最近は、クラシック音楽のネット動画を聴きながら眠る。
以前は、FM放送やCDを聴いていたが、それに比べ色々あり、気持ち良く眠れる。
若獅子は獲物がなくて飢えても
主に求める人には良いものの欠けることがない。詩篇34篇11節
どんな強大な力を持っている人間でも、その力でもっていやすことのできない飢えを経験することがあります。
(人の魂の飢えは人が自力でいやすことはできません)。
無力な人間がーー無力を心底知る人間がーーただ主に求めつつ養われて行く一筋の道、それが信仰の歩みであります。
そして、その道はけっして途絶えることはありません。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
主を畏れる人はまっすぐ歩む。
主を侮る者は道を曲げる。箴言14章2節
主を畏れる人は、主と向き合って生きる人であります。
主に聞きつつ、主に問いつつ生きるのです。
悩むこともあります。迷うことも多い。
しかし、その都度主の前に立つのです。
そして次の一歩を踏み出す。
そうして歩んだ道が振り返れば「まっすぐ」なのであります。
自分で、これが正しいと自分に言い聞かせながら歩いた道が大きくゆがむ結果になります。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎだせ。詩篇62篇9節
容器が倒れて水が流れ出してしまうように、
神に向けて心のありったけを注ぎ出すのです。不安も恐れも憤りも。
それが神を信じるということであります。
信仰は不動の強さではありません。
弱さがありのまま神の前にさらけだされることであります。
心が注ぎ出されて、支えられる経験をします。
母親の胸で泣いた子どもが不思議なあたたかさにつつまれるように。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
貧しい人は福音を告げ知らされている。ルカによる福音書7章21節
「福音」をただ聞いているだけか、と問う人がいるかもしれません。
ただ聞いてるだけです。
福音はそれに耳を傾けているだけで人をいやす力を持っています。
教会は告げ知らされた福音をただ聞いているだけの
貧しい人々の群れだといってもいいのであります。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
神の言われることはすべて清い。
身を寄せればそれは盾となる。箴言30章5節
神のことば、
聞くだけならそれはただの言葉。風のように過ぎ去って行きます。
神のことばは、
そこに身を寄せれば盾。いかなる敵の矢もこれを破ることはできません。
「身を寄せれば」です。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
主は必ず良いものをお与えになり
わたしたちの地は実りをもたらします。詩篇85篇13節
天から陽が照り、雨が降り、嵐が送られて地はものを生み出します。
降り注ぐ天の恵みにうながされて地は生命を育てます。
人間もそうです。
なくてならぬものを天から受けとりながら、
自分の小さな花を咲かせるのです。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
神を呼べば、敵は必ず退き
神はわたしの味方だとわたしは悟るでしょう。詩篇56篇10節
敵は押しせまり、わたしたちをおびやかします。
神を呼ぶとき、敵は「必ず」退きます。
敵が迫るとき、神に近づかなければなりません。
敵とわたしとの間に神が立っていてくださることがわかります。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、
従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。ヘブライ人への手紙11章3節
たとえば機械やコンピューターが作動するように、この世界はただなにかの法則によって動いているわけではありません。
創造者である神の言葉がそこに働いているのです。
肉の眼には過ぎ去って行く世の有為変転が見えるばかりですが、
信仰の眼はすべての出来事の背後に働く神の深い意志を見て畏れるのです。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
初めに言があった。ヨハネによる福音書1章1節
世界の「初め」に――――根源に言(理性、道理、真理)が存在しています。
無意味に、あいまいに、あやふやに存在しているものはなにひとつありません。
どんな出来事もこの言から生み出されていることを忘れてはなりません。
神の思いの込められた言という土台の上に世界はひとつひとつ築かれているのです。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。創世記19章17節
神は前に向かってわたしたちをみちびかれます。
命の祝福は前方にあるからです。
しかし、私たの過去には失敗があり、あやまちがあり、
罪がある――――誰が振り返らないで生きていけるでしょうか。
しかし、わたしたちの清算できない過去を神は焼き尽くしてくださったのです。
自らが苦しみ、十字架に血を流されることによって。
そのことを知って真に悔い改めた者は前方に向かうのです。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
無知な者は不遜で互いをなじる。
正しい人は互いに受け入れる。 箴言14章9節
自分が正しいと思っている人間は他の人の非が目について仕方がありません。
自分の限界を知っている人間は他の人の長所が見えるのです。
人間は互いに補い合って、ともに生かされるのだと知ることが正しい認識であります。
無知とは、個々の人の命にかけがえのない重みを与えておられる神を知らないということであります。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より
わたしのために執り成す方、わたしの友
神を仰いでわたしの目は涙を流す。
人とその友の間を裁くように
神が御自分とこの男の間を裁いてくださるように。ヨブ記16章20、21節
「話せばわかる」という言葉があります。
行き違いや誤解は話し合いの不足からきていると考えるわけです。
しかし、どんなに話し合っても、理解し合えないことはあります。
どうしても解くことのできない対立はあります。
人間関係にはそういうのっびきならないものが含まれています。だからつらい。
のっぴきならない関係を裁くことのできる方がいてくださる――――その一事を信じて、
ゆだねて信仰者は時を待ちます。切れないのです。
小島誠志著 「疲れたものに力を・聖句断想3」より