日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

始まりも無く 終わりも無く

2017-12-25 21:14:38 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝はどんよりとしていましたが、だんだんと晴れ間が出てきて夕方には綺麗な夕焼けが見られました。
気温が下がり、また寒くなるようですね、年末年始あまり寒さに向かわないでほしいところですね。
そんな朝はこんな感じ、曇っておりました。



                                 




                                 




先だって掃除機がどうのと話しておりましたけれど、やっこさ届いて既に三日ほど経ちますけれど、これでまともな掃除が出来る状況になりました。
やれやれです;。
これまではずっと箒で掃くという昔ながらの?日本のスタイルとでもいうような掃除方法で、なかなか隅っこまでは綺麗になりませんでした。
もちろん拭き掃除はしますけれど、どうしてもここ、というところまで綺麗になりにくく、四角い部屋を丸く掃除する自分ではありますけれど;
やはりストレスでしたね。
掃除機を壊したのが階段を掃除している時で、途中の段のところへ本体を置きながら掛けていたのですが何かの拍子にその本体が階下まで転げ
落ちてしまい、その衝撃で壊れてしまったのでした。
それまでにも、もう既にホースがパックリと割れてきたりとかがあり、その度に買い替えてもおりましたが、何度も繰り返した後にそのように本体が
壊れてしまい、その掃除機にご苦労様をさせてもらったというわけでした。
実は結婚して此方、主人がそれまで懇意にしていたいわゆるご近所の電器屋さんとの付き合いがあり、何かあれば電話一本で持ってきて下さいという
と、はいわかったよ、と二つ返事でじきに物が届いておりました。
そういうのが普通だったのですけれど、何年か前にそこのご主人も高齢ということでお店を閉められここ最近は自分でどこかの電器屋さんへ行って
調べながら購入するという流れになってきております。
もっとも、そのご近所の電器屋さんで購入したもの、何故かちょっとやそっとでは壊れることがなく、よしんば壊れたとしてもご主人に頼めばほぼ
八割方、直っていたのではと今にしてみて思います。
そんなわけでしたので、これ欲しいなと思ってそのお店へ行くと、これよりこっちがいいからこっちにしときなさい、とそこの奥さんに薦められる
まま、いつも買っていたように思います。
それは価格の面でも性能の面でも、そのお客さんに合ったように薦められるので全く不自由にも不満にも思うことなく、むしろ街中に多くの電器屋
さんがあるということ自体、不思議なほどに感じておりました(電器屋さん関係の方おられましたら、すみません;;)
けれどここへ来てそのような状況になった時、なんと不便でそれ以上に大いにお世話になっていたのだなぁ、と改めて感じておるところです。
殆どの物の寿命が長かった分、これから壊れるものが増えてくると思うと、ある意味怖いですね;。
折りしも今朝、これも結婚当時に購入したコーヒーメーカーのガラス容器を不覚にも落として割ってしまいました;。
これとて今まででしたら、このガラスの容器の部分のみを取り寄せて貰えていたのですが、そうもいかなくなりました。
ネットで検索しましたら、あるにはありますが既にこの型の容器は廃盤になっているようで、さすがにどうにもならないようです。
このガラス容器の部分だけが割れ、あとは全く支障のない状態なのですけれど、使えない状態になりましたね;。
ほぼ三十年間もってくれたわけで、自分は飲まないのですけれど主人や息子はコーヒー好きでよく飲んでおりましたのでこれも買い換えるしか
ないようですね。
ま、手動というのか自分で入れれば済む話ではあります;。








今日も祝詞奏上の後に感じたことを書かせて頂きます。

   〝  今 此処にあれ

      日本人は この時期 一年の締めくくりとしておる
 
      本来は 節(せち)であるが (二月三日)

      しかし 元々 始まりも なければ 終わりも無い

      全て 連綿と 続いておる

      そなたらが 始まりがあるとか 終わりがあるとか 決め付けているだけのこと

      循環があるだけ

      但し 肉体には 限りがある (身体)いとえよ

      中の魂は 変わらぬ しかし肉体に入ることにより (様々に)制限される

      そなたらの 考え方も この肉体に 左右される

      ならば この中で 精一杯を 楽しむべし

      前世や 未来を見るのではなく 今 この時を 楽しむことだ

      それ無くして 何故 この肉体があるのか

      (身体)をいといながら 今を 楽しめ   〟


 頭頂の上から光? 下から上昇するエネルギー
 太く逞しい声 あくまでも頭の中へ入る感覚としての声   


        

                                     


今日のこの声はどうも大神、大国主大神かと思えたのですけれど。
毎回申すようにどうして日々違う存在、平たくいえば違う顔ぶれ、メンバーが交代するかのように現れるのか、これは自分でも全く分かりません。
今回は、はじめに静かに何も考えず周りの物音もそのまま聴いていた感じでしたけれど、そのうちにこのような言葉が頭に入るというのか浮かぶ
というのか、ともかくもそのようにして響いてきたのでした。
また内容そのものについても、これら一連のことが頭に入ってきた後に、自分などより遥かにスピリチュアルといわれる分野でブログ等を上げて
おられる方の書かれている文章を拝読致しますと内容が似ているということがよくあります。
自分が向こうを真似て書いたのではと思われるかもしれませんけれど、自分としては降りて来る内容そのものがいわばシンクロしていたのでは、と
感じております。
確かにそれらの方々の文章なりを拝読しておりましたものが頭のどこかに残っていて、それがあたかも此処へ書かせて頂く存在らの言葉のように
して書いてしまったということが、もしかするとあるかもしれません。
ですけれど頭へこれらの言葉が響いてくる時には、そのようなことを考えたりしているわけでは全くなく、これもよく申すように入ってくる情報を
一度頭の中で翻訳しつつ言葉にしているようなものです。
響いた言葉をその直後に自分でノートに思い出しつつ書き起こして、そうして読んでみると、あれどこかで聞いたような話だなというのはあります。
どうしてどのようになるのか、それはそれこそわかりません;。
入ってくるから、響いてくるから、としか言いようがないところです。

前置きはそのくらいにして、今日の言葉はお正月がどうとかというよりも、もっと連綿と続いているこの時間という概念について述べられたように
感じております。
より言えば宇宙という、かなりスケールが大きな話になりますけれど。
始まりも終わりもない、というのは、よくビッグバンと言われているこの宇宙の成り立ちについてですけれど、このようなものこそ、まず無く、
始まりも終わりもない、ただ今此処にこうしてあるだけ、というようなことをいわれたように思います。
いきなり話が広大過ぎて、かつ、そんな科学者さえですら真実であるのかどうか分かっていない科学の分野をこのようにいわれることこそ、あんた
一体何様のつもり?とお叱りを受けて当然な話のようですけれどね;。
話が少しそれるかもしれませんけれど、あのビッグバンというもの、おバカな自分には到底理解不可能なことなのですけれど、ある時突然大きな
衝撃、つまりビッグバンがありそこから宇宙が始まったといわれているのですが、どうしてもそこのところ、本当?と感じてしまうのですよ;。
おバカな自分は、じゃあそのビッグバンの前は何なんだ?と勘ぐってしまうんですよね;。
その前も、あったんじゃね?と思うわけです;。
まぁ、自分のそのような考えは置いておくとしても、この始まりも終わりも無く、ただ循環があるだけ、というのはなんとなくそうなのかもしれ
ないと、この言葉を聴きながら感じておりました。
物事皆生々流転、小さくなったところから大きくなりやがてまた小さくなっていく、この繰り返しではないのかな、と。
その時に全く何もないのではなく、やはり何かがあった、あったけれどそこの部分(何かという部分)が分からないだけで必ずその何かはあったの
では、とも思います。
この話、し出すと多分、おバカな自分では最後収拾がつかなくなりそうですので、このあたりで止めておきます;。

次の、肉体は限りがあるというのは、これは誰しも分かることですね。
この自分というものが入っている肉体という器には限りがあるけれど、中に入っている魂はいつまでも続いていくということのようです。
とはいえ、自分にしてもこの自分以外の記憶はないのでその前、つまりは前世はわからないですし、未来はもっとわかりません。
ですけれど魂は続いてきているならば、たまたま今の自分に記憶が無いだけともいえるかもしれません。
ならば、自分の前世や未来を探ることが大事なのかといえば、それも違うのだということです。
今、この肉体を持った自分は、今此処ででしかあり得ないわけですから、今のこの時を大事にしなければならないということだと考えます。
過去をクヨクヨしても変わらないわけですし、それならば今この時を充実させるならば、今のこの時こそが過去になるわけであり、今のこの時を
大事にしていくことで未来へと繋がっている、ということなのだと思います。
これもよく言われておることですけれどね。
今あるこの肉体をいといながら、自分自身を楽しむこと、一番大事な生き方と思います。
出来てるかなぁ、自分;。



         
                                     




                                     



なんだかいつになく熱くなった感じでしたけれど、大したこと言ってないのは、いつもの通りです;。
またなんか言ってるねぇ、くらいにみておいて下さい;。
                                   
明後日くらいが帰省のピークでしょうか、どうぞ天候よ荒れないで下さいとお願いしないといけませんね。
                                     

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

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