あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

地底の歌

2019-04-17 19:28:00 | ノンジャンル
「地底の歌」(荒木栄)

二十歳の頃、名前も思い出せないくらいだから、そんなに親しくもなかった知人から「古くて針飛びするかも。」と譲ってもらったLPレコードアルバムがある。
交響曲「地底(じぞこ)の歌」(荒木栄)は、全国で激しく闘われた60年安保・三池闘争の中で炭労三池労組が果敢に国家権力と体を張った闘いを題材にした労働歌であり、反戦・平和の歌であり、革命の歌である。
動画は、この難曲をギター一本で唄っている。
https://www.youtube.com/watch?v=mR-P4JKeqT4

この歌詞の暖かさ、激烈さ、人間性に満ちた生々しい表現と、合理化や作業安全を求めた労働者の団結を破壊するために、時の権力者とその暴力装置である警察・暴力団の殺人まで平然と行う弾圧実態を丹念に描いている。
※ ちなみに時の総理大臣は、岸信介、つまり安倍晋三が尊敬している、戦後ただちにマッカーサーに命乞いをして、CIAのエージェント(スパイ)になり、東京裁判のA級戦犯から逃げ、アメリカのための日本を作ったクソジジィである。

俺は、この頃三池労組の人たちと交流し、「労農派マルクス主義」、つまり社会党最左派の社会主義協会(向坂派)のなかで、学習会を通じて三池労組の根幹である「長期抵抗大衆路線」を学び、数十年の「金も名誉も地位もいらない」という、国鉄当局・JR管理者たちがもっとも嫌う活動家の道を歩み始めた。(結局、平社員定年退職だった)
ダラ幹だらけの組合では、職場と国労の民主化を目指し、現場での労働条件改善のしつこく粘り強い管理者との年間を通しての抗議行動から始まり、無通告駅長集団交渉、順法闘争などを実践し、「理論と実践の有機的結合」というスローガンで、学習会と現場管理者との闘いで学ぶという生涯をかけた闘いを始めた。

以下、Facebook でのきよかんのコメント。

●三池闘争と向坂先生
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/631/631-02.pdf
そのきっかけの一つの「地底の歌」の歌詞は、現在の現状と何も変わりない社会の構造の中での日本の支配構造を鋭く指摘している。
支配層のマスメディア支配により、忘れさせられているだけの人間らしく生きる権利は、この歌の言葉を置き換えるだけでわかることから、今われわれが置かれている現実の生きる環境と全く同じなのである。

● 「歌」とは何だろう。
みんなで盛り上がって楽しいなぁ、もあるだろう。
悲しみを癒すこともあるだろう。
元気が出たり、明日を生きる勇気を感ずることもあるだろう。
ウダウダと人の心やラヴソングを書いてばかりの俺は、いつかこの歌のように腹の底から力がわく曲を書きたいものだ。

***** ***** *****

組曲「地底(じぞこ)のうた」荒木栄

● 序章(合唱)
□前奏(序章)F
有明の海の底深く
地底にいどむ男たち
働く者の日をかかげ
豊かな明日と平和のために
たたかい続ける
革命の前衛、炭鉱労働者

● 第一章(テノール独唱・合唱)
□前奏(第一章)F

眠った坊やのふくらんだ
頬をつついて表に出れば
夜の空気の冷え冷えと
朝の近さを告げている
(アコーディオン間奏)

「ご安全に」と妻の声
渡す弁当のぬくもりには
つらい差別に負けるなと
心をこめた同志愛
(間奏第一章)Fm
夜は暗く壁は厚い
だけれど俺たちゃ負けないぞ
職制のおどかし恐れんぞ
あのデッカイたたかいで
会社やポリ公や裁判所や暴力団と…
男も女も子供も年寄りも
「ガンバロウ」の歌を武器に
スクラムを武器に
闘い続けたことを忘れんぞ
(間奏第一章)Fm
夜の社宅の眠りの中から
あっちこっちからやってくる仲間
悲しみも喜びも分け合う仲間
闇の中でも心は通う
地底に続くたたかいめざし
今日も切羽へ一番方出勤

● 第二章(合唱)
□前奏(第二章)Dm

崩れる炭壁、埃は舞い、汗はあふれ
担ぐ坑木、肩は破れ、血は滴る
ドリルはうなり、流れるコンベア、柱はきしむ
独占資本の合理化と
命を懸けた闘いが夜も昼も
(アコーディオン間奏)

暗い坑道、地熱に焼け、ただようガス
岩の間から滴る水、頬をぬらし
カッターはわめき、飛び去る炭車、岩盤きしむ
「落盤だァー」「埋まったぞー」
米日反動の搾取と
命をかけた闘いが夜も続く

● 第三章(テノール・バリトン重唱)
□前奏(第三章)Cm
落盤で殺された
友の変わり果てた姿
狂おしく取りすがる
奥さんの悲しみ
おさな児は何も知らず、背中で眠る
胸突き上げるこの怒り、この怒り
ピケで刺し殺され
落盤では押しつぶされ
炭車のレールを血で染めた仲間
労働強化と保安のサボで
次々に仲間の命が奪われていく
奪ったやつは誰だ?「三井独占!」
殺した奴は誰だ?「アメリカ帝国主義!」
奪ったやつを殺したやつを
許さないぞ、断じて許さないぞ

● 第四章(合唱)
□前奏(第四章)C

おれたちは栄えある
三池炭鉱労働者
団結の絆さらに強く
真実の敵打ち砕く
自信に満ちた闘いを
足取り高くすすめよう

おれたちは栄えある
三池炭鉱労働者
スクラム捨てた仲間憎まず
真実の敵打ち砕く
自信に満ちた闘いの
手を差し伸べよう呼びかけよう

おれたちは栄えある
三池炭鉱労働者
弾圧を恐れぬ不敵の心
真実の敵打ち砕く
勇気に満ちた闘いで
平和の砦かためよう、かためよう

***** ***** *****

以下、Facebook でのきよかんのコメント。

●三池闘争と向坂先生
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/631/631-02.pdf
そのきっかけの一つの「地底の歌」の歌詞は、現在の現状と何も変わりない社会の構造の中での日本の支配構造を鋭く指摘している。
支配層のマスメディア支配により、忘れさせられているだけの人間らしく生きる権利は、この歌の言葉を置き換えるだけでわかることから、今われわれが置かれている現実の生きる環境と全く同じなのである。

●(旧)日米安全保障条約
https://ja.wikipedia.org/…/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%8…

●(新)日米安全保障条約
https://ja.wikipedia.org/…/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%8…

● 「歌」とは何だろう。
みんなで盛り上がって楽しいなぁ、もあるだろう。
悲しみを癒すこともあるだろう。
元気が出たり、明日を生きる勇気を感ずることもあるだろう。
ウダウダと人の心やラヴソングを書いてばかりの俺は、いつかこの歌のように腹の底から力がわく曲を書きたいものだ。

● 「歌」としてよりも、会社人生のなかで職場を追われ、無人駅の便所掃除を通算7年もやらされて、熟練労働者としての(本当は何の価値もなかった)プライドを侮辱されていた時、秋田県労働委員会・中央労働委員会の勝利和解を経て、現職復帰をするまでの密かな(価値のある)労働者としてのプライドの心の道しるべでしたね。

● 70年 経てもごく少数者の利益を代表する権力者と、虐げられる多数の国民との関係は変わらないですね。
支配者に都合のよい「関係」を維持し、儲け続ける未来が危ういからこそ、憲法まで改悪して最後の永久利潤を生み出す原発国家、戦争国家を目指すしかないのでしょう‼️

● カチューシャ安田さん
三池の人たちの精神には遠く及ばないままに、この歌は歌えません。
「ヨイトマケの歌」や「山谷ブルース」でさえ、路上がメインになってからようやく歌詞を自分のものしたので歌うようになりました。
カバーする場合、原曲の心をないがしろにして唄うことは戒めているので、「地底の歌」は歌えないですね<(_ _)>
気楽なアマチュアという立場なので、忙しいダースコちんどん隊という正業の空いた時間があれば、いつでも一緒に演りたいとは思っています‼️

・・・・・・・・・・・

● 国会図書館にこの頃の論文がありますが、オンライン会員は閲覧できない仕組みでした。
どなたか、国会図書館の会員の方で別用で行かれた時に、記事をコピーして何らかの方法で見せていただかたらいいなぁと思っています。
ネットで掲載本を探してはいるのですが・・・

以下


掲載誌 月刊社会党 / 日本社会党中央本部機関紙局 [編] (通号 380) 1987.09 p.p31~36

国労つぶしとの闘い--闘い続ける以外に労働者の権利は守れない
菅 貴代志

詳細情報

タイトル
国労つぶしとの闘い--闘い続ける以外に労働者の権利は守れない
著者 菅 貴代志
シリーズ名  現場からの労働運動づくり<特集>
出版地(国名コード)JP
注記
記事分類: 経済・経営--企業・経営--経営管理--人事管理・労務管理
出版年(W3CDTF)
1987-09

NDLC
ZA3

対象利用者一般

資料の種別  記事・論文

掲載誌情報(URI形式)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000006828-00

掲載誌情報(ISSN形式)  04351754

掲載誌情報(ISSN-L形式)  04351754

掲載誌名  月刊社会党 / 日本社会党中央本部機関紙局 [編]

掲載通号  380

掲載ページ  p31~36

・・・・・・・・・・・


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (きよかん)
2019-04-18 17:44:28
FB でのコメントをこちらに再掲します。

Kouya Itou
キヨカンさんが言及してた労農派と講座派。講座派はそれこそロシア・マルクス主義~ソ連マルクス主義学派の系譜。労農派はドイツ・オーストリアマルクス主義学派と同じようなロシア共産党教条主義に批判的な学術的研究者集団でした。戦後も社会主義協会を組織しながらも緩やかな研究者集団でしたでしょ。ところが60年代に入ると向坂九大教授を先頭にソ連に傾倒し、ソ連邦の方針べったりに。日共が60年を契機にソ連派を叩き出して中国派に変貌を遂げる時と符合します。協会の変身?、その意味はいったいなんだったのでしょう。教えてもらえれば嬉しいです。三池闘争といえばスト破りの極道と三池労働者、双方に地域の被差別民が組織されていたと聞きました。武力衝突の現場の先頭に両者が立たされていたとも。解放同盟の方から学習会で、氏は「ここにも差別があった」と話されていました。きつかった思い出です。

菅 貴代志
最前線で境遇が同じ被差別の若者たちがもみ合う・・・聴いたことのある、極めてあり得る悲惨な話ですね。

関係本は、全部処分したので正確なことは書けません。

無断欠席や放浪ばかりしていた自分が、とても親身に世話をしてくれた職場の人たちの境遇を改善するためには、チャランポランな考えを(以降❹までのコメントが反映されず)

返信する
Unknown (きよかん)
2019-04-18 17:45:47
菅貴代志
石炭から石油にエネルギー供給が完全に移行し、向坂理論の実践舞台だった三池労組が少数化していき、実力闘争の主体だった公労協もスト権ストを最後に民営化し、日本からストライキが消え、ついには総評・社会党も無くなり、国家独占資本主義社会の全矛盾が勤労国民にのしかかる現実でありながら、その逆転している社会の真実を学ばないままの状態を、(世の中の富を作り出している勤労国民が特権階級を儲けさせるだけという矛盾の学習を)どうやって打開するのかという現実的な方向性を見失ない、硬直化したのではないかと思います。

「見えるものの表面に隠されて真実探求」の学習は大切です。
向坂先生がよくいっていました。
● 学問には坦々たる大道はありません。学問の. 急峻な山道をよじ登るのに疲れることをいとわ. ない人たちだけが、 その輝かしい頂上をきわめ. る希望をもつ。

返信する
Unknown (きよかん)
2019-04-19 11:30:31
コメントの途中で切れしている部分を再掲します。

・・・・・・・・・・

菅 貴代志
Kouyaさん
  ……徹底的に鍛えなければいけなかったので、身近にいたまじめな組合活動家に影響されて学習の道に入ったので、所属した思想党派については結果論ですね。
「社青同秋田駅武闘派拠点」と言われていて、学習会の中でも結構異分子でしたよ。
ストライキでは、どの闘争課題でも国労のストライキでは、ほぼ全ストライキの拠点になるので、国労秋田駅分会は秋田地方本部(山形・青森・秋田三県)では最強と自負していて、だからこその面白い経験をさせてもらって楽しかったです。理論家たちは口ばっかりで職場闘争を組織できていなかったですね。
ですから、社会党民主化同盟、共産党革新同志会、革共同中核派・革マル派、第四インター、労働課・人事課その他の人脈も広がりました。

しかし、求めていたのはあくまでも「相互に支えあう職場生産点での労働者の団結力」だったので、職場闘争の中心課題に「活動家の献身性」を謳っている「総評組織綱領草案」を手本にして組織つくりをするためのが吸収だったのです。
唯一古典学習会をやっている集団が、社会党最左派の青年労働者向けの「労働大学 まなぶ」だったし、活動家向けの学習会集団が「社会主義協会・社青同・国際労研(岩井章)」などだったので勉強させてもらいました。
職場闘争のための組織つくりの「栄養摂取」でした。

そんなある日、ソルジェニーツインの「収容所群島」を読んでティーチャーの先輩に聞いたら、「あれは嘘だ」というんです。
当時は、若手のバリバリの職場で実践している社青同の青年たちがたくさん古典学習会に加入し、しかし一方でそんな見解で硬直している古手の会員もいましたね。70年初めのころです。
フルシチョフがスターリン批判をしているにも関わらず、(つまり世界中にスターリンの粛清が知れ渡っているのに)おかしな事だなと思っていました。
(いくら理論では優れていても職場闘争を組織できていないのは認めがたい事なので)とにかく職場闘争と理論とを結びつけるための勉強を最優先でした。

フルシチョフからブレジネフになって、再び閉鎖的なソ連の方向になったので、そこで協会全体が硬直してしまったのかもしれないですね。
返信する
Unknown (きよかん)
2019-04-19 20:28:03
Kouya Itou
キヨカンさんが言及してた労農派と講座派。講座派はそれこそロシア・マルクス主義~ソ連マルクス主義学派の系譜。労農派はドイツ・オーストリアマルクス主義学派と同じようなロシア共産党教条主義に批判的な学術的研究者集団でした。戦後も社会主義協会を組織しながらも緩やかな研究者集団でしたでしょ。ところが60年代に入ると向坂九大教授を先頭にソ連に傾倒し、ソ連邦の方針べったりに。日共が60年を契機にソ連派を叩き出して中国派に変貌を遂げる時と符合します。協会の変身?、その意味はいったいなんだったのでしょう。教えてもらえれば嬉しいです。三池闘争といえばスト破りの極道と三池労働者、双方に地域の被差別民が組織されていたと聞きました。武力衝突の現場の先頭に両者が立たされていたとも。解放同盟の方から学習会で、氏は「ここにも差別があった」と話されていました。きつかった思い出です。
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Unknown (きよかん)
2019-04-19 20:29:02
Kouya Itou
学問には坦々たる大道はありません>資本論の序文にあるマルクスの言葉です。いうところの「学問に王道はなし」ですね。わたしが覚えたのは「希望をもつ」ではなく「可能性がある」でした。両者ともに「頑張れば必ず頂上に立てる」じゃなくて、「希望をもつ」「可能性がある」という・頑張ったって立てるかどうかはわからないよ・。ここがいいです。所謂史的唯物論=古代奴隷制・封建主義・資本主義・社会主義の階級闘争史観で予定調和的に革命が成就して、共産主義社会に至る!つう楽観主義を排しているところが。私は徹底して闘い抜いた・今も路上で闘っているキヨカンさんと違い、長男が生まれてからは日和見で、たまに集会・デモにいく程度、何も語る資格はありません。学内は社青同向坂派が多数派、でもそっちに行かなかったのは史学科の歴史好きだったせいですの。ソ連のハンガリー・チェコ民主化武力介入を擁護し、ソ連・東欧を「社会主義国家」とする向坂派の「理論」には組しえなかったこと、戦間期ドイツのナチス反革命・スペイン市民革命後のフランコ反革命・チリのピノチェット反革命等々の選挙で平和革命という路線に超懐疑的だった点にあります。決定的だったのが彼らの学生自治会論でした。「階級的大衆的自治会論」。学生は階級に位置づけられるのか?階級と大衆論の整合性は何処に求めるのか?私には理解不能(笑)いろいろありまして「叩き出してやる」とまで言われましたが、なんとか「卒業」までいました(笑)何かの事象を知るためには、図書館と部屋にこもり本を読み散らす!批判的に摂取、相対的にものをみる。史学科の担当教授に頭がグラグラするほど注入されました。良かったと思ってます。ナチ曽根の組織労働者殺し、コイズミの非組織労働者殺し、許せません。
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