Harmony

ちょっと呟いて孤独からの脱出?

昭和100年

2025-02-15 22:30:30 | Weblog
今年は昭和元年から100年。
日本はどう変わったかと池上彰さんのテレビ。

もちろん私はまだ生まれてはいなかったのだけど、
昭和の初めの頃の雰囲気が少し分かるような気になっている。
母から色々聞いたことや写真を見たりで。

当時の小樽はとても発展していて華やかだったよう。
豊かな環境にいた母は、テニスに卓球水泳にスキーにと、スポーツはなんでもしていた。
テニスは全道大会で優勝もして。
その記念のペンダントは裏にそのことが書いてあり、今それを私が使っている。

写真には、いわゆるモガなのか、おしゃれな洋服に斜めに帽子被ったモダンな洋装の母。
男性もとてもオシャレなモボ。
お三味線や長唄のお稽古には華やかな着物姿の写真。
今もある幼稚園に通い女学校を出て三井銀行へ。
貧しく育った私には、そこまでですごく羨ましい。

それからその職場で大恋愛をし、そして別れた。
それはあの「小樽のひとよ」の歌の通り。
最後の時の様子も。
相手の男性かまたはその知り合いの人が書いたのではないかと思うような歌詞。

結婚は男性の親に反対されたという。
転勤で小樽にいたその人は本州の人。
北海道の女性などは…と言うことだったのか。

それから数年、お見合いをして東京に住み兄が生まれた。
そして戦後、大企業に勤務していた父は精神的なことで度々入院。
戦後財閥解体で、そんな父はすぐに解雇となり、母の故郷の小樽へ来た。

不器用な父は良い職には付けず、貧しい生活となった。
唯一の救いは母の明るさ。
いろんなことがあっても、いつも鼻歌を歌っていた母。
そんな母に似なかった私は、暗い子供時代だった。
父に似たのか。

母のアルバムには、私より色々たくさんの写真がある。
大分処分をしたけど、なかなか全部は捨てられない。
もう母も見ないのだし、残しておいたってしょうがないのに。

一応クリスチャンだった母。
お相手はそうだったのかはわからない。
当時、親族はほとんどクリスチャン。
小樽だからなのかは分からない。

大正から昭和の初期の華やかだった小樽。
それを謳歌していた母。
まあその後の長い生涯は少し厳しいものだったかもしれないけれど、
やっぱり少し羨ましくもある。
母のような華やかな時はなかった私の生涯は、多分寂しいまま終える。

100年もの長い昭和は様々あった時代。
その100年の話から母にフォーカスして長々と書いてしまった。
そのうち小樽へ行って来よう。













コメント
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