日々の彩り、日々色直し

日々、悩みは尽きないけれど、負けず焦らず、生きていこうよ!
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1月7日(日)の新聞とテレビから(1)

2018-01-08 12:38:59 | 暮らし

訪問していただき、ありがとうございます。
【朝日新聞の「悩んで読むか 読んで悩むか」を読んで】

ちなみに、回答者は斎藤環氏です。経歴は左下の通りです。

さて私は、この記事を読んで、自分の思春期を思い出したのです。
中学1年生の1月14日に父が交通事故で即死しました。部活が上手くいって上機嫌の帰り道、国道で自動車が渋滞しているのです。
家に帰りついて、「何かあったの?」と近所の人に聞くと、「早よ高見医院へ行き! 」と急(せ)かします。
医院に着いてみると、診察室のベッドに父が横たわり、母が立ち尽くしていました。
国道の坂で父の引いていたリヤカーに後ろから下ってきたトラックが乗り上げて、トラックとリヤカーの引手との間に挟(はさ)まれたのです。
医師の説明では、“内臓破裂で即死” とのことでした。シーツをめくって、口や鼻、ペニスからも出血しているのを見せられました。
近所にはまだ自動車がほとんどなく、結局、布団を敷いたリヤカーに乗せて連れて帰りました。

父の死後、代々農家だったので、田地の多くは人々に耕作をお願いして、自家で消費する分だけ(飯米取り)、数反(すうたん)は自分で作ることにしたのです。
まさに思春期真っ只中(まっただなか)、農業をすることにしたのです。そのうちの一反(いったん)は国道と県道の角近くにありました。
そこの代掻き(しろかき)をするのが5月初めの連休中。当然、信号で国道・県道のどちらかの車が必ず停車することになるのです。
連休中のこともあり、家族連れも多く、車窓は開けられていて、古い耕運機も、泥の跳ね返りのある顔も見られることになるのです。
県道に止まっている車に向かって耕運していくのです。前方は見つめるのですが、恥ずかしくて、顔を伏せるようにして作業をするしかありませんでした。恥ずかしくて恥ずかしくて。こんな場面はまったく想像するものではありませんでした。
こんな耕作を、中学2年から大学を卒業して就職して2年まで続けました。
その後仕事に没頭するようになって、飯米取りの田んぼも人に託(たく)しました。さらにその後、電電公社に売り、買い戻して、今に至ります。

この記事から、あの当時のことを思い出したのです。
そして、“あんなことに悩んでいたんだなぁ” と振り返る時があることを知りました。特に、“負い目” に思うことも負い目としてではなく、第三者的に受け入れた形で。
また、“当然のことをしていて平然としている” ことの当たり前さを身につけることを意識し始めるきっかけになったことも。

【朝日新聞の声の欄の「日本の先生の仕事は多すぎる」を読んで】

当たっている部分、認識が不十分なところなどはあるけれど、よく書いて投書したと思います。(な~んて “上から目線” のようでは嫌われますよね。)
実は、私が新聞に投書したのも、やっぱり高校時代でした。 当時新しく作られる日本一長いロープウェイの安全性についての内容だったと記憶しています。切り抜きしておいたのですが、探し出せず残念!

さて、この記事から、生きている時々の自分がその時々に関心を持ったことに持っている知識に新しく知識を仕入れて分析・統合すること、そしてその思考結果を表出することの必要性・大切さを再認識したのです。

退職するまで、若い人たちに「そんだけ音楽を聴いていたら、何千曲もの歌が頭に入っているやろ。もうあふれてくるもんがあるんとちがうか。その気があったら作詞や作曲ができるのとちがうか。歌だけとちがう。俳句でも短歌でも。絵画でも小説でもいいんやで。」とけしかけてきました。今、彼らはどんな表現活動をしているのだろうか。
私は未だに、あれやこれやの表出活動を続けている(始末!?)。

次のブログは「1月7日(日)の新聞とテレビから(2)」として、「サンデーモーニング 新春スペシャル」で見聞きしたことからのことを書きます。ぜひ訪問してください。 

 

 


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