私の家は、国道と県道の交差点近くにあって、10キロ圏内には高速道路の入り口も肉用牛の育成の盛んな地域もあって、交通の行き来の多い方だと思います。
昼間、家にいる時に、時々、牛の鳴き声が聞こえてきます。信号で止まったトラックに載せられ、高速道路へと向かう牛の鳴き声です。
その鳴き声を聞く度に「ドンナドンナ」という歌のメロディーを思い浮かべ、頭の中で歌詞を追ってしまいます。
牧場から市場へ売られていくかわいそうな子牛を歌った歌で、私は牧歌的なイメージを持っているのですが(これはきっとNHKの「みんなの歌」から作られたイメージだと思っています)、私の目に映る現実は、全く違った即物的なものでしかありません。
私の見ている牛が子牛であり、どこかの産地に売られて行き育てられ、例えば「神戸牛」として精肉して売られるようになるのか、成牛であって、どこかの場で命を奪われ、「近江牛」として売られるようになるのかは分かりませんが。
そして、だからこそ、考えてしまうのです。私たちも “同等な在るもの” としての “1つの命” “存在すること” “人間の営み” の意味やマスコミなどで “美味しいもの” としてしか取り上げられない現実の在り方について。
日常生活の中で、日常的な様々な事柄が、ヒントとなって私に “考えること” を提供してくれているのですね。
“より人間的でありたい!” と願う私の “哲学的な存在” としての始まりなのでしょうか!? だとしたら嬉しいことです。
そうでなくても、感受性豊かなのはいいことだと思います。