵入しないというが、その根拠が論理的でない。地方の自然公園の外来種の花壇は人集めに成功している等と賞賛したり、多々疑問のある講演でした。公共事業に乗じて、そんな持論で都市化を推進してきたが、逆風が強くなってきて、しきりに正当化を図っているという印象でした。

色々な意見があって、議論され、社会が改善され進歩する。

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演習林サポーター

2005年08月23日 | 森林・自然・環境教育

久しぶりの演習林サポーター講座で、秩父に行った。

正丸峠のトンネルを抜けると、RedArrowの窓に横殴りの雨。秋雨前線が台風11号に刺激されているようだ。西武秩父駅に着いたときには、雨は止んでいたが、演習林の方面は雲が垂れ込めていて山影が見えない。

秩父駅から歩いて5分ほどの演習林事務所で資料をもらい、本日の予定の説明を受けてから、いつもの「東京大学」バスに乗り、大血川作業所に入る。今回のテーマは「森林生態系の管理と利用」。それと、森林の分解者としての土壌生物と水棲昆虫の採取と観察の実習が予定されていた。土壌生物採取(ツルグレン法)は土が雨で濡れているので中止。R0012283

渓流は増水していなかったので水棲昆虫を採取し顕微鏡で観察した。 水中の岩を起こし下流に置いた網の中で小石・砂を受けるように掬う、ムカシトンボの幼虫、カゲロウ目、カワゲラ目、トビケラ目、ハエ目の幼虫が結構入った。それらを、どんな種類か、どのような構造になっているかを顕微鏡で観察する。顕微鏡を覗いたのは何十年ぶりだろう。これらの水棲昆虫は渓流の生態系の分解者。渓流の水の中の生態系ピラミッドの頂点に居るのはイワナ。だjからイワナがいる渓流は健全で、イワナは豊かな渓流のシンボルなのだ。

掬うの手偏を取って草冠をつけると「きく」という字に、手偏の代わりに革や毛をつけると「まり」という字になる。右の部分は丸い球体を表す意味。だから「キクさん」は丸くなくちゃいけない。

午後は、大血川沿いの道に行き止まりまでバスで行き、そこから歩いて、二次林、天然林R0012305R0012294R0012297の遷移、森林管理や生態系を観察しながら下山。

間伐した樹齢90年のケヤキの二次林。鹿が幼樹を食べてしまうので次の世代が育たない。 右隣の写真は樹齢95年のスギ。密生した人工のスギ林と違って、ここは余裕の空間。これが本来の自然のスギの姿。雪国育ちの日本独特のスギは特に春先に水気を好む。

R0012296イワタバコ。てんぷらで美味しいらしい。野草ブームもあって、心無い人が盗掘。日本中の山野から激減している。

この大血川地区は、かつて炭焼きが盛んだったそうで、山の奥のほうまで二次林が広がっている。萌芽更新のサイクルに合わせて移動しながら炭を焼く。これが持続する生態系の伝統的な利用と管理方法。

炭焼き窯には、白炭窯と黒炭窯それと木酢液を採る蒸留窯がある。白と黒の違いは、木をどこまで焼いて、セルロース・セミセルロース・リグニンを分解するかの違いらしい。黒炭は600-800度程度で火を消すので、リグニンは分解されないが、白炭は1200度まで上げるのでリグニンも分解される。黒炭の場合は窯を密閉して4日程放置、酸欠にして火を消すが、白炭はまっ赤になっている炭を外に出して消し粉で酸欠状態にして火を消す。だから黒炭は密閉度が必要で、粘土で隙間を埋める窯を使う。白炭はしまっていて、叩けばキンキンする。備長炭である。白炭は持ちが良い。ウバメガシだけが適しているわけではない、焼き方で白炭ができるのだ。

プログラムの一部が雨で中止になったので、講座はいつもより一時間ほど早く終わった。

道中、秩父神社の近くに住んでいる方とお話ししていて、「秩父の夜祭り」の秩父神社に行ってみたくなったので、ちょっと足を伸ばした。R0012308 鬼門を護る青龍、左甚五郎の「つなぎの龍」というのが本殿の東面に彫ってある。R0012311 これを鬼門に奉祀すれば、家内の安全と子孫の繁栄。そんな説明を目にしてしまうと、すぐに欲しくなる。お札とお守りはいくらあってもいいそうなので、早速、つなぎの龍の絵馬を買った。お守りの類は、直感でピンと来たものは、悩まずに買うことにしている。絵馬のヒノキの香りが鼻から脳に抜ける。いつの間にか雨は上がっていた。西の空を見上げれば、うっすらと太陽が見え出し、空が明るくなっている。

少しだけ好い気分になって、帰りの電車で地酒をグビッっ。R0012313

「自分の人生は自分で創造する。」 今日も充実した一日だ。

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