こんばんは。
日々最高気温を更新しているような感じですね。
家の中にいても、エアコン無しでは到底過ごせません。
我が家のネコはすっかり転げて寝ております。
互いに昨年は熱中症気味だったのを考えると、このように過ごせることに感謝の思いですね。
朝は雲もありましたが、じきに晴れてきて申すように暑い一日でした。
(昨夜の月 半月よりもっとふっくらしてきました)
さていい加減倉敷のことを切り上げねばと思いながら、まだまだですねぇ、すみませんです;。
此処からが本番、そう言っておりましたので早速書いて参りますね。
御祈祷殿へお越し下さいと誘われ、それではとご本殿とは違うその建物の待合室にて御祈祷の時間まで待つことと致しました。
どなたか他におられるのかなと思いましたが、待てど暮らせど;自分以外どなたもお見えになりません。
つまり今日のご祈祷はどうやら私一人が受けさせて頂くようです。
待つこと15分程、結構長いな;と感じていた頃にご神職がお越しになりました。
夏用の薄い生地の狩衣をお召しになり、ではどうぞ此方へと御神殿へと案内されました。
中は椅子形式になっておられます。
最近は神社さんによりますとこのように腰掛ける形式になっているところが多いように思います。
とはいえ出雲大社はつい数年前までは広い畳敷きへそのまま正座で座る様式となっておりましたし、今でも大きなお祭りの際にはじかに
座ることで多くの方の参拝を可能にしておるようです。
ともあれこの度の吉備津神社さんでは自分一人でしたので、どうぞ真ん前の真正面にお座り下さいと促され、そのようにさせて頂きました。
年の頃はおそらく自分と同年代位の方でしょうか、けれどその立ち居振る舞いは当然びしっと一本の線が入ったように折り目正しく、一人
しかいない参拝者にも関わらず、神様へご奉仕されるという姿勢が見てとれるものでした。
祓詞(はらいじ)を奏上される際も、一音一句が非常に美しく基本に忠実に唱えておられるというのが伝わってきます。
祝詞もやはり言葉の意味そのままに神様に奏上なさっておされるというのが此方へ感じ取れるほどでした。
祝詞の上げ方、奏上の仕方に特に決まりがあるわけではなく、その方のなさり様ではありますが、やはりどこかしらお人柄が出てくるもの
だなと、この時に感じておりました。
その祝詞を奏上されるために、自分が座っております場所より一段高い所、高間(たかま)という所へお座りになり奏上される訳ですが
この際に、何故かしら女性の神様?存在、しかも3人程のその姿を感じておりました。
あれ、おかしいな、此方の御祭神は確か大吉備津彦大神、つまりは男性神のはずだけどな、と感じておったのでした。
自分の感じたその姿は古代、奈良の頃の女性の姿のようにも思えました。
頭の片隅でそのようなことを感じながらも、ご神職の唱える祝詞に自分もどことなく心の中で調子を合わせるようにして聞かせて頂いて
おりました。
こういう時、本当に失礼ですけれどどうしても同じ仕事に携わる者、ああこの時にはこのような言い回し、言葉の使い方をされるのだなと
つい確認してしまいます;。
今回はそのような事も感じつつも、自分が祝詞を奏上して頂ける側に回れるのは何とも有難いことだなぁと感じてもおりました。
祝詞奏上が終わり、最後は金幣(きんぺい)というものを頭上で振って頂いたのですが、この際も自分が致しておる作法とはまた少し
違うのだなということも感じたりしておりました。
そのようにして最後は玉串奉奠(たまぐしほうてん)、出雲大社では玉串拝礼という呼び名ですが、それを致し、祭りが終わりました。
後は御神札を頂戴して終了となるのですが、先に申したように今回は自分以外どなたもおりません。
これ幸い?とばかりにこのご神職に幾つかお尋ねしてみることに致しました。
一番最初には、自分が感じた女性の姿について。
男性神のはずですが、女性の神様もおられるのでしょうかと伺いますと、大吉備津彦大神の他にもそのお后の神様や姉に当たる神様が
おられるからでしょうかねと話して下さいました。
他に人がいなかったのもあるのでしょうけれど、この他にもこの神社の由来であるとか、この山の上にある古墳等についても詳しく教えて
下さいました。
なるほど、と感じつつもその他にも、実は自分は此処へ一番最初に参らせて頂いた折に、それまで見たことがないはずなのにこの先の
廻廊がまるでデジャブのような既視感があったのですと申しますと、それはもしかすると魂の部分が覚えておられたのかもしれませんね
とごく普通にお言葉を返して下さいました。
今日此方へ伺い、このご神職に祝詞奏上して頂けたのは、やはり何かのご縁であったのかもしれませんね。
因みにこの吉備津神社、少し離れた場所にも吉備津彦神社が鎮座されておられますが、どのような関係なのですかと尚も伺えば、此方の
吉備津神社はその昔でいう備中の一宮であり、吉備津彦神社は備前国の一宮であるとのことでした。
ああ、そういうことかとこのお答えでやっと腑に落ちた思いがしておりました。
どちらも御祭神は大吉備津彦大神、また大吉備津日子命と多少の呼び名は違いますがどちらも同じ神様ですとお教え頂きました。
このようなお話を立ち話としておそらく20分程もお伺いしたでしょうか。
鬼の伝説、温羅(うら)の話も聞かせて頂きまして、かなり充実した思いでこの度の参拝をさせて頂いたのでした。
(国宝でもある御本殿)
(御祈祷殿前の大銀杏)
(廻廊)
(吉備津神社崇敬会のパンフレットより
お借りしました 廻廊を側から見た所)
先に祝詞奏上前に女性を感じたと書きましたが、倉敷より戻った次の日の8日、大神様の前にて祝詞奏上を致した後に頭に入ってきた
言葉がありました。
それは吉備津神社にて感じたあの女性性の神様?存在からの言葉でした。
おぼろげに3人の女性?
古代 奈良の頃の女性のように感じる あるいはもっと前?
“ あなたが私達を女性と感じたのは
私たちがその昔 この山へと降り立ったのが
そのように感じられたのでしょう (プレイアデスか?)
その後 時の政(まつりごと)を司る者等により
私達は 男性神とすり替えられ 祀られるようになったのです
ですのであなたが感じた私達は大元の我々でもあります
何故あなたがこの地へ心惹かれるのか
それはあなたの血脈の中にも その血が流れているからです
と言っても かなり古ではありますが
またお越しなさい
出来れば山の上へ
そこから私達をより感じられるでしょう ”
このように言われました。
これが本当の事であるかどうかは自分には判断が付きません。
しかし幾度も申すように吉備津の宮で感じたあの女性のような存在には違いありませんでした。
この話の前段階?も実はあるのですが、これを話し出すと実に長い;(先日も申しましたが;)ので後日じっくり時間を取って話させて
頂ければと思います。
ただしあくまでも私個人に関するような事柄ですので、だからどうした?な話である事には、これまた相違ありません。
話しても、ふーん、な感じで終わるかもしれませんけどね;。
廻廊を見てデジャブを感じた事と関連しておることです。
いずれにしましても、そのような感じを受けたのでした。
大分倉敷での話も終盤を迎えて来ました、ようやっとですね;。(笑)
これで終えても全く問題ないレベルですが、後もう少しだけ話して終わりにしたいと思います。
これまた毎度のようにオバサンの与太話とでも思い、読んで頂ければと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
日々最高気温を更新しているような感じですね。
家の中にいても、エアコン無しでは到底過ごせません。
我が家のネコはすっかり転げて寝ております。
互いに昨年は熱中症気味だったのを考えると、このように過ごせることに感謝の思いですね。
朝は雲もありましたが、じきに晴れてきて申すように暑い一日でした。
(昨夜の月 半月よりもっとふっくらしてきました)
さていい加減倉敷のことを切り上げねばと思いながら、まだまだですねぇ、すみませんです;。
此処からが本番、そう言っておりましたので早速書いて参りますね。
御祈祷殿へお越し下さいと誘われ、それではとご本殿とは違うその建物の待合室にて御祈祷の時間まで待つことと致しました。
どなたか他におられるのかなと思いましたが、待てど暮らせど;自分以外どなたもお見えになりません。
つまり今日のご祈祷はどうやら私一人が受けさせて頂くようです。
待つこと15分程、結構長いな;と感じていた頃にご神職がお越しになりました。
夏用の薄い生地の狩衣をお召しになり、ではどうぞ此方へと御神殿へと案内されました。
中は椅子形式になっておられます。
最近は神社さんによりますとこのように腰掛ける形式になっているところが多いように思います。
とはいえ出雲大社はつい数年前までは広い畳敷きへそのまま正座で座る様式となっておりましたし、今でも大きなお祭りの際にはじかに
座ることで多くの方の参拝を可能にしておるようです。
ともあれこの度の吉備津神社さんでは自分一人でしたので、どうぞ真ん前の真正面にお座り下さいと促され、そのようにさせて頂きました。
年の頃はおそらく自分と同年代位の方でしょうか、けれどその立ち居振る舞いは当然びしっと一本の線が入ったように折り目正しく、一人
しかいない参拝者にも関わらず、神様へご奉仕されるという姿勢が見てとれるものでした。
祓詞(はらいじ)を奏上される際も、一音一句が非常に美しく基本に忠実に唱えておられるというのが伝わってきます。
祝詞もやはり言葉の意味そのままに神様に奏上なさっておされるというのが此方へ感じ取れるほどでした。
祝詞の上げ方、奏上の仕方に特に決まりがあるわけではなく、その方のなさり様ではありますが、やはりどこかしらお人柄が出てくるもの
だなと、この時に感じておりました。
その祝詞を奏上されるために、自分が座っております場所より一段高い所、高間(たかま)という所へお座りになり奏上される訳ですが
この際に、何故かしら女性の神様?存在、しかも3人程のその姿を感じておりました。
あれ、おかしいな、此方の御祭神は確か大吉備津彦大神、つまりは男性神のはずだけどな、と感じておったのでした。
自分の感じたその姿は古代、奈良の頃の女性の姿のようにも思えました。
頭の片隅でそのようなことを感じながらも、ご神職の唱える祝詞に自分もどことなく心の中で調子を合わせるようにして聞かせて頂いて
おりました。
こういう時、本当に失礼ですけれどどうしても同じ仕事に携わる者、ああこの時にはこのような言い回し、言葉の使い方をされるのだなと
つい確認してしまいます;。
今回はそのような事も感じつつも、自分が祝詞を奏上して頂ける側に回れるのは何とも有難いことだなぁと感じてもおりました。
祝詞奏上が終わり、最後は金幣(きんぺい)というものを頭上で振って頂いたのですが、この際も自分が致しておる作法とはまた少し
違うのだなということも感じたりしておりました。
そのようにして最後は玉串奉奠(たまぐしほうてん)、出雲大社では玉串拝礼という呼び名ですが、それを致し、祭りが終わりました。
後は御神札を頂戴して終了となるのですが、先に申したように今回は自分以外どなたもおりません。
これ幸い?とばかりにこのご神職に幾つかお尋ねしてみることに致しました。
一番最初には、自分が感じた女性の姿について。
男性神のはずですが、女性の神様もおられるのでしょうかと伺いますと、大吉備津彦大神の他にもそのお后の神様や姉に当たる神様が
おられるからでしょうかねと話して下さいました。
他に人がいなかったのもあるのでしょうけれど、この他にもこの神社の由来であるとか、この山の上にある古墳等についても詳しく教えて
下さいました。
なるほど、と感じつつもその他にも、実は自分は此処へ一番最初に参らせて頂いた折に、それまで見たことがないはずなのにこの先の
廻廊がまるでデジャブのような既視感があったのですと申しますと、それはもしかすると魂の部分が覚えておられたのかもしれませんね
とごく普通にお言葉を返して下さいました。
今日此方へ伺い、このご神職に祝詞奏上して頂けたのは、やはり何かのご縁であったのかもしれませんね。
因みにこの吉備津神社、少し離れた場所にも吉備津彦神社が鎮座されておられますが、どのような関係なのですかと尚も伺えば、此方の
吉備津神社はその昔でいう備中の一宮であり、吉備津彦神社は備前国の一宮であるとのことでした。
ああ、そういうことかとこのお答えでやっと腑に落ちた思いがしておりました。
どちらも御祭神は大吉備津彦大神、また大吉備津日子命と多少の呼び名は違いますがどちらも同じ神様ですとお教え頂きました。
このようなお話を立ち話としておそらく20分程もお伺いしたでしょうか。
鬼の伝説、温羅(うら)の話も聞かせて頂きまして、かなり充実した思いでこの度の参拝をさせて頂いたのでした。
(国宝でもある御本殿)
(御祈祷殿前の大銀杏)
(廻廊)
(吉備津神社崇敬会のパンフレットより
お借りしました 廻廊を側から見た所)
先に祝詞奏上前に女性を感じたと書きましたが、倉敷より戻った次の日の8日、大神様の前にて祝詞奏上を致した後に頭に入ってきた
言葉がありました。
それは吉備津神社にて感じたあの女性性の神様?存在からの言葉でした。
おぼろげに3人の女性?
古代 奈良の頃の女性のように感じる あるいはもっと前?
“ あなたが私達を女性と感じたのは
私たちがその昔 この山へと降り立ったのが
そのように感じられたのでしょう (プレイアデスか?)
その後 時の政(まつりごと)を司る者等により
私達は 男性神とすり替えられ 祀られるようになったのです
ですのであなたが感じた私達は大元の我々でもあります
何故あなたがこの地へ心惹かれるのか
それはあなたの血脈の中にも その血が流れているからです
と言っても かなり古ではありますが
またお越しなさい
出来れば山の上へ
そこから私達をより感じられるでしょう ”
このように言われました。
これが本当の事であるかどうかは自分には判断が付きません。
しかし幾度も申すように吉備津の宮で感じたあの女性のような存在には違いありませんでした。
この話の前段階?も実はあるのですが、これを話し出すと実に長い;(先日も申しましたが;)ので後日じっくり時間を取って話させて
頂ければと思います。
ただしあくまでも私個人に関するような事柄ですので、だからどうした?な話である事には、これまた相違ありません。
話しても、ふーん、な感じで終わるかもしれませんけどね;。
廻廊を見てデジャブを感じた事と関連しておることです。
いずれにしましても、そのような感じを受けたのでした。
大分倉敷での話も終盤を迎えて来ました、ようやっとですね;。(笑)
これで終えても全く問題ないレベルですが、後もう少しだけ話して終わりにしたいと思います。
これまた毎度のようにオバサンの与太話とでも思い、読んで頂ければと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
倉敷の美観地区はかなり若い頃一度行ったことがあり、確かその時には大原美術館へ行ったかと記憶しております。
と言ってもあんまり覚えておりませんが;。
倉敷でもあの一帯だけなんですけどね。
まぁ、でも観光地なんてどこでもそうでしょうけどね。
台風10号、このままですと四国、中国地方へ直撃しそうです;。
逸れろー、と心の中でずっと念じておるのですが。(笑)
被害がないことを願うところですね。
10号台風の進路がちょっと気になりますね。くれぐれもご注意ください。、