大震災から半年近くなっても、まだ行方不明者は4千人を超え、避難所には8万人の人々が耐えて復興の兆しさえ見えず、中央政府には苛立ちを隠せない状態が続いている。このブログのタイトルにした『気働き』という死語に近い言葉を選んだのは、この15年の間の政府の無策や国民の(特に若者や企業経営者たち)質的低下を恐れての事で耳慣れないとは思いますが、少し持論を述べさせて頂きたい。
相変わらず鎌倉や逗子、そして葉山もだが夜の海の家の騒音は近隣住民の抗議がひっきり無しと聞く。何より夏の夜とあって花火、音楽(騒々しいだけの)、嬌声と都会の昼間と変らない騒音が遅くまで聞こえている。
今年は震災もあって、当初遠慮がちだったこの種の店も復興応援イベントとして認知されるや大手を振って店舗拡大を図っている。しかしそこには『気働き』という人に対する思いやりとか、礼儀などは忘れ去られている様である。
本来相手を思えば、出せる声も多少大人しく、柔和で、軟らかいそして緩やかな営みがあって善い筈なのだけれども全く毛ほども感じられないのが、現状なのである。
若者といえばこんな学生達に会った事があり、非常に不快な思いをした事がある。
第3京浜の保土ヶ谷パーキングエリアの食堂で、K大の学生が10人ほどたむろしていて、大声で会話し面白くない話で爆笑し、女学生が嬌声を発しているところに遭遇した。仕事疲れでゆっくりしようとしているところに3テーブルを占領し、誰も何も注文をせず場所を占領しつまらない話で爆笑し、しかも『早』(早いのことか)、『うそ』とか単語を省略化し感嘆詞に置き換えている。何という大学生としての誇りもみじんに考えられない場面に遭遇した。そしてその服装のだらしない事、センスのかけらもなかった。
余りにうるさいので店の人が注意に入るのかと思いきや誰も何も言わない。客は殆どが大人で黙々と何かを食べている。私にもそれを注意する勇気もなかったし、いたずらに揉め事を起こすのが厭で我慢をしてしまった。
これは自分でも反省している。声を上げねば分からない世代と声を上げなくても気を使って公共の場所を共有する、その心がけが『気働き』というのではないだろうかとつくづく考えさせられた。
翻って、来週29日には民主党の両院議員総会で党の代表戦があり、新しい代表すなわち総理大臣が決まる予定だ。此処にも政治家の『気働き』というのが違う意味で使われている。それは党員資格停止中の元代表が考えている事を回りの陣笠が勝手に忖度し、まるでトラの威を借りて勝手な解釈をして、本人の意思と違うところに持って行こうとする、まるで180度違う『気働き』がそこにはあるのだ。
何故、日本人はこうなってしまったのか?恐らく8割以上の日本人はまだ『気働き』の精神は持っていると思うのです。あの大震災の最中で他人を思いやり、救援隊にお茶や食料を振る舞い、気遣って感謝の気持ちを表すなどはその最たるもので、そこが世界中の人々の称賛を得た所以だと思うのです。此処には日本人が持っているはずの『気働き』という本来の姿が見えてホッとさせられたものでした。
最近の出来事の中で、ツイッターで有名人がホテルやプライベートの時間を実況されるという事が報じられていますが、これも所謂プロとしての自覚のなさや職業人として(たとえアルバイトであっても)責められて当然の事で今後益々、この種の問題がクローズアップされてくるだろうと思います。昔の水商売の人は絶対に口を割らないし、京都の一見の客を取らないというお茶屋さんの習慣はある種現代の風潮の先取りだったのかもしれない。
だとすればこれからは信頼できる店、口の堅い店、安心できる品質など商売としても、プライベートにしてもこの基準が絶対に必要になってくるものだと思います。
まさに、民主党の代表選挙=総理大臣選挙で誰が良いと問われたら半数近くが『誰も居ない』と言った結果が出たそうですが、これは自民党でも同じだろうし、これからこの国の舵取りは口下手の薄唇とうそつきバカ息子のコンビによって2年間は辛い日々が続くので国民は自衛権を発動して『気働き』のアンテナを張って頑張りましょう。
急に涼しくなったり、豪雨が降ったりと身体が付いて行かなくなりそうですが、ご自愛下さい。
相変わらず鎌倉や逗子、そして葉山もだが夜の海の家の騒音は近隣住民の抗議がひっきり無しと聞く。何より夏の夜とあって花火、音楽(騒々しいだけの)、嬌声と都会の昼間と変らない騒音が遅くまで聞こえている。
今年は震災もあって、当初遠慮がちだったこの種の店も復興応援イベントとして認知されるや大手を振って店舗拡大を図っている。しかしそこには『気働き』という人に対する思いやりとか、礼儀などは忘れ去られている様である。
本来相手を思えば、出せる声も多少大人しく、柔和で、軟らかいそして緩やかな営みがあって善い筈なのだけれども全く毛ほども感じられないのが、現状なのである。
若者といえばこんな学生達に会った事があり、非常に不快な思いをした事がある。
第3京浜の保土ヶ谷パーキングエリアの食堂で、K大の学生が10人ほどたむろしていて、大声で会話し面白くない話で爆笑し、女学生が嬌声を発しているところに遭遇した。仕事疲れでゆっくりしようとしているところに3テーブルを占領し、誰も何も注文をせず場所を占領しつまらない話で爆笑し、しかも『早』(早いのことか)、『うそ』とか単語を省略化し感嘆詞に置き換えている。何という大学生としての誇りもみじんに考えられない場面に遭遇した。そしてその服装のだらしない事、センスのかけらもなかった。
余りにうるさいので店の人が注意に入るのかと思いきや誰も何も言わない。客は殆どが大人で黙々と何かを食べている。私にもそれを注意する勇気もなかったし、いたずらに揉め事を起こすのが厭で我慢をしてしまった。
これは自分でも反省している。声を上げねば分からない世代と声を上げなくても気を使って公共の場所を共有する、その心がけが『気働き』というのではないだろうかとつくづく考えさせられた。
翻って、来週29日には民主党の両院議員総会で党の代表戦があり、新しい代表すなわち総理大臣が決まる予定だ。此処にも政治家の『気働き』というのが違う意味で使われている。それは党員資格停止中の元代表が考えている事を回りの陣笠が勝手に忖度し、まるでトラの威を借りて勝手な解釈をして、本人の意思と違うところに持って行こうとする、まるで180度違う『気働き』がそこにはあるのだ。
何故、日本人はこうなってしまったのか?恐らく8割以上の日本人はまだ『気働き』の精神は持っていると思うのです。あの大震災の最中で他人を思いやり、救援隊にお茶や食料を振る舞い、気遣って感謝の気持ちを表すなどはその最たるもので、そこが世界中の人々の称賛を得た所以だと思うのです。此処には日本人が持っているはずの『気働き』という本来の姿が見えてホッとさせられたものでした。
最近の出来事の中で、ツイッターで有名人がホテルやプライベートの時間を実況されるという事が報じられていますが、これも所謂プロとしての自覚のなさや職業人として(たとえアルバイトであっても)責められて当然の事で今後益々、この種の問題がクローズアップされてくるだろうと思います。昔の水商売の人は絶対に口を割らないし、京都の一見の客を取らないというお茶屋さんの習慣はある種現代の風潮の先取りだったのかもしれない。
だとすればこれからは信頼できる店、口の堅い店、安心できる品質など商売としても、プライベートにしてもこの基準が絶対に必要になってくるものだと思います。
まさに、民主党の代表選挙=総理大臣選挙で誰が良いと問われたら半数近くが『誰も居ない』と言った結果が出たそうですが、これは自民党でも同じだろうし、これからこの国の舵取りは口下手の薄唇とうそつきバカ息子のコンビによって2年間は辛い日々が続くので国民は自衛権を発動して『気働き』のアンテナを張って頑張りましょう。
急に涼しくなったり、豪雨が降ったりと身体が付いて行かなくなりそうですが、ご自愛下さい。