夕方、洗濯物をといれ(外の物を屋内に取り込むこと)に行ったワイフが「お父さん、あのカラスが柿の実を食べに来ていて、私に驚いて、飛んでったよ。」と、小屋の出入り口から声を掛けてきた。
小屋を半分に仕切って確保している書斎(物置的マイルーム)から出て行った私に、隣の倉庫の屋根を指差して「上手に美味しいものから食べていくんやから」と話しかけてきました。
イチジクの4鉢全体を被(おお)っている「鳥よけネット」を被(かぶ)せようかともワイフと話したのですが、いくつか検討して、柿の木全体を被う大変さもあって来年から被せることにしました。まっ、今回も“ゆる~い共存(!?)” です。
皮だけが垂れ下がったものも見つけましたが、パッとイメージしたのが、広島の平和記念資料館で見た、「はだしのゲン」にも描かれている(はずの)垂れ下がった腕の皮膚を持ち上げるようにしている場面だったので、写真にも撮りませんでした。
こんな田舎に住む私が、なぜこんなイメージをパッと持つかは、私の経歴と意識、そして、選挙カーが走り回ることにも強調されるような、きな臭い社会情勢によるものです。
それにしても、この富有柿は豊作なんですが、隣にある渋柿は不作で、昨年の1/3くらいの量しかなっていません。
昨年初めて干し柿が上手く作れた都市部の知人が、今年の3月に、もう早々と「今年も干し柿を作るからできたら(柿がなったら)ちょうだいね!!」と予約してくれているのに…。
富有柿のみならず、渋柿も“どうする!?” なのです。今年は、この知人と自家用に使いきることになりそうです。