日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

ダンスに寄せて

2017-12-26 20:02:28 | 身体を動かすこと
こんばんは。
午前中はそこまででもありませんでしたが、午後、特に夕方近くになるとかなり気温が下がってきました。
家から見える奥、北方面の山頂辺りはだんだんと白くなって来ているようです。
また寒さがぶり返しそうですね。
そんな朝は雲間から少し晴れ間が覗いておりました。



                                  



         
                                  
                                  


午前中に所用も兼ねて下界へ買出しに行って参りました。
当然いつものように歩きですので、坂を下るのは早いのですけれど、帰りはその分上りとなり荷物を抱えて帰って来るのは、ちとしんどいですね;。
しんどいというよりも、しばらく前から右膝が曲げ伸ばしの際に痛くなって来ており、歩くのは何ともないのですけれど、その分腰からお尻に
掛けてが痛くなってきております。
寒いのも相まって、またぞろ神経痛のようにならねばよいけれど;と自分に感じているところです。
歳ですねぇ;。

自分自身はつい最近知ったのですが、ダンスをする高校生、大阪府立登美丘高校の生徒さん達のバブリーダンスというもの、あれをネットで最初に
拝見した時、あれ、これって何十年前に撮ったものなの?と思いましたが今現在の彼女らによるものなんですね、驚きました。
評価というのか彼女らのあの踊りを表現するのにキレッキレッと称しておられますが、まさにその言葉がドンぴしゃりとでもいうような激しいダンス
ですね。
二分半程という制限時間の中で自分達の踊りを表現する、出来そうでなかなか出来ることではないなぁと感じながら拝見しております。
ちょうど三十年位前ですよね、荻野目洋子さんのあの曲。
いわゆる世の中、バブルといわれて浮かれ騒いでいた時代だったのではと思います。
右肩上がりの景気の中で、不況という言葉のかけらも無かった頃でしたね。
そんな時代の空気すらも上手くダンスに組み入れておられ、見ている此方側が何の違和感も抱かないばかりか、まるでタイムスリップしたような
感覚すら覚えるようです。
彼女達の全く知らない、もっと言えば彼女らの生まれる遥か以前の時代の事、といえるのでしょうね。
当然ですけれど、本当に年代、時代の格差を感じてしまいます。
自分にしてみると記憶の中の一コマともいえる時が、既にそれだけの年月が経っているというのは、ある意味不思議な気がしないでもありません。
あのバブルといわれた日本中がお祭り騒ぎのような時代から、次には一変して先ほども書いたように不況といわれる暗い時へと移ろって行きました。
息子に言わせると、自分達はバブルと言われている時代は知らない、物心ついた時には世の中不景気と言われていた、どんだけその前が派手な
事してたのかわからない、と言います。
確かにねぇ;、とも思ってやります。
我が家はそうではありませんでしたけれど、人によれば三年で車は買い替えるもの、中には一年毎に替えるという方もおられました。
今思うと、それってどうなんだろうとも感じますけれど、やはりその当時の雰囲気がそのようなところがあったのでしょうね。
若者、ことに男の子は必ず車を持つのが当然のようなところもありましたしね。
今はそんな維持費の掛かるもの、余程でないといらない、とも言われることもあるようです。
とはいえ、この辺りの地方となるとやはり一家に一台、ではなく一人に一台は当たり前のようなところはありますけれど。

時が移れば必要とされるものもまた変わっていくのは当たり前のことですね。
今は移動の手段としての車ではなく、どこでも誰とでも繋がることの出来る機器、いわばスマホ等のメディア自体に関心が移ろってきているのは
これも否めないことなのでしょうね。
この先どのように変わっていくのか検討も尽きませんが、次には何が流行るのか、そうも思います。

                                   


                                   



普段が瞑想とか静かな方へ目を向けている事が多いせいか、あのような躍動感溢れる、ある意味ガッチリ地に足がついている感覚というのがとても
新鮮に感じられます。  
自分一人の中で完結しておるのではなく、大勢で作り上げながらも一つのものに仕上がっているという充実感のようなものが伝わってきます。
彼女達が凄いと感じられるのは、あの二分半の中で脇目も振らず精一杯にダンスを成し遂げているからでしょうね。
まさに、今此処、この瞬間を生きているからだ、そう思えます。
実際あのダンスの最中に別のことを考えていたならば、ダンスそのものが崩れてしまう、そうも感じます。
だからこそ集中しなければならない、そういうことなのだと思います。
ある意味、身体を動かしながら心の部分を昇華させることにより、ある種の瞑想にも似た境地なるのかな、とも感じます。
どのように此処を表現させて頂いて良いものやらわかりませんので、ついこのように書かせて頂きましたけれど、自分を滅するほどに没頭する
そのこと自体、瞑想に近いのではと思った次第です。
本当にそうであるのかどうか、自分がこのようなダンスを我を忘れるほど表現出来るわけがありませんので、なんとも申せないところではあり
ますが。
とはいえ自分自身、あのダンスの最初の十秒、いや五秒ですら、ついていくことなど出来様はずがありません;;。(歳ですな;)




                                   




このところ、毎日のように上から降りてくる?言葉を綴らせて頂いておりますが今日は少し視点を変えた話題とさせて頂きました。
申すようにテレビの無い家ですので巷間で何が流行っているのか、殆ど知らない状況です。
その中で、たまたまこのような生命力溢れるといってもいい位のお嬢さん達によるプロ並みのダンスに、早く言えば心奪われたのでした;。
やはり若いっていいな、元気があるって素晴らしいな、そう素直に感動しているオバサンです;。  




                                   



今夜もまた一段と冷え込みそうです。
皆様、温かくしてお休み下さいね。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 始まりも無く 終わりも無く | トップ | 街中の青空 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

身体を動かすこと」カテゴリの最新記事