Hiroshi B.Matsuura
*【#人生】「たとえ姿が消えても、遺された愛はあなたの心の中で永遠に生き続ける」
... 若くして人生の大事に気づいた者は、幸せな人生を送るだろう。
しかし、多くの者が財産や権力など虚しいものを追って滅びの道をたどる。
それゆえ、誰があなたの行く末を大事に思っているかを見極める知恵が必要だ。
形あるものはすべて滅びる。
そして、愛だけが永遠に生きる。
善行に理由などない ... それでは、なぜ窮状にある人々を見て哀れみの念が起こるのか?それは、あなたがまだ幼い頃、まだ何者でもなかったときに、何の見返りも期待せず世話をしてくれた親の愛の記憶が残っているからだ。窮状にある人、非力な人、貧しい人、病める人は、幼い頃のあなたなのだ。
坪倉正和
ここで先生が言われているのは、共同体の中ではない、他者との愛ですよね。
それはつまり、共同体の外に出ることとイコールなのです。共同体への固執は、結局は「羨望と嫉妬」を生むだけです。。
俺はクリスチャンではないですが、幼稚園まではカトリックの教育を受けて育ちました。なので、聖書の教えは絵本などで、幼児期に学んでいます。聖書の凄さは信仰心のあるものだけではなく、誰が読んでも素晴らしいのです!
人間とは社会性の動物です。
弱きもの、小さきものに対して、寄り添って生きることこそが、社会に貢献しているという人間性「人間の喜び」なのだと思います。
このことと共同体に貢献していることを混同してはいけません。日本では特にこのことの理解出来ない人が多いです。
マネーとは本来コミュニケーションのツールであり、ありがとうと言う感謝の意味がありました(互酬性)。それが、資本主義の到来以降、その倫理性は破壊され、富めるものの権利と、貧しいものからの収奪の道具に成り下がってしまったのです。。
俺はもとの倫理的なコミュニケーションを取り戻すには、宗教(=外部性への信仰)しかないのではないかと思っています。共同体に疑問を持つための規範が必要です。が、国際連盟にしろ、国際連合にしろ、なかなかうまくいきません。。
それを乗り越えるには、信仰心しかないのではないか?と、先生に出会ってから考えるようになりました。本当はマルクスもそう言うことを考えていたのだと思います。
とにかく、地球の環境のリミットは近づいています。。早くそう言う社会にしなければ、人類は次の生物に地球を明け渡す事になるでしょう。
エジプトにしろ、メソポタミアにしろ、インダスにしろ、黄河にしろ、本来は国際都市(経済都市)だったのだと言う事にもっと注目してほしいです。そこは全く言語や考え方の違う人々が、交差する場所なのです。そういうところではマネーと言うコミュニケーションのツールと、倫理と言う規範が必要だったのです。
ユダヤ=キリスト教、イスラム教、仏教、そして儒教の教えの持つ倫理性とは、そう言う場所だったからこそ現れた共同体の外部性によるものなのです。
それのない共同体やそれを失ってしまった共同体は衰退し、滅亡を繰り返して来ました。
Hiroshi B.Matsuura
そうです … ① アメリカによって繰り返される中東介入の真の理由は、石油ではなく、イスラム経済の倫理性を破壊し、市場経済に組み込み効率よく搾取するためなのです。② イスラエルによるガザの破壊も同じ理由。③ 中東紛争は、民族とも宗教とも何の関係もないのですが、池上彰や佐藤優などが無知な人々を騙しているのです。
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