こんばんは。
朝のうちは多少青空も見えておりましたが、昼過ぎ位からは曇って来ました。
先ほど歩いて来るとまだ降りそうにはないものの、夜半にはどうか分からない感じです。
このところ乾燥しているようですし、少しはまとまった雨がある方がインフルエンザなども流行りにくく良いのではと思います。
そんな日の朝はこのような空で、次第に朝焼けになっていったようでした。
風邪っ気は大分抜けてきましたが、まだ残っていますね。
耳下腺の腫れはこれもずいぶんとましになってきましたけれど、まだ少しあります。
今朝も祝詞を上げるにはしんどい感じで、ほどほどの音量、音声にてささやくまでは行きませんがそんな感じで奏上させて頂きました。
こういう時に無理して声を出していると次第に擦れてきて終いには酷く咳き込んでしまいます。
それでも信者さんのお宅などへお祓いへ参らせて頂くこともしばしばですが、こうなると直りはさすがに悪いですね。
プロならばまずそのような状態にならないことが一番ですね。
幸いにも明日までは休みとさせて頂いておりますので、せいぜい喉も休めておこうと思います。
こういう時間を頂けたことに感謝と感じております、いやほんと。
そんな中で、自分自身も幾分気分も落ち着いてきましたので、今日は上からの言葉が頭の中に入ってきたようでした。
いつもは大抵一つの存在だけのようですが、今日はこれまでさせて頂けてなかった分?纏めて来られた感じでしたね;。
書いていこうと思います。
座って目を閉じていると 最初は大神か
〝 龍であれ何であれ その者(一人ひとりに)導くものあり
捉え方にも よる 〟
続いて金龍 アーロン
“ 呼んだか? そなたとは 常におる
(現れるように見えるのは)意識するか しないかの違いだけだ
4月8日のてんごく。とやらの龍音の集い 行こうと思えば そのようになる
聴くことで また違うことを意識出来るようにも なって来る
ようは 思い次第だ ”
アーロンの光 豊かで重々しい といっても重苦しいのではなく重厚感のある光
“ Tomokatsuは それほど 心揺さぶられない ブレるということが少ない
安定している ”
言い終わるや シュンッと一瞬で帰った感じ
続いてエーヴィン
‘ やぁこんにちは 元気?
どうしたの? 風邪引いたの? 大丈夫だよ
今 次の段階へ行くのに 準備をしているんだよ 信じられない?
掃除をして 部屋を綺麗にしたり 整理する時は 物を動かしたりするでしょ?
している間は 埃が立ったり 音が出たり 落ち着かないよね?
それと同じことだよ 心配することはないよ ’
お金 経済を回したいけど
‘ 僕と君はお金出さないと 繋がれない? そんなことはないでしょ
これからは色んなところで 君とシンクロして来る人が出てくるよ
そうすることで 自然とお金 経済も 回ってくるようになるんだよ
だから心配いらないよ ’
‘ 今はバージョンアップの最中だよ だから大丈夫だからね
じゃあね バイバイ ’
昨夜の月 月読尊(つくよみのみこと)?
『 日本人は その日その日の月に名前をつけて呼んでいます
半月であれ 途中の月であれ
その時々で その月に相応しい 浄化を行っているのです
その日の地上を その日の月の光 明かりで照らすことにより
浄化しています
だから 意味があるのです
満月 新月にも多くの意味があるように その折々の月にも
そのような意味があることを知って下さい 』
この他にもシリウスからも、星を見かけると話しかけてくれるように感じます。
ただし、いつもその後に書きとめておりませんので、すぐに忘れてしまいます;。
シリウスはいつも理性的というか論理的な話し方、理路整然とした感じで語りかけてきます。
上記のそれぞれの存在達も、全てその話し方は違っており、自分の直属の上司;?である大国主大神はいつも威厳に満ちた話し方です。
神様の声、言葉を下ろしだした頃からずっとこのような感じですので、自分には違和感がありません。
姿は以前にも申しましたけれど、それほど感じられません。
いつも声のみというのが殆どです。
(この大神について出雲大社での遷座際の折に感じたことがありましたので、また改めて書かせて頂こうと思います。)
さてその大神の言葉ですけれど、誰しも何がしかがその方についておりその方を導いてくれているということを言われております。
龍と感じる方がおられたり、別の存在であったりなのだと思います。
ご自分には見えない、感じられないという方でも何かしら物事をする際にこうした方がいいんじゃないかという考えが閃くように出てきたならば
それがその方にとっての、いわばガイドなのではと思っております。
ここの部分、まだ自分では説明が出来るほどに至っておりませんので、もう少し時間を下さい;。
先日もどのように捉えるのか説明致しますと申しましたが、そこの段階に達しておらないようです。
言ってみれば自分ひとりで今のところ、精一杯、アップアップ;という感じですね;。
申し訳御座いません。
続いては既にお馴染み?の金龍アーロンのようでした。
白龍にせよ、その存在は感じるのですけれど、話しかけてくるということはそれほど多くはないように感じられます。
その姿で物事を示しているように思えます。
どうやら自分示自身が映像で捉えるのが一番得意なのかもしれません。
アーロンは元々Tomokatsuさんのところへおられる金龍のようですし、そう考えると振る舞いもそれに準じておるのでしょうね。
そんなアーロンが話してくれたこと、常に一緒にいるということですが、これは思うと瞬時に現れるとうことなのだと思います。
彼アーロンを心に思うことで一瞬にして既にその場に居るという感じでしょうか。
時間そのものが存在しない世界ですので、そういうことなのでしょうね。
次のてんごく。さんとおっしゃる方は少し説明が必要かもしれませんね、とはいえご存知の方も多いのでしょうけれど。
あの方のブログ等を拝見させて頂いておるうちにラインでも拝読するようになり、そのうちに出雲大社でご自身が龍音シンギングボウルによる
奉納をなさりたいとの話を伺い、その事で少しだけお話させて頂いたことがありました。
とはいえそれだけであり、今回大社にてその演奏奉納されるのは間に東京分祠のお取り計らいがあるからで、自分とは何の接点もありません。
一応自分も大社側、いわば内部の者でもありますので、そのような者が果たしててんごく。氏のその奉納演奏にご一緒させて頂いても良いものか
どうか逡巡致すところです。
いずれにしても一度大社側へ尋ねてからに致したいと思います。
シンギングボウルによる龍音という音色はどのような音であるのか、それが大神様の御前にて演奏されることにより、どのようなことがあるのか
知ってみたい気持ちは大いにありますね。
アーロンの光というのは今日のTomokatsuさんがご自分のブログにてセットされていた光であり、それを感じ取ることによりいつも以上にアーロン
の声を聴かせてもらえたのかもしれません。
そのアーロンがTomokatsuさんのことをブレないというのは良くわかりますね。
彼ご自身、とても柔らかい感じの方ですけれど非常に太い柱が一本芯に通っておられるような方でもあり、その信念は揺るがない感じを覚えます。
アーロンにとって彼はどのような存在であるのか、そこまでは存じませんけれど良きパートナーの一員でもあるようです。
先にも申したように話し終ると、これもまた一瞬でシュンッという感じで気配が消えました。
Tomokatsuさんのお宅へ帰ったのでしょうね。
続いてはイルカのエーヴィンです。
彼はいつも朗らかで元気そのものといった感じですね。
今回のこの風邪について教えてくれたようです。
確かに風邪はある意味、それまでの溜まったものを外へ排出するよいう役目もあるようですので、この話もなるほどなと頷けるところです。
けれどバージョンアップは、さて自分の場合はどうなんでしょうね;。
そこまでまだ出来ていない、至っていないように感じております。
これとていずれはわかるのかもしれませんけれど。
また毎回のようにこれも自分が気にしております経済について尋ねますと、このような答えが返ってきました。
向こうの世界、自次元へ繋がる時は当然金銭は関係ありません。
けれどそれ以上にこれからは此方の世界、3次元という目に見える世界において多くの方々と接していく中で自然と経済も回ってくるようになる
ということなのかもしれません。
そのようになれますよう、努めて参りたいと思います。
最後はお月様、月読尊でした。
月や星はお風呂上りに大抵外に出て空を見上げて見ております。
その中で昨夜は、この時はお風呂上りではなく就寝前、二階の踊り場の小窓から眺めた月であったかと思います。
薄っすら雲が掛かり朧に見えていた月でしたけれど、昨夜は何か語りかけて来るようで耳ではなく頭の中をクリアにして聴いた感じでした。
ここで言われているように、その日ごとに細かに月に名前をつけているのはおそらく世界でもそう多くはないのではと思います。
三日月位なら子供でも知っている呼び名ですけれど、立待月、居待ち月、あるいは季節よってもその呼び名が変わるくらい多くあるようです。
それらからも知れるように古来我々日本人は月に名前を付けながら昇って来る月を心待ちにしていた民族なのでしょうね。
その折々に眺める月の光に照らされながら、同様にその月から同じく浄化してもらっていた、または浄化されていたのかもしれません。
現在はよほどのことがない限り、一日に約50分程ずつずれて昇ってくるお月様を心待ちにしている人もそういないのではと思います。
夜に煌々とした明かりのなかった時代、夜空に大きく輝く月の明かりはそれだけで人々の心をも安らかに穏やかにしてくれていたのかもしれま
せんね。
そう考えると満月のたとえようもない明るさ、その逆に新月の真の闇、その両方の有り難味をとても大切にしていた自分達のご先祖であったのかも
しれないですね。
穏やかに語りかけるようにして下さった月読尊の言葉でした。
一度にこれだけの存在の言葉を書き留めるのはそれほど多くないのではと思います。
久しぶりでしたので、いささかくたびれました(笑)
昨日までは本当に使い物にならない自分でしたので、頭もシャットアウトし考えることもあんまりしていなかったようです(あ、いつもの事か;)
これらの存在の言葉、その殆どが自分に向けられた言葉ではありますが、その中に少しでも皆様に沿えるようなものが御座いましたら、幸いに存
じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝のうちは多少青空も見えておりましたが、昼過ぎ位からは曇って来ました。
先ほど歩いて来るとまだ降りそうにはないものの、夜半にはどうか分からない感じです。
このところ乾燥しているようですし、少しはまとまった雨がある方がインフルエンザなども流行りにくく良いのではと思います。
そんな日の朝はこのような空で、次第に朝焼けになっていったようでした。
風邪っ気は大分抜けてきましたが、まだ残っていますね。
耳下腺の腫れはこれもずいぶんとましになってきましたけれど、まだ少しあります。
今朝も祝詞を上げるにはしんどい感じで、ほどほどの音量、音声にてささやくまでは行きませんがそんな感じで奏上させて頂きました。
こういう時に無理して声を出していると次第に擦れてきて終いには酷く咳き込んでしまいます。
それでも信者さんのお宅などへお祓いへ参らせて頂くこともしばしばですが、こうなると直りはさすがに悪いですね。
プロならばまずそのような状態にならないことが一番ですね。
幸いにも明日までは休みとさせて頂いておりますので、せいぜい喉も休めておこうと思います。
こういう時間を頂けたことに感謝と感じております、いやほんと。
そんな中で、自分自身も幾分気分も落ち着いてきましたので、今日は上からの言葉が頭の中に入ってきたようでした。
いつもは大抵一つの存在だけのようですが、今日はこれまでさせて頂けてなかった分?纏めて来られた感じでしたね;。
書いていこうと思います。
座って目を閉じていると 最初は大神か
〝 龍であれ何であれ その者(一人ひとりに)導くものあり
捉え方にも よる 〟
続いて金龍 アーロン
“ 呼んだか? そなたとは 常におる
(現れるように見えるのは)意識するか しないかの違いだけだ
4月8日のてんごく。とやらの龍音の集い 行こうと思えば そのようになる
聴くことで また違うことを意識出来るようにも なって来る
ようは 思い次第だ ”
アーロンの光 豊かで重々しい といっても重苦しいのではなく重厚感のある光
“ Tomokatsuは それほど 心揺さぶられない ブレるということが少ない
安定している ”
言い終わるや シュンッと一瞬で帰った感じ
続いてエーヴィン
‘ やぁこんにちは 元気?
どうしたの? 風邪引いたの? 大丈夫だよ
今 次の段階へ行くのに 準備をしているんだよ 信じられない?
掃除をして 部屋を綺麗にしたり 整理する時は 物を動かしたりするでしょ?
している間は 埃が立ったり 音が出たり 落ち着かないよね?
それと同じことだよ 心配することはないよ ’
お金 経済を回したいけど
‘ 僕と君はお金出さないと 繋がれない? そんなことはないでしょ
これからは色んなところで 君とシンクロして来る人が出てくるよ
そうすることで 自然とお金 経済も 回ってくるようになるんだよ
だから心配いらないよ ’
‘ 今はバージョンアップの最中だよ だから大丈夫だからね
じゃあね バイバイ ’
昨夜の月 月読尊(つくよみのみこと)?
『 日本人は その日その日の月に名前をつけて呼んでいます
半月であれ 途中の月であれ
その時々で その月に相応しい 浄化を行っているのです
その日の地上を その日の月の光 明かりで照らすことにより
浄化しています
だから 意味があるのです
満月 新月にも多くの意味があるように その折々の月にも
そのような意味があることを知って下さい 』
この他にもシリウスからも、星を見かけると話しかけてくれるように感じます。
ただし、いつもその後に書きとめておりませんので、すぐに忘れてしまいます;。
シリウスはいつも理性的というか論理的な話し方、理路整然とした感じで語りかけてきます。
上記のそれぞれの存在達も、全てその話し方は違っており、自分の直属の上司;?である大国主大神はいつも威厳に満ちた話し方です。
神様の声、言葉を下ろしだした頃からずっとこのような感じですので、自分には違和感がありません。
姿は以前にも申しましたけれど、それほど感じられません。
いつも声のみというのが殆どです。
(この大神について出雲大社での遷座際の折に感じたことがありましたので、また改めて書かせて頂こうと思います。)
さてその大神の言葉ですけれど、誰しも何がしかがその方についておりその方を導いてくれているということを言われております。
龍と感じる方がおられたり、別の存在であったりなのだと思います。
ご自分には見えない、感じられないという方でも何かしら物事をする際にこうした方がいいんじゃないかという考えが閃くように出てきたならば
それがその方にとっての、いわばガイドなのではと思っております。
ここの部分、まだ自分では説明が出来るほどに至っておりませんので、もう少し時間を下さい;。
先日もどのように捉えるのか説明致しますと申しましたが、そこの段階に達しておらないようです。
言ってみれば自分ひとりで今のところ、精一杯、アップアップ;という感じですね;。
申し訳御座いません。
続いては既にお馴染み?の金龍アーロンのようでした。
白龍にせよ、その存在は感じるのですけれど、話しかけてくるということはそれほど多くはないように感じられます。
その姿で物事を示しているように思えます。
どうやら自分示自身が映像で捉えるのが一番得意なのかもしれません。
アーロンは元々Tomokatsuさんのところへおられる金龍のようですし、そう考えると振る舞いもそれに準じておるのでしょうね。
そんなアーロンが話してくれたこと、常に一緒にいるということですが、これは思うと瞬時に現れるとうことなのだと思います。
彼アーロンを心に思うことで一瞬にして既にその場に居るという感じでしょうか。
時間そのものが存在しない世界ですので、そういうことなのでしょうね。
次のてんごく。さんとおっしゃる方は少し説明が必要かもしれませんね、とはいえご存知の方も多いのでしょうけれど。
あの方のブログ等を拝見させて頂いておるうちにラインでも拝読するようになり、そのうちに出雲大社でご自身が龍音シンギングボウルによる
奉納をなさりたいとの話を伺い、その事で少しだけお話させて頂いたことがありました。
とはいえそれだけであり、今回大社にてその演奏奉納されるのは間に東京分祠のお取り計らいがあるからで、自分とは何の接点もありません。
一応自分も大社側、いわば内部の者でもありますので、そのような者が果たしててんごく。氏のその奉納演奏にご一緒させて頂いても良いものか
どうか逡巡致すところです。
いずれにしても一度大社側へ尋ねてからに致したいと思います。
シンギングボウルによる龍音という音色はどのような音であるのか、それが大神様の御前にて演奏されることにより、どのようなことがあるのか
知ってみたい気持ちは大いにありますね。
アーロンの光というのは今日のTomokatsuさんがご自分のブログにてセットされていた光であり、それを感じ取ることによりいつも以上にアーロン
の声を聴かせてもらえたのかもしれません。
そのアーロンがTomokatsuさんのことをブレないというのは良くわかりますね。
彼ご自身、とても柔らかい感じの方ですけれど非常に太い柱が一本芯に通っておられるような方でもあり、その信念は揺るがない感じを覚えます。
アーロンにとって彼はどのような存在であるのか、そこまでは存じませんけれど良きパートナーの一員でもあるようです。
先にも申したように話し終ると、これもまた一瞬でシュンッという感じで気配が消えました。
Tomokatsuさんのお宅へ帰ったのでしょうね。
続いてはイルカのエーヴィンです。
彼はいつも朗らかで元気そのものといった感じですね。
今回のこの風邪について教えてくれたようです。
確かに風邪はある意味、それまでの溜まったものを外へ排出するよいう役目もあるようですので、この話もなるほどなと頷けるところです。
けれどバージョンアップは、さて自分の場合はどうなんでしょうね;。
そこまでまだ出来ていない、至っていないように感じております。
これとていずれはわかるのかもしれませんけれど。
また毎回のようにこれも自分が気にしております経済について尋ねますと、このような答えが返ってきました。
向こうの世界、自次元へ繋がる時は当然金銭は関係ありません。
けれどそれ以上にこれからは此方の世界、3次元という目に見える世界において多くの方々と接していく中で自然と経済も回ってくるようになる
ということなのかもしれません。
そのようになれますよう、努めて参りたいと思います。
最後はお月様、月読尊でした。
月や星はお風呂上りに大抵外に出て空を見上げて見ております。
その中で昨夜は、この時はお風呂上りではなく就寝前、二階の踊り場の小窓から眺めた月であったかと思います。
薄っすら雲が掛かり朧に見えていた月でしたけれど、昨夜は何か語りかけて来るようで耳ではなく頭の中をクリアにして聴いた感じでした。
ここで言われているように、その日ごとに細かに月に名前をつけているのはおそらく世界でもそう多くはないのではと思います。
三日月位なら子供でも知っている呼び名ですけれど、立待月、居待ち月、あるいは季節よってもその呼び名が変わるくらい多くあるようです。
それらからも知れるように古来我々日本人は月に名前を付けながら昇って来る月を心待ちにしていた民族なのでしょうね。
その折々に眺める月の光に照らされながら、同様にその月から同じく浄化してもらっていた、または浄化されていたのかもしれません。
現在はよほどのことがない限り、一日に約50分程ずつずれて昇ってくるお月様を心待ちにしている人もそういないのではと思います。
夜に煌々とした明かりのなかった時代、夜空に大きく輝く月の明かりはそれだけで人々の心をも安らかに穏やかにしてくれていたのかもしれま
せんね。
そう考えると満月のたとえようもない明るさ、その逆に新月の真の闇、その両方の有り難味をとても大切にしていた自分達のご先祖であったのかも
しれないですね。
穏やかに語りかけるようにして下さった月読尊の言葉でした。
一度にこれだけの存在の言葉を書き留めるのはそれほど多くないのではと思います。
久しぶりでしたので、いささかくたびれました(笑)
昨日までは本当に使い物にならない自分でしたので、頭もシャットアウトし考えることもあんまりしていなかったようです(あ、いつもの事か;)
これらの存在の言葉、その殆どが自分に向けられた言葉ではありますが、その中に少しでも皆様に沿えるようなものが御座いましたら、幸いに存
じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。