私(たち)の行動は外界からの刺激によって成り立っています。
例えば、ビニールハウスの両サイドのビニールを巻き上げに行く・閉じに行くのも、私が作物を育てるため、守るため・収穫するためにしなければならないことではありますが、作物と風・気温(の寒暖)等が私に求めていることです。
種を播く、収穫をするのも、作物が自らの“生をまっとうする”ために私に求めていることなのです。
このことが見えない・実感できないのは、私が日々、自己中心的な思考で物事に接しているからなのです。
しかし、何もかもを外界に動かされてのみ行動化しているのではありません。
外界からの働きかけを受け入れていく(受け入れざるを得ない)中で、
“どうしよう!?”と、自分の中に外界との共存のありようを自らが模索し、構築していっているのです。
この行為を“当たり前のこと”として無自覚的に行なっているですが、確かに自らが自らに構築していっているのです。
こういう存在が人間であり、まさに“生きている”ということではないでしょうか。
外界からの刺激に付加価値をつけて言動として抱え、表出していくのも私たち人間。
想像力を巡らせて“何々を実現しよう!”と積極的に・自覚的に外界に働きかけていくのも私たち人間なのですね。
今朝は雨。外の景色を眺めながら、ふっと考えついたことを、せっかく思いを巡らしたことなんだからと書いてしまいました。
わかったような、わからないようなことを書いてしまいました
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